熱田神宮の「曽志茂利(曽尸茂梨)」とは何だろうと調べてみた件
熱田神宮境内末社 曽志茂利(そしもり)社
御祭神:居茂利大神
最初に「曽志茂利社」と文字を見た時は、なんか聞いたことあるけど何だっけ?的なレベルでした。
ただその場所にある摂社末社が、素戔嗚を祀る摂社、その子の一柱、その孫の一柱、素戔嗚とアマテラスの間の八人の御子である八王子を祀る摂社であったため、十中八九素戔嗚がらみのものだろうと思いました。
それにソシマリって何だっけーー!
と思うも、時間がないので帰ってから調べました。
気になったら、納得するまで調べるタイプです。
一度旅に出ると気になることが山ほど増えますが、メモするまでに留め、戻ってから調べるわけです。
これはその最初の一行に過ぎない(つまりまだまだ山ほどある)
うむ。
たしか日本書紀には、素戔嗚は爪などをはがれボコボコにされ、財宝をほとんど没収された後で高天原を追い出され、まるで島流し的な感じで遠くに降ろされたのではなかったかな。
私が遠くに流されたのね、と思った場所であったか。
もちろん島流し的なのは主観ですが。
ここまでされて追い出されたのに、都的な場所に追い払われるのがしっくりこないからそう思ったのです。
その場所にいた素戔嗚は、確か植物も育たないのでここにいたくないと、息子のイソタケルとともに降り立ったとされるその地をあとにして、植物がないので木ではなく、土で船を作って出雲へやってきたとあったはず。
調べるとそうでした。
うむ。
どういういきさつでそこにいたのかはおいおい調べることにしよう。
私は神話に誰か作者がいて、壮大な妄想話を完全に想像のみで書いたものとは思っていません。
実際にあった出来事をモチーフに神話風にして伝えた物語だと考えます。
もしくは歴史を語り継ぐうちに物語性を帯びたのかなと。
「古事記」や「日本書紀」はまた別で、天武天皇が書くように命じたもので、つまりは天皇家側からの歴史書という意味合いがあると思っています。
天皇家と括ってしまうと色々問題を含んでしまうので(私は皇室そのものは好きなので)施政者側から都合のいいストーリー仕立てにした可能性は否定できない、ということですね。
その典型例が、国譲り。
「出雲をヤマトに譲ってもらった」というか、ヤマトが出雲を脅して奪っ…いえ、譲るよう強く説得した感じ?(笑)
でも古事記なども歴史的な事実がたくさん含まれていると考えます。
なので理由はさておき、素戔嗚とその御子である五十猛が出雲に行く前に新羅にいたのは本当なのだろうと思うのです。
そこから出雲に行ったのも偶然ではなく、上質な鉄が採れる土地だから行ったのでは?
まあ近かったので流れ着いたのは本当の可能性もありますが。
でも、出雲でたまたま出会った老夫婦から話を聞いて姫を救うために「ヤマタノオロチ」を倒したわけではなく、その地を支配していた可能性があるオロチ族が持っていた「天叢雲剣(草薙剣)」を何らかの方法で奪ったとか?
などと考えたりするのです。
オロチに関しては別に考察するとして。
出雲と鉄は切っても切れない重要な要素であり、だからこそヤマトも出雲が欲しかった。
出雲神話を見ていると、素戔嗚が曽志茂利にいたことがあまり語られていないので、私もそこまで重要視していなかったのですが。
よく考えたら、わざわざ記録に残っているし、何か意味があったと考えるのが普通です。
渡来人か?
つまり素戔嗚もそこで製鉄の技術を学んだのか?
ついでに息子が植林をすることになるので、そんなこんなも学んだのか?
そこで秦氏のことが浮かんでくる。
ただ秦氏のことに関しては情報が色々ありすぎて、どれが真実なのかは素人の私にはよくわかりません。
だからこそ、京都にチマチマでかけて秦氏ゆかりの地を実際に巡ったり、関連の本を読んだりしています。
ネットの情報はヒントにするけれど、うのみにはしないと決めているので。
熱田神宮と出雲のことを調べてみたら、どうやらもともと尾張氏は出雲系だったと書いている記事を見つけて。
なるほど!
ここも歴史の流れから、神様が置き換えられた可能性がある場所なのですね。と思いました。
だからこそ、小さな祠に曽志茂利の文字を残したのは意味がある。
ということで、昨日ちらっと調べただけなので、まだまだ謎の解明ははじまったばかりなのです。
ついでに、草薙剣盗難事件も関わっているのではないかと感じています。
だってもとは素戔嗚のものだったわけだし。
盗難した人が新羅の僧侶だったりするし。
熱田神宮だけで新羅二回出ましたー。
ということでこれは今後色々と調べるので保留事項で^ ^
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