常務との出会い
私には、人生の師匠とお慕いする方が2人います。
(尊敬する先輩•同僚•後輩•友人はそれなりにいます。)
そのお2人の内の1人は、前職の山九株式会社で出逢った前田元常務です。
大学4年生の時の就活最終面接で、その御方は6人の面接官のど真ん中に座っていました。1対6の面接で、汗をかきながらも何とか無事に面接が終わった後の前田人事部長(当時)の一言…「それにしても、よう喋る奴だなぁ」
その後、山九から内定をもらい、東京で行われる入社式に北海道から普段は着なれないスーツに身を包み、乗り込みました。
東京本社での入社式も早々に終わり、大卒以上の新入社員約100名は、会社発祥の地である長崎の平戸に移動しました。
平戸錬成館(別名:平戸刑務所)で、12人部屋(雑魚寝)での3週間の研修は、正直きつかったですが、学生気分の抜けない私たちには良い修行の場でした。学び舎です。
ようやく、その研修の最終日が来て、再び前田取締役兼執行役員が研修総括のために登壇されました。とにかくその気迫というかオーラに、学生面接では圧迫面接だ!と揶揄されるぐらいの方なのですが、私がその最終講話で強烈に覚えているのは、「君たちを全員幸せにしてやる!だから、山九の株を買え!」と仰ったことです。要は、持ち株会の勧めで、若い時から株を買い積み上げておけば、一つの財産になるし、社員とは違う株主という目線で会社を見ることが出来るというアドバイスでした。
それが2005年4月であり、時を経て2009年4月に私が千葉県市原市から福岡県北九州市に転勤になるタイミングで、「あぁ、関東もしばらく来ることが出来ないのか、関東の同期とも会っておきたいなぁ」という想いに駆られて、前田常務(この時点では、常務執行役員)に事前に同期会開催の旨を報告し、了承を得た上で、社内メールのCC.に前田常務を入れて、宛先に同期約100人に「2005年入社組 同期会〜春風〜 in2009」のメールをしました。全国は元より、全世界に散り散りになって、その場所場所で頑張っている同期なので、一度に集まることは出来ずに結局は10名ほどで集まることが出来ましたが、同期会開催にあたり、その過程で色々な同期とメールで会話が出来ました。久しぶりのメールを喜んでくれる者、同期会開催を激励してくれる者(自分は、今、海外で参加出来ないけど、応援してるよ!他)、ちょっとやり過ぎではないかという者、CC.に常務を入れるのは、失礼だ!と怒る者、そして、黙って見守ってくれる者、様々いましたが、こうした企画を立上げ、実行するにあたり大変勉強になりました。振り返ると、この頃からSNSみたいなことをやっていたんだなぁと思います。
しかしながら、その行動力を前田さんが誉めて下さり、幸運なことに私のことを気に入ってもらい、その後、東京や横浜出張の際には、何度も食事をご馳走になりました。
諸事情で、私が山九を辞めて北海道に帰る際も、「理訓ちゃん、九州から北海道に帰る途中、横浜か岡山(前田さんの生家)に寄ることはできんか?」と声を掛けて頂き、私は岡山県に行ったことがなかったので、「岡山に行ってみたいです!」と答えると、「よっしゃ、分かった。」と岡山の倉敷駅まで車で迎えに来て頂き、山九在籍最終日は、常務と平社員で、私の山九での4年7ヶ月を労って下さいました。
その時、私は「常務にここまでして頂いて光栄です。」とお伝えしましたら、会社の定時以降に「常務」と役職で呼ばれるのが嫌いな前田さんが、「何が常務か、人間、裸になりゃ皆んな一緒だ!」と仰って頂いたのも思い出です。
そうして、前田さんの生家で、たった2人きりで美味しいお酒を酌み交わし、色々な話に花が咲き、次の日の朝食まで用意して頂いて、最寄りの駅へ送って下さいました。
それからも前田さんとは、ご縁があり、人生の節目節目では人生の先輩として、私に助言して下さいます。
一昨年の4月には、前田さんの半生をまとめた452ページもの自叙伝を北海道に贈って下さり、今では私にとっての人生の指南書です。
前田さんとは、たくさんの思い出があるのですが、ここまでで既に長くなり過ぎたので、また別の機会に。
あと、もう1人の人生の師匠の井上さんの話もまたします。
それでは、ご安全に!!!