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虎に翼 第114回 百合さんのお世話

冒頭は百合さんが口紅を真っ赤に塗りたくって「ちょっとお買い物に」と夜十時半過ぎに下りてきたのに対応する航一と寅子。だんだんと進んでいく認知症の、日常の描写がリアルで、余貴美子さんの鬼気迫る演技は朝ドラ史上に刻まれるのだろうと思います。

百合さん、あれほど精魂込めて楽しそうにこしらえていた料理ができなくなり、食べこぼしたり、食べている最中に動きが止まってしまったり。←そういえば私の父もある時期それが日常でした。

認知機能の症状とひとことでいっても、体力的な老化が並行するように進むことも多く、これはもう、実際に家族の介護を経験した人の目から見ても、五人居れば五通りの介護です。老人介護の仕事をなさっている人たちの、体力だけではない「つねに相手に応じて臨機応変」を要求される日常を想像すると、有り難さに頭が自然とさがります。

こんな具合に、つい自分の経験を語りたくなってしまいますが、介護はそれ自体「疲れてしまう」とハードなだけではなく、誰がその作業を引き受けるのかも、大きな問題となります。ヤングケアラーが社会問題として「可視化」されるようになったのは最近です。星家でも、同居するのどかや優未も、家族だからと当たり前のように「お世話」を分担していたのでしょうが、日中の留守居とお世話のために雇われた吉本さん一人の手には負えなくなることも増えていたのだと想像します。

のどかを蹴り飛ばしてそのまま家を飛び出してしまった優未。
頼ったさきは登戸の猪爪家ではなく、上野の山田轟法律事務所(かつてのカフェ燈台)でした。たとえば寅子が新潟で稲さんに「頼れる場所・居場所をいくつか持って欲しい」とライトハウスでの手伝いを紹介したことが思い出されました。上野のこの場所は、かつて売られそうになったよねが姉を頼ったときに紹介され、戦中はよねが困った人たちのための「もぐり」の法律相談請負を営み、戦後は轟が合流し、浮浪児たちのための炊き出しなども続けてきて、他に頼る先がない人たちの避難所としてあり続けた。

燈台という名前も、ステンドグラスの燈台の意匠も、そしてよねが壁に書き殴った憲法14条もあわせて、さらにいまは「原爆裁判」という、ずっと辛さに耐えてきた被爆者の救済を求めるための裁判を手がける「雲野弁護士の志を引き継ぐ弁護士三人」の本拠地となっています。

優未がそういう「逃げ場」をきちんと持っていて、灯台守たちがあたたかく迎えてくれる、というこまやかな描写にホッとします。轟が優未に紅茶をいれてくれる場面、ポットの注ぎ口をまるでネルをフィルターにして珈琲を淹れるときのようにくるくるまわす動作が微笑ましかった。

「それで、ついお姉ちゃんのことを蹴り倒しちゃって」という優未の言葉に、なんとも気まずそうに目線を交わす轟とよね。学生時代の二人はどちらも、殴ったり蹴り倒したりしてしまった側だからでしょう。復員して酔って行きだおれていた轟を起こそうとしたよねってば、そういえば太一のこと蹴りとばしてませんでしたっけ。おっと、話がずれた。

明律での轟は「男同士の拳での語り合い」みたいなことが多かったけど、よねのほうは、どちらかというと先手必勝。あるいは、暴力夫と別れたい妻が取られた着物を取りもどしたいという案件の際は、拳をふるう夫のまえに立ち塞がり「あえて人前で殴らせる」ことで被害者となり、法律を有利に使おうという素振りを見せたこともありました。

――うん、怒っちゃいけないことなんてないよ。ただ、口や手を出したりすることは、変わってしまうことだとは覚えて欲しい。

「どうしてもあやまりたくない」「それでも怒っちゃいけないの?」と疑問を投げかける優未だけでなく、むずかしい裁判の弁論を準備している轟やよね、そして視聴者の耳にも遠藤の言葉はまっすぐ届きます。優未を迎えにきた寅子も扉越しに聴き入りました。

その人との関係や状況や自分自身も、その変わってしまったことの責任は、優未ちゃんが背負わなきゃならない。口や手を出してなんの責任も負わないような人には、どうかならないでほしい。(遠藤の言葉)

普遍的な真理を語ることばとしても響きます。

姉妹の衝突というだけではなく、暴言や傷害といった「変えてしまったことへの償い」ともとれる。家に帰った優未が、バカじゃないのにバカと言ってごめんなさい、と暴言についてあやまったけど、蹴りについては据え置きというか、それとも単なるドラマ演出の「余白」か。この先の伏線か。

晩ごはん用にこしらえてあったシチューは、百合さんに「腐ってる!」と捨てられてしまいましたが、航一とのどかが作りなおしたのはカレーでした。ま、カレー粉が入っているかどうかだけの違いですかね。

そしてここでようやく15分を折り返し、後半は昭和37年1月。
裁判の前日に、原告である吉田さんが上京してきて「国側は吉田さんにとって辛い質問を準備しているでしょうが我々がお守りします」と灯台守の弁護士三人に迎えられます。その夜の、よねと吉田さんのやりとりは、いまこうして書き起こしながら振り返ると、このドラマの「永遠に記憶にとどめておきたいシーン」だったと思います。

――やめましょう、無理することはない。

声をあげた女にこの社会は容赦なく石を投げてくる。傷つかないなんて無理だ。だからこそ、せめて心から納得して自分から決めた選択でなければ。(よねの言葉)

劇伴は、優三さんと寅子の痛切なシーン以来の、セバスチャン・マードック(ベル・アンド・セバスチャン)の歌唱による《You are so amazing》でした。


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