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これまでのこと

この記事をご覧いただいている皆さま、
初めまして。yukanaと言います。

初note投稿ということで、まずは発信しようと思ったきっかけや、ここに至るまでを簡単に書きたいと思います。

食べることに無関心で好き嫌いもあり、給食の時間が本当に憂鬱だった子ども時代。
(5、6時限まで食べれない給食が机にある子)

その後、成長しても、ごはんは特定の栄養食といわれる、栄養価が明記してあり手軽に摂取できるようなものが、健康にそして美しくなれると信じていた若かりし時。

そして、三十路を目前に突然やってきた。
普通にできていた日常生活ができなくなる。。
実家に引きこもる日々。。。

そんなある日、運ばれた救急病院のベッドでカーテンごしに先生が母に言った言葉。

「娘さんはうちにこられても何もできないし、正直困ります。精神科がある病院へ行ってください。」

今でも鮮明に記憶が残っているシーン。

弱体で必死に生きていた時にカウンターパンチだった。
先生は的確な対応で、専門医でなければ無理でしょ。確かにそのとおり。
今となれば、その時の私は心と身体がバラバラでとても辛かったけど、どこかそれまで見たことのない本質が見えていた気がする。
(当時引きこもりの私に対して、他にも親戚や周りの噂や言葉たちを聞こえてきたが、なぜかグサリと胸に突き刺さるわけでなく、その人達の仮面が剥がれて本質が見れたんだと、とても冷静に本質を客観視できていたように思う。)

話は戻り、それまでも身体の調子が悪い時は、病院の先生のおかげで良くなっていたから、
今回ももちろん、そうと思っていた。

その日、先生が母に言った言葉は本質が見えていた私の心の目を覚ましてくれた。
その出来事があったから、私が今ここに存在できていると思っている。
(余談、その先生の名前や顔は一切覚えていない、、けど、今改めて感謝申し上げたい。もし、まったくの別人が私でした。と現れても、深々と頭を下げる自信がある。)

ということで、その言葉を機にこれを治せるのはだれでもなく自分しかいない。(当時は病院から処方された安定剤を過剰に飲んで朦朧とする日々だった)

そこから本当に一歩一歩、時には半歩だったり停滞もしながら、巷で言う普通の生活を取り戻していった。
当時の話を、中医学を教えてくださる薬学博士の先生に以前話したら、とても驚かれた。

そして、普通の生活を取り戻しても、生活習慣は以前と変わることなく過ごしていた。

ある日ふと参加した料理教室で衝撃を受けた。
教えていただいたのは、自ら自給自足をされていて、基本のき、ごはんのこと。野菜のことを教えてくださる先生だった。
私はその時、玄米ご飯を食べた初めての経験だった。

その回の献立は

○玄米の椎茸混ぜごはん
○かぶのスープ
○蓮根のきんぴら
○昆布の佃煮
○りんごのコンポート

初めて食べたのにどこか懐かしく、そして身体の奥があったかくなる感覚。
いつもとは違ったものを食べただけなのに、心から元気になる感覚がある。
なんでなんだろう?と不思議な気持ちだった。


そこから、玄米菜食と言う言葉に興味をもち、縁あって尊敬する先生と出会い、その先生からマクロビオティックを学び、
また別の場所でインドの伝統医療アーユルヴェーダ。
次に中国の伝統医療、中医学へと少しづつ知識を積み重ねて、今も現在進行形で学びを深める日々。

そして、これまでは知識を吸収することにいっぱいで、学んだことを実践し、それが実用的で効果的なのかどうか、自身で実験的にやっていたりしたが、これからは、学んだ知識をどんどんシェアして、私が考えることやそれに共感する方達とのコミュニケーションを、この場を借りながらやっていけたらと思います。

不慣れでわからないことたくさんですが、毎日何かしら書きたいと思っていますので、これからどうぞよろしくお願いします。


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