ドラマ「3年A組」から考察する教師の役割
昨年「3年A組 今から皆さんは、人質です」という、架空の私立高校を舞台にしたサスペンス・学園ドラマが話題になった。
このドラマのあるシーンにおいて、スポーツ推薦で大学入学が決まっている男子生徒と教師の、次のようなやりとりがあった。
教師「おまえのゴールはなんだ?試験に受かることか?それとも卒業して選手を続けることか?」
生徒「そんなものわかんねえよ。目の前のことで精一杯だよ。」
教師「おまえたちはそれでいい。」
また別のシーンで、その教師は、3歩先までしか見えていない生徒に、レールをひいてあげることが教師のやることだ、という言葉を残していた。
私は、この言葉には、教師のやっていることの本質的な難しさが含まれているように感じた。
今の時代、社会にはレールなんて存在しない。
いい大学に行っていい企業に入ることが人生の成功を意味するわけでもないし、
何が成功なのか、何が幸福なのか、その定義は人によって異なる。
にもかかわらず、教師は「レール」を引くという役割を担っている。
それはなぜか。
それは、子どもは3歩先までしか見えていなくて、目の前のことで精一杯だから。
だから、教師は、4歩先、5歩先に起こりうることを考えて、
その子どもにとって、きっと良いだろうと教師が思うことを、良いものとして導いてあげていると言える。
それは、本質的には、子どもにとって良いものなのかどうかは、教師には判断できないし、その時の子どもにも判断できない。
でも、それは、教師の能力がないからでもなく、学校教育が遅れているからでもなく、生徒が悪いわけでもない。
この世界に生まれてまだ年月が浅く、生きた世界が少ない「子ども」を対象としているからこそ、そういうことが起きているのではないか。
学校教育には、そのような、構造的な難しさが存在するということが、
このドラマで暗示されているように感じた。