- 運営しているクリエイター
記事一覧
頭をよぎる事を全て口に出しながら、夫婦で無人の梅田を散策しながら.
日々の作業をこなしつつ、ふと時計を見ると日付が変わろうとしていた.
さっさと寝るか、少し散歩に行くかを迷い、目の前にいる妻に「忙しい?」とLINEを送った.
妻の返信を待たずして上着を羽織り、それを見た彼女もササッと上着を羽織った.
タバコ屋の前でうずくまる猫と数秒目を合わせて、新しい隣人の顔を確認した.
近所のコンビニに入り、暖かい飲み物を物色.
「少しぬるいね」とか言いながらレジに行き
日々短文雑記:日々短文雑記ってなんだろう.
日々短文雑記ってなんだろうか.
日常の中にあることを短く雑に記したものなのだろうけど、結局のところ質量の感じられる内容を書こうとしてしまうし、普段よりも手を抜いて書くものの、なんだか体裁を気にしている自分が傍にいるのが常だったりする.
面白エピソードを書く場では無い.
日々短文雑記は日常の出来事を書く場として捉えることが相応ではあるものの、色んな意味での面白エピソードを書く場ではないと思う
日々短文雑記:妻はおそらく年間500リットル近くコーラを飲んでいる.
私の妻は炭酸飲料が大好きで、彼女の生活を年単位で見ていると切り離せないものになっていると思える.
彼女は日常的に絵を描く人で、考案や作業の段階で何かしらの爽快感をブースト的な感覚で求めた結果、ゼロカロリーのコーラを飲んでいるらしい.
大工さんの思案タバコ
大昔から大工という仕事につく人は思案タバコをする人が多いらしい.
行き詰まって悩んだらタバコ、仕事が終わったら達成感とセットでタバコ
日々短文雑記:ドラマの音だと思ったらデカい雷だった.
今日は2022年8月18日.
昨日の昼間にドラマを見ていたら、窓が派手にピカッと光った.
見ていたのはスターウォーズシリーズのドラマ「ボバ・フェット」で、ちょうど戦闘シーンが多い回だった.
「ドカンドカンゴローン!」という感じで戦闘シーンの合間にタイミングよく雷が鳴り、窓が光るのを見るまでは雷が鳴っていることに全く気が付かなかった(ヘッドフォンを着けていたのもある).
戦闘シーンということも
日々短文雑記:そういや最近カメラ持ってねぇ.
最近カメラ持ってねぇ.
引きこもってばかりの生活が「最近カメラ持ってねぇ」と言っている.
そもそも外出というやつをやっていないので、そろそろ現代人らしい感じで街を歩いてみようかと思っている.
せっかくだからカメラを連れて行こう.
ときめくものがなくても、カメラは嘘をつかないだけあって、ある程度の身体性を保存してくれる.
彼なのか彼女なのか分からないけど、久々にお手並み拝見といこうか.
日々短文雑記:アベンジャーズとスターウォーズの話題で盛り上がりたい.
アベンジャーズとスターウォーズの話題で一緒に盛り上がれる友達がほとんどいない.
片手で数えられる程度しかいないし、そもそもそんなに話さない相手だったりする.
映画が好きな友達はたくさんいるものの、映画というコンテンツに対する熱量が旺盛な人は身近にほとんどいないし、そもそも作品ごとに対する熱量の違いなんかを感じることもあまりない.
個人的にはアベンジャーズやスターウォーズの作中にある演出について
日々短文雑記:カレーライスとカレーパン.
久々にカレーパンを食べながら
“カレーが食べたくてパン屋に入った過去の自分”を思い出していた.
当時の自分は全くおかしいと思っていなかったけど、今思うと少し変というか、妙だと思うところがある.
カレーライスとカレーパン、共通してるのは「カレー」という要素だけど、そもそも「カレー料理」というジャンルがあるとすれば、その中でもこの2つは、かなり遠い存在なのかもしれない.
ある人に憧れてレトルトカ
日々短文雑記:「今」は書くことがない日常.
書くことがねえ.
引きこもってばかりの生活が、「書くことがねえ」と言っている.
本当に書くことがない.
書きたいこともない.
伝えたいことはあっても、一周回って相手がいない.
夏は嫌いだが、夏の終わりはもっと嫌い.
終わりが嫌いな人間の性をしっかり享受していることに安堵する.
タバコを吸って速くなる脈を想うと、自分の体に対して「お互いに生きているんだな」と思う.
「想い」から「思い」へ.
若干の延命を期待して,季節外れのクリスマスソングを聴いている.
夏に聴くクリスマスソングが、短い夏を少しだけ伸ばしてくれそうな気がする.
そしてクリスマスソングが伸ばしてくれた若干の夏は、その若干さ故に、心に保存される気がする.
捉えどころのない人生を考えるとき、真っ暗な高速道路を走っている車の視界を思い浮かべる.
唯一見えるのはヘッドライトで照らされた数メートル先の道路と、遠くに輝く夜景.
自分が見ることのできる何かを励みにしてアクセルを踏み続ける感覚が、
自分らしさより,自分っぽさ.
自分らしさって難しい.
なぜ難しいのかを自分なりに考えると「“本当の自分”のような概念的な自分をしっかり捉えられている人にしか厳密な“自分らしさ”を意識的に出すことはできないから」となった.
「自分らしさ」は自分の影のように形や大きさが条件によって変わるものの、自分で自分の影だと判別できる程度には自分の本体に近い気がする.
それに比べて「自分っぽさ」は、雰囲気だったり匂いだったり、とにかく視覚
素直に言うとなんだろうか.
食いっぱぐれなければ良いと思えてきた.
いくら求めているものでも大量に手にするべきじゃない.
仲の良い友人や家族との距離感を保てるだけのそれと、妻と二人で生きていけるだけのそれで十分だと思っている.
子どもを授かることができたら、もちろんその分も.
勢いがある人と時間を過ごすと頑張れる感じがする.
同時に何かが張り詰めて破れそうになる.
元気な人と一緒にいると自分も元気になれる.
でも同じ時
言い換えたなら「自分のスランプを人のせいにする会でチョコ嫌いを詰りたい」的状況である.
完全にスプリッティングが起きている.
これをどうにか回避しようと工夫を凝らしてきたものの、ネットフリックスを見ている間に欲求がルールを放棄し、超えてはいけないところを超えてしまった.
千が招く前に、カオナシが乱入してきた的な状態.
これではストーリーがメチャクチャじゃないか.
数ヶ月前に発達理論で言うところの“肛門期”のぶり返し的現象が起き始め、他者を気にする精神的余裕がほとんどなくなってしまっ