『三流シェフ』三國清三

「実力」ではなく「努力する姿」を売ろうとしていたに過ぎなかった。長らく半生の間違え探しをする中で、わかっていた。もう、とうに気付いていたのだけれど、彼の生き様と比較したときに、輪郭をはっきりと見せつけられて息が詰まる。

「人はそれほど苦労を評価しない」という一節に、眩暈がしたと思うや否や目が覚める。要は、「いかに楽しんで取り組むか」ということを説いているもの。彼は本当に、鍋磨きと実力で好機を掴み続けていた。

若い頃の地べたから這い上がるような野心は、負けず劣らずだったかもしれない。決定的に異なるのが、愛嬌と実力。過去、私の真面目さを買って可愛がってくれる好々爺は確かにいた。それでも、結果がその事実を裏付ける。

どの時期を切り取ってみても、苦労や努力が美徳だと思い込んでいた私の脳内は、いつだって苦しみに塗れている。我が家は先祖の禅の教えが形骸化していて、もはや歪んで別のものとなって受け継がれた克己心的なものに囚われて生きてきたのだった。

お金の使い方を知らなかった。彼が「稼いだ金は全て自己投資に使え」を実行できたのは、時代と若さが手伝っていた側面もあるかもしれない。私は、彼ほど自然の近くで育まれず、彼ほど貧乏な生まれではなかった。貧乏になる勇気の乏しさから貯め込み、使ったとしても大抵は娯楽に終わる。心を満たす目的を果たした一方で、手に職をもたらさない。お金の大切さは十二分に知っていたものの、お金の使い方を間違えていた。これは人生を左右する観念だ。

今だって、怖気付いてあまりお金を使えない。若さとキャリアを手放して、質素に生きながらえている。いたずらに時が経ってはや数年、ちっとも前に進めた気がしない。ただ、自己投資の意義は傷口にしっかりと塗り込まれて、「野放しにした私」が望むまま本を貪るのみ。

「群来」が歴史上の出来事のような時代に生まれ育った。食べることは作業だった。もともと少食で味覚も鈍感。「群来」のことは、数十年来にやってきたと歓喜するニュースで、いい年になってから初めて知った。京の鰊蕎麦に堂々と寝そべる鰊が故郷からもたらされていたことも、京の街で知った。故郷のことを知るにはあまりに遅い。それでも、離れてからでしか目が向かない、ということもあるのだろう。

料理が大嫌いだった。キッチンの母の脚にまとわりついて、煩わしさを露呈されてからずっと。何より女らしい仕事が嫌だった。紙面に顔を並べる著名なシェフに、男性が多いこともわかっている。男尊女卑というよりは単に、古い観念やら女の仕事全てを背負わせている家族や担わされている母に対する反抗心からきたものだろう。

大学生になって外食の愉しみを覚えた。社会人になって家を出て、包丁を握る手のおぼつかなさにひとり恥じ入ったのだった。洒落た高級鍋とフライパンを手に入れ、かたちから入る。いざ調理となると、あまりに億劫だから料理は美術だと思い込むことから始めた。

人生わからないもので、たったのふたり分だけれど、今は家の調理場をつかさどる者となっている。蔑んできた母の苦しみを味わってみたくなった。懺悔みたいなものだ。レシピ通りにしか調理できず、「少々」に苛立っていた私も、だいぶ目分量がわかってきた。家庭料理程度なら、レシピがなくても冷蔵庫にあるもので作れる。

三國清三シェフの師は、フレンチ界のモーツァルトやダヴィンチであり、やはり料理は芸術だった。

今の私は、危なっかしい図画工作からようやくデッサンといったところか。『三流シェフ』、三國氏の人生が白濁した文字に乗っかって、心に押し寄せる。触れる人に気力を種付ける。彼の生き様は、「群来」だ。

私も濁ってゆくがいい。よどまずに濁ってゆけ。ひとり書きつけることから始めよう。「紙の上に、僕がある」。


2024/03/24読了✍️
『三流シェフ』/三國清三
・増毛 マシュケ ニシン漁 群来 ビストロサカナザ
・『皿の上に、僕がある。』
・「誰のためでもなく自分のためだけに料理を作りたい」

#読書感想文 #三流シェフ #三國清三

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