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『星の王子さま』サン=テグジュペリ
コバさんから紹介頂いた『星の王子さま』(サン=テグジュペリ)に関する追加note記事である。
1 はじめに
『星の王子さま』(原題:Le Petit Prince)はアントワーヌ・ド・サン=テグジュペリによる名作で世界中に幅広く愛されている。
私自身大昔に読んだ記憶がある。ただ、覚えているのはSFかつメルヘンチックな雰囲気のみで内容は断片的にしか記憶にない。今改めて読むと柔らかい世界観の中にも確固たるメッセージが含まれていることに気付く。
結論からいうとこの物語は「人間関係の重要性」をストーリーの中心に据えている。この視点でいくと話は次の3部に分けられる。
Ⅰ 「バラ」との出会い
Ⅱ 6つの星+地球での出会い
Ⅲ 「ぼく」との別れ
2「人間関係」:絆と別れ
Ⅰ 「バラ」との出会い
星の王子さまが自身の星で「バラ」と出会う場面である。星に咲いたバラはなんとも美しいのだが、風よけのためについたてやドーム型のガラスを要求したりと高飛車で少しずつ王子との間で軋轢が生まれてしまう。ただ、王子が星を飛び立つ際には今までの行いを悔いるようにして、「私が馬鹿だったのよ」「ごめんなさい。どうか幸せになってね」「そうよ、私はあなたを愛していたの」などと言って別れを惜しむ。バラは意地悪な言動の裏腹に優しさを隠していたのである。
この「バラ」は人々にとっての欠けがえのない存在を表しているのだろう。それは場合によっては「恋人」であろうし「母親」であろう。
そこは人々が深い人間関係を築く場であり、厳しくも愛情を持った存在が待つ場であり、最終的に王子が帰っていく場でもある。
Ⅱ 6つの星+地球での出会い
外へ出た王子は6つの星を旅し地球に辿り着く。6つの星では王様やうぬぼれ男、酒飲み、ビジネスマン、点灯夫、地理学者など奇天烈な人々に出会う。王子さまにとって点灯夫以外の人物は「ヘンな人達」なのだが、一体何がヘンなのか。以下はその彼らの特徴である。
①王様:大事なことは自分の権威が尊重されること。根は善良だが「相手が自分の命じたことに従うここと」に固執する。
②うぬぼれ男:他人はみな自分の崇拝者と思い込んでいる。周囲に誰もいなのに承認欲求と自意識で固められている。
③酒飲み:酒を飲むことを恥ずかしがり、恥ずかしいことを忘れるために酒を飲む変かった人。完全に自分の中に閉じこもる。
④ビジネスマン:自分の所有する5億以上の星を数え上げ、紙に記している。数字と所有に固執する。
⑤点灯夫:自転が早いために一分に一回昼が訪れる星の街灯員。街灯の火を昼につけ夜に消すため休まる時がない。前の惑星にいた住人と違くて、他者を世話をしているので、王子は点灯夫だけは滑稽じゃないと王子は感じた。
⑥地理学者:老紳士。探検家の証言から地形図を作る仕事をしているが、探検家がいないため自分の星のことは何も知らない。自分で行動せず人からの伝聞と証拠が全て。
私も感じた彼らに対する違和感は「それぞれの力を発揮するには他者が必要なのにそれが全く意識されていない」ということである。敢えて表すなら、王様(権威)、うぬぼれ男(承認)、酒飲み(孤独)、ビジネスマン(所有)、地理学者(知識)だろうか。
点灯夫以外はその存在を成り立たせるために「他者」を必要とする。(酒飲みはやや変則的だが、「内に閉じる」のは外に人がいて初めてできることである。)
それなのに一人の世界であたかも力を発揮しているように振舞うから王子にとっては不思議であり滑稽なのではないだろうか。
現代社会においても人々は「他社の存在」を忘れがちになっており、あたかも全て最初から存在する又は自分で完結されるものと考えてしまっている。
特にこの作品においては宇宙や星、砂漠など広い世界における「孤独」が強調される。これは暗に分断された世界を表している。
サン=テグジュペリはこのことをきっと憂いていた。
Ⅲ 「ぼく」との別れ
最後に「別れ」である。当然出会いがあれば別れもある。
それは単に関係の自然消滅や喧嘩別れかもしれないが最も強烈なのは「死」である。(作中では直接的に「死」が描かれいているわけではないが。)
恐らくサンテグジュペリも戦争で少ない知人や友人を失くしたのだろう。
究極的な別れを物語の最後に据えている。
3 おわりに
私が主題を「人間関係」と捉えたのは最近そのことに関して考える機会があったことも関係している。私は作品内の人物で「酒飲み」的な性格が強い。別に四六時中酒を飲むわけではないが、自意識が内に内に入っていってしまう傾向がある。誰しも「自分」が一番可愛くて大事なのだからその傾向があるのも至極当たり前なのだが、今後は積極的に人と関わって「点灯夫」のように「他者」のために動ける人間でありたいと思う。