ポストコロナ時代の茶の湯とは?の茶の湯とは?
先日、淡交社「なごみ」の500号記念企画「ディスカッション ポストコロナ時代の茶の湯とは?」のZOOM配信を見ていた。元文化庁長官や大林組会長、MIHO MUSEUM館長など茶の湯に関わる蒼々たるメンバーの中に小西美術工藝者のアトキンソンさんがいらしたのが、この対談の主たる成功要素といえよう。
茶の湯の変遷、建築・資材の観点など、先人たちの茶の湯論はそれぞれに興味深く、なるほどと思う。だがぼんやりと聞いていても、アトキンソンさんの言葉だけが色が違う。アトキンソンさんが日本美術に精通し、流暢な日本語を喋れるとしても、日本独特の不文律から自由なのだろう。色々な評判がある人なのかもしれないが、あくまでこの会議において、立脚点の違いが際立っていた。その他の方々は、茶の湯の経験を通じて獲得した能力を如何なく発揮されていたようだ。それは瞬時に会の意図や連客の関係性を把握し、無用な対立を回避して皆でその場を紡ぐ一座建立の技だ。いつもの会社の会議も概ねこんな感じではある。継続することが重要だった時代の教育が、新たなアイディアを望む時代には障壁となる。
私はこういった場で参加者の共通認識となる「次の世に引き継ぎたい茶の湯」とは何なのかに興味がある。
形ではなく、心をつないでいくことが大切とおっしゃった方もいた。しかし私からすればその心は、しっかりと引き継がれている。ただそれは「おもてなしの心」などと言った聞こえのいいものだけではない。先に述べた一座建立の技や「礼儀正しく、従順である」という日本的美徳と表裏の、個よりも全体を優先することを過剰に求める負の精神性ごと、である。
今多くの人がイメージする茶道は、昭和の茶道だろう。しかし花嫁修行の一環でお茶を習った人たちのほとんどは自分で茶会を開くことなどなかっただろうから、礼儀作法や和室での所作や心づかい等、おおいに役立った部分はあったとしても、そもそも茶の湯における「おもてなし」を経験していないはずだ。
以前お茶を習っていない友人をお茶会に誘ったら、「興味はあるんだけど、間違ったことをすると知らないおばさんに怒られるんだよね?」と遠慮された。「誰も教えてくれない謎ルールがあり、それを破るとやんわりと嫌味を言われる」「ずっと正座をして、道具の説明を理解できるようになるのに10年かかる」「折に触れお金を払わされる」という印象を教えてくれた人もいた。習っていない人にまで、こうしたイメージがきちんと伝播しているのである。
それでも、「ずっとお茶を習いたいと思っている」「憧れている」という声を聞く。整えられた空間に身を置いてすぐに利益に結びつかないものを愚直に学んでいくという、情報に溢れた日常と切り離された静謐な時間への憧れだろう。もちろん知的好奇心、教養を深めたいという気持ちもある。瞑想のように、今の時代にこそ必要とされる心のオアシスとしての茶の湯は、ビジネス雑誌などで安易に取り上げられやすい文脈である。
しかし注意深く目を凝らすと、その憧れへの回答は時に権力への従順、思考停止、同調圧力を強化する構造とよく似た働きをする。それはやんわりと茶の湯を、そして今の日本の首を絞めていくものと同質のものだ。それらの要素は、心一つで表裏となり、見分けることはとても難しい。感性や矛盾を丁寧に言語化していく訓練が必要なのかもしれない。
人間社会の営みである以上、政治にも医療にも農業にも、そして茶の湯にも例外なく、日本が今直面している課題と同じものが投影される。茶の湯への反映は、構造的、利権的な要素というよりも、文化的・精神的なエッセンスが色濃くなるだろう。だからこそここに、キーがあるとも言える。
アトキンソンさんの言うように、「みなさんが会議室に入って、この文化の大事さを議論していても始まらない」のだ。「今後の茶の湯とは・・」などと大義を考えることなく、自分の感性に忠実に、思いのままに取り組んだ勢いと情熱の中から次の茶の湯は生まれてくるだろう。一方で、今守りたい茶の湯とはいったい何なのか、またこれまで守ってきた茶の湯はいったいなんだったのか、という検証の視点も必要なように思う。
「なごみ」で抜粋版が読め、こちらから完全版が視聴できます。