一条恵観山荘:春の茶飯釜
現代茶道塾の松永さんにお誘いいただき、友人と鎌倉へ。花見客で賑わう鎌倉駅を抜けて、バスで浄明寺に向かいました。
今日の会場は敷地内のお茶室です。江戸時代初期、後陽成天皇の第九皇子であった一条恵観が営んだこの茶屋は、京都から移築されました。この日は、眩しいほどの新緑と青紅葉に囲まれていました。
1.江月庵(点心・薄茶席)
手を清めてから、茶室・江月庵へ。
江月庵には、利休道歌がかけてありました。
「茶の湯とは 只湯をわかし茶をたてて 飲むばかりなる事と知るべし」
ドイツ在住の書家、村上綾さんの筆です。
まずはここから、と姿勢を正して、お茶席が始まりました。
今日は、茶飯釜の趣向。釣り釜でご飯を炊くこの趣向をはじめて知った時には、驚きました。
ご亭主がご挨拶してくださる間に、お点前さんが研いだお米を投入。お正客とお話をされる間に、ご飯が炊ける香りが漂ってきました。
一発勝負のお茶席で、うまくご飯が炊けるかどうか、炭の熾し方、湯加減、釜の位置など、随所に注意と経験が求められます。全員が息を飲んで見守る中、釜が降ろされ、一文字にかたどった煮えばなが提供されました。
その一口の美味しかったこと・・!
ほんのり墨の香りが漂って、お米の生命力を丸ごと頂いている感覚です。
無事に炊けてほっとしたご亭主とお客さまの歓声とともに、ふわふわの蓮根饅頭、つくねとスナップエンドウの炊き合わせ、豆水豆腐など、丁寧で心のこもったお料理の数々を楽しみました。
お菓子は、鎌倉のお菓子処茶の子さんの山椒饅頭。先ほどの釜を洗って沸かしたお湯で、一服を頂戴しました。
お正客の第十三代楽吉左エ門による大福茶碗にも、中村動年(五代)の替茶碗にも、そして数茶碗にも鶴が描かれ、春の訪れを華やかに寿いでいるようでした。
お茶室建築をされるご亭主と、今まさにお茶室を建築中のご正客の間でのお茶室談義も大変興味深く拝聴いたしました。
2.紅葉庵(濃茶席)
3畳の小間の紅葉庵へ。光の指す室内には、後鳥羽院の歌が掛かっていました。
「人もおしひともうらめしあぢきなく 世をおもふゆへにものおもう身は」
後鳥羽院は新古今和歌集の編纂を命じるほど和歌を愛しましたが、承久の変の後、隠岐に流されました。
立派な小井戸茶碗の銘は「検校」。「検校」とは盲人組織の最高位のことだそう。その中に平家琵琶の演奏家も属していたため、ひとつ前の時代の平家物語を後鳥羽院がお聴きになり、さもありなむと思われたかも知れないと連想し、選ばれたとのこと。お茶人方は、そんな風にお道具を連想されるのですね。
熱田神宮の杉を使ったお茶杓は
「見渡せば 山もと霞む水無瀬川 夕べは秋と何思ひけむ」(後鳥羽院)
の歌を銘に持ちます。
ここ鎌倉の地で、時代に翻弄された後鳥羽上皇への思いが溢れる取り合わせでした。
3.恵観山荘内見学
お茶席で同席した係の方が、恵観山荘内を「少しだけ」と見学させてくださいました。和歌が好きだったという一条恵観の、雅な仕掛けが随所にちりばめられています。
文楽の人形遣いを描いた杉板。
宮中を意味する「月」裏側には「の」が描かれています。「月の・・」歌の始まりを予感させます。
「今日ご説明できたのはほんの一部」だそうですので、次回は見学会に参加して、じっくりご説明をうかがいたいと思います。
敷地内にはかふぇ楊梅亭もあり、スイーツや珈琲をいただくこともできますよ。人が多いイメージの鎌倉の穴場スポットなのでしょう。
鎌倉の春を楽しむひとときでした。
写真:Yukiko.K
文:山平昌子