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生徒の判断を奪わない。先生は【メディア】

新聞を教材にした「メディア情報リテラシー」の学びを4コマでデザインして実施しました。

※「メディア情報リテラシー」は、ユネスコによると、「批判的、倫理的、効果的な方法によって、 あらゆる形式の情報・メディアコンテンツに、様々なツールを使って、アクセスし、検索し、 理解し、価値判断して活用し、創造し、共有するための一連のコンピテンシーで、市民が個人的、職業的、社会的活動に参加したり携わったりすることをエンパワーするもの」だそうです

(中植正剛ら「ユネスコのメディア情報リテラシーにおける コンピテンシー概念の整理」、『教職課程・実習支援センター研究年報』4、2021年2月、神戸親和女子大学)

上記はとても広い概念なので、私が今回目指したのは、「メディアが発するメッセージの価値観や捉え方や発想や伝える目的などを考察するために、その伝え方や表現の仕方に着目して分析し表現するスキル」、これの育成向上です。

先日、その最後の授業で、専門家の方に来ていただきました。それまでの授業では、新聞のラテ欄(テレビ番組欄。むかしはラジオ欄もあったんですよね)や、見出しの工夫などについて取り上げて、表現すること、伝えること、誰に伝えるのがどう伝えるのか、なぜ伝えるのか、などを考えてもらいました。

意外と、ラテ欄の「たて書きをみつけよう」が盛り上がりました。こういう意外さ大好きです。

また、新聞に掲載された写真と見出し、本文とを見比べることによって、この写真で何を伝えたかったのかを分析することにも取り組んでもらいました。

最後の授業は、報道写真の分析です。

読売新聞オンラインには、読売新聞社の写真部員の方々が選んだ「写真で振り返る2022年」という特集があります(※ちょっと見つけにくいので、関心のある方は下記のリンクからご覧ください)。

今回は時間が無かったので、この特集の写真137枚から、4枚の写真をこちらで選んで分析の材料として生徒に渡しました。ほんとなら、自由に選ばせるべきですが、時間が……

私が選んだのは、次の4枚です(著作権の関係上こちらに写真は載せません)。
①北京五輪・スキージャンプ混合でスーツ規定違反で失格となった高梨沙羅選手が2回目の着地後に顔を両手で覆っている写真
②コロナの水際対策が緩和された後の日曜日、外国人観光客らでにぎわう浅草の仲見世通りの写真
③「陽性」での出産となったため、新型コロナ病棟で出産した息子の写真を見る女性の写真
④人と協働するロボットFoodlyが総菜の生産ラインに入り作業をしている写真

①②の写真については、下記の2つの問いを考えてもらいました。
 ・この写真を読売新聞の写真部員が選んだ理由 
 ・何枚も撮ったであろう写真からこの写真を選んだ理由

③④の写真については、別の2つの問いについて考えてもらいました。
 ・この写真があらわす「世相」とは何か
 ・この写真の「構図」が読者に与える意味は何か

上記の問いへの回答は、Googleフォームに入力して回答してもらいました。その方が、「漢字が思い浮かばなくても漢字で書くことをあきらめずに済む」「回答を共有する(クラスで見る)ことが簡単」「集計するのが簡単」だからです。紙じゃぁそうはいきません。

生徒の回答はこちらには載せられませんが、とっても良く書けていました。それは、この問いに取り組んでもらう前に、専門家の方に、「自分ならどの写真を選ぶのか示してもらう」「その写真を選んだ理由を写真の読み解きをしつつ解説してもらう」、といったことをしていただいたからです。

そのおかげで、生徒たちは「写真を読み解くこと」「読み解きに基づいて自分の分析を書くこと」ができるようになりました。専門家の方の読み解きや解説、そして目の付け所は、教員の私の思いもつかないことで、わからないことで、したがって私だけだったらできないことでした。

これが、私が学校での学びに専門家の方にご協力いただく理由の1つです。教員として学んで知識や知見を得ることはもちろん大切なのですが、専門家として経験を積まれた方のその経験やスキルには太刀打ちできません。ならば、可能な範囲でご協力いただくことが、生徒のために良いといえるでしょう。それに私の知見も増えますし(ぼそっと)。

ところで、この最後の授業には、首都圏の大学に通う大学生が見学に訪れてくれました。この学生さんは、「若者が学校で時事問題や社会問題を知り、話し合う機会を増やす」ための効果的な⽅策とは何か、というテーマを立てて研究を進めていらっしゃるとのこと。この研究のために、時事問題や社会問題をあつかう授業を見て、教員にインタビューしたいと、いくつかの高校を回っているとのことでした。
偉すぎる(学生の頃の私といったら…)ので、依頼が来たときに二つ返事で「いいよ~」と答え、ちょうどこの授業がピッタリじゃない、とお伝えしたところ来てくれた、という次第。

午前中ずっと授業を見学されて(ずっと見てるってけっこう大変です)、午後からはインタビュー。いろいろと聞かれたことに答えたり聞かれないことも話したりしたのですが、その中で、今回の授業に深くかかわることとして下記の事をお話ししました。

先生は【メディア】だと考えて学びをデザインしています
さまざまなメディアから発信される情報やメッセージについて「吟味する態度や力」を育成したいというのが、私のメディア情報リテラシーの学びの目的の1つです。
学校は中高生がその日常の半分以上を過ごす場。
その場で、情報やメッセージをもたらすのは教員です。
ならば、教員を情報やメッセージを発する【メディア】と捉えて、価値観や捉え方や発想や伝える目的などを考察すれば、「吟味する態度や力」を日常的に訓練できるのではないか、と考えた訳です。

なお、私は生徒に、上記のことを他の教員に対してもそうするんだよとはけっして言いません。この考え方は私の学びでの目標にすぎないからです。
また、私に対して上記のようにしてね、といってもパッとできる訳ではないので工夫がいります。
なので、授業についてのねらいや意図を必ず説明し、時折「これは私の意見だから、違う意見もあっていいんだよね。ちょっと私の意見に対して批判的に書いてみよう」という課題を出したりして、徐々に慣れていってもらいます。「二田のスキームをとらえようキャンペーン」です。

このことは、「学校で時事問題や社会問題を知り、話し合う機会を増やす」学びのためにも有効かもねとお話しました。

私はこれまで、「学校で時事問題や社会問題を知り、話し合う機会を増やす」学びをいくつかデザインして実践してきました。その際には、「知識やスキル」を「教える学び」が必要不可欠だと考えてデザインの中に入れ込んできました。
その「教える学び」は、「生徒が自分で考えて判断すること」を支えるための学びとして位置付けてきました。そうしないと、「先生と生徒」という権力関係で、「先生の教えることは正しい」という意識を強化してしまい、生徒の判断を奪ってしまう結果を生じかねないからです。
特に、「学校で時事問題や社会問題を知り、話し合う機会を増やす」学びではその恐れが強くなります。

そうならないために、私はメディア情報リテラシーの学びに取り組み、自分自身を【メディア】として生徒の前に見せているのだろうな、と学生さんとお話ししながら、改めて思ったのでした。

いい機会をいただけてありがたかった。学生さんに深く感謝です。 (了)

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