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「AIにはできない 人工知能研究者が正しく伝える限界と可能性」

1 前書き
2 本書の内容
3 AI杞憂

1 前書き

AIに関しては聞かない日がないくらい毎日話題になっている。
特に生成AIはその有効性が評価される一方で「人間を堕落させる」云々など今後の在り方が声高に議論されている。
私もChatGPTなどの生成AIを時折使っているが、これがどのように社会を変えていくか非常に興味を持っている。
そんな想いもあって今回この本を手に取った。
余談だが、様々検索してみても思いの他、「AI」に関する書籍が無いことに驚いた。
私は4月から半導体・自動車部品メーカーに就職する関係でEVや自動運転技術に関連する書籍も探していたのが、それに比べても種類がパッとしない。
掘り下げると専門性が高い分野であるから一般向けに書きにくいということもあるのかもしれないが、専門家を含めまだその行き先が不明瞭であるのかもしれないと感じた。


2 本書の内容

続いて、本書の内容である。目次は以下のようになっている。

〈目次〉
第1章 AI開発の歴史は未来のためにある
第2章 生成AIには何ができ、何ができないか
第3章 AIは経済の浮揚に寄与するのか
第4章 AIを使うか、AIに使われるか
第5章 社会が生成AIを受け入れるための課題
第6章 人とAIの共生
第7章 AIのスケール化と日本の未来

個人的に気になった部分は第3章と第7章である。 
第3章では経済に貢献するには各人が生成AIシステムを有効に使う必要があるという、当然のことが主張されるわけだが、その中にある生成AIに対する注意書きが興味深かった。やや長くなるが引用する。
「生成AIからの回答は、膨大な人々のデータを背景として生成されることから、ほとんどの場合自身の考えよりも多様性があり、説得力のあるものが返ってくることになる。そうなれば、自身にしっかりしたインセンティブがあり、AIからの回答でさらに自身の考えを深化させようという強い意思がないと、AIからの回答を鵜吞みにするようになってしまう。その意味で、生成AIは、無機質なシステムというより、とんでもなく多くの人々と容易にやりとりするような生きたシステムだと見るべきなのである。油断するとすぐにAIからの出力を鵜吞みにしようというダークサイドに落ちてしまうことになる。」
「生成AIはとんでもなく多くの人々と容易にやりとりするような生きたシステム」であるのは確かにその通りでありこの感覚は非常に大事だなと感じる。持つべきはAIそのものに対する不信感ではなく、その背景にいる様々な思想・性格を持った人々に対する意識なのである。
第7章ではAI技術に対する日本の未来を憂い、その将来に期待を寄せる。
日本が米巨大テック企業にAI開発で競争優位を確立する手立ては「小粒AIを束ねることによるスケール化」らしい。すなわち、GPT-4のような大粒AIは構築できない代わりに用途などを限定した小粒AIを集合させることで多様かつ高い性能のAIを実現しようというのである。
私個人としては技術集約的に米のような大国が完成されたAIを作ってくくれば良いのだが国内でもそのような発展の可能性があることは同業界に勤める予定の者としては嬉しいニュースであった。


3 AI杞憂

最後にAIに関する過度な杞憂に関して述べたいと思う。
この本を含めてAIが人を飲み込むというが実際それは恐れる程なのかと思う。
例えば「仕事を奪われる」というが、当然各業界の技術が変化すれば中・長期的には雇用削減の「痛み」は出てくるにしてもそれは社会全体にとって必要な変革であり致し方無い。もしそういうのであれば、奪われないような工夫を各々考えるしかない。
また、「知性」という人の根源な能力を奪われることに対して過度に煽る人達もいるが、そんなものは人の能力の一部でしかない。「移動」という面で車に先を越されて悔しがる必要がない様に、「知性」だって幅広いのだからドライに考えていいのではないか。

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