プライド
先輩としてのプライド
姉としてのプライド
職業人としてのプライド
世の中にはたくさんのプライドがあって
それによって守られるものはたくさんある。
だけど、なんだか苦しい時。
自分を守るはずのプライドが
逆に自分を苦しめていない?
なめられないように、とか
下に見られないために、って
プライドのひとつだと思うけれど
そんな思いでずっと気を張り詰めて生きるのは
疲れてしまう。
結局それって他人が自分をどう見ているか、
に対しての意識だから。
かつての私は
"後輩になめられないように"
“姉として、ちゃんとしていなきゃ“
そんな思いでいた。
(軸が他人だから、そこに自分自身の思いは1つもなかった)
そうしているうちに私は
プライドとか言っていられないくらい
追い詰められてしまったから、
正確には「プライドを手放すしかなかった」
本当は、「強いね」って言われる
自分でいたかったし
後輩からも慕われていたい
誰かから下に見られるなんて嫌だった
けど、プライドを手放すしかない状況になったら
自分を下に見ていたのも、なめていたのも
結局自分自身だったことに気づいた。
ちゃんとしたお姉ちゃんじゃなくても
何かができなくても
全て含めて私だということ。
自分らしくない自分なんてどこにもいない。
そう腹を括った。
だから「助けて」が言えるようになった。
こうして弱っちい私は、たくさんの人に
助けられて生きている。
そして、私のことを「助けたい」
と思う人がたくさんいることも
プライドを手放してから知った。
本当は弱いのに強がってた
本当は優しくしたかったのに尖っていた。
そんな自分に気づいた。
こうしなきゃ!
みたいに思ってきたことを
そうじゃなくてもいいんだと思うだけで
自分自身の世界が広がる。
よく言われることではあるけれど
何を手に入れるか、よりも
何を手放すか、が大切。
プライドに限らず
絶対にこれがないと無理!って思っていたことを
勇気を出して手放してみると
意外と平気じゃない?ってなったりする。
私にとって、手放して楽になったものの1つが
プライドだった。
プライドを手放すって
具体的には格好良くいようとするのを辞める
だと思っていて。
人間らしく、泣いたり笑ったりしながら
泥臭く生きていく。
その覚悟そのものが、
プライドを手放すことなのかな、と。
それをするためには、
きっと1人では無理だし
誰かに助けてもらわなくちゃいけない。
猫被ったままで、すましていたら
格好はいいけれど、
いずれ背負いすぎて潰れてしまう。
勇気を出してプライドを捨て、
自分らしく生きようとする人のことを
下に見るような人間は
一生そのレベルにいたらよろしい。
何かをする上で、
プライドを持つことはとても大切。
プライドがあるから守れるものも、
たくさんある。
でも、大切なことは
プライドそのものじゃなくて
自分が健やかに幸せに生きられるために持つ
考え方の1つがプライドだよ、ということ。
文章はやっぱり落ち着く。
ここまで読んで頂きありがとうございました。
お久しぶりのコラム、
プライドについてのお話しでした💐