カウンセリングセラピー備忘録②保育所での出来事がきっかけで噴き出した怒り


私の中にある闇に初めて光が当たった
暗闇の中にあるそれを、そうっと見つけだしてくれた
「そこにいたんだね…」
形がない、言葉にできないそれを見つけてくれた。
私は初めてそれを体感として認識した。


初めましてのAカウンセラーさん。
ブログの語り口がとても好きだったんです。


話しの出だしは子供のことでした。
次女(8歳)が、最近、パソコンにバックアップされてた動画を見てたんだけど、その中に、心臓が止まりそうな程ショックな動画を見つけてしまいました(娘はこの動画を見て、この時すごく嫌だった、とポツリと言ってくれましたが、私はショックすぎてうまくなだめてあげられませんでした。)


次女は5歳の冬に保育所に途中入所しました。緊張と恥ずかしさで、部屋に全く入れませんでした。ある日、それに対して先生が「だったら廊下で食べ!」と言って部屋のドアをピシャリとしめ、廊下の台にバン!と食べ物を置いたんです。それを目の前にしてポツンと座ってる動画でした。(先生がドアを閉めてからその様子を撮った)
私はこの時あまりのショックでフリーズしました。
情けないことに、何も言い返せませんでした。
色んなことがあり、次女は、先生が怖いと言って保育所に行かなくなりました。
次の年、姉弟2人で揃って一緒に通える保育所に転園しました(前の保育所は下の子は空きがなく入れてなかった)
4月から一年通い、無事卒園しました。

現在、保育所に入ってるのは末っ子だけなのだけど、ずっとお休みしています。
ある時、末っ子が、毎日同じ話をしてることに気づきました。
日を変えなるべくリラックスしてる時間に、くり返し聞いてみました。
いつ聞いても同じことを言いました。
言葉がまだとてもつたなく、一生懸命話す様子に、嘘をついてるとは思えませんでした。
内容は、先生の言葉遣いや、叩く、そのような事でした。
心臓が跳ねそうなほどショックで、、
気づいてあげるのが遅くて、申し訳なくてこの間ずっと傷ついてたかもしれないと思うと心がはち切れそうでした。
悶々と時間だけが過ぎ…怖くてたまらなかったけど、事実確認しに行くことにしました。
怖くて怖くて、本当に怖かったけど、先生と話をしました。
先生はめちゃくちゃ怒って、私は、聞き役に徹してしまいました。先生の怒りを出し切るまで、なぜかそれを引受けてしまいましたいっ(私の悪い癖で、私の怒りや不安はほぼ出せなかった)
その話し合いは一見終わったかに感じました(気持ちの中では終わっていない)

それでも息子は保育所に行きたがらなくて、行っても離れず、付き添いや色んな登所方法を試しましたが、行くのを嫌がりました。

何度も辞める事も考えたけど、ほんとにそれが最善なのか、まだやれる事はあるんじゃないか、葛藤の日々でした。

保育所であまりにも色んなことがありすぎる。
そういうことを悩み続けてた中での次女の動画でした。

次女の動画を見て、再びあのショックが蘇り、私は、噴火しそうな自分がどうにかなりそうなこの怒りをどうすれば良いのか分からず、カウンセリングに行きました。

当時この事を誰にも言えず、誰かに言うという発想すらありませんでした。

今思うと、あんな保育の在り方は絶対におかしいし、入れない子をしめだして廊下で食事させようとするなんて許されることじゃない。腹が立つを通り越して抗議してもいいレベル。だけどあの時は、教室に入れない、みんなと同じことできない私達が悪いのだから、と自分に言い聞かせていたように思います。
頭の声が強すぎて、心にわいた気持ちは悉く消された気がする。
そして自分の中からわいてくる気持ちは常に間違ってる気がした。
だから、そうされるのは仕方のないことだと自分に言い聞かせた。
先生が「うちの子も2年間毎日泣いてたけど無理矢理連れて行ったらどうにかなるねん!」と渋るうちの子を目の前にしてよく言ってた。
その時(「そんなわけないやん、小さい子供にだって意思はあるねん、無理矢理していいわけないやん!」)
確かにそう思った自分もいたんです。
だけど、入所してすぐだったし、自分も頑張ってやらないといけないと思うプレッシャーでいっぱいでした。

朝保育所に行くと、用意はお母さんがして!といわれ、子供は手を引っ張ってすぐ連れてかれました(用意は自分でする方針なのにどうして私が?と疑問だったけど強引で怖い先生に何も言えませんでした)
毎朝連れていくのが、すっごくすっごく辛かった。
そんなやり方ないでしょ!話聞いてあげてよ!無理強いしないで!

その一方で、〇〇ちゃんごめん…ママがちゃんと言えないせいで辛い思いをさせて。守れなくてごめんという苦しみで毎日いっぱいでした。
理不尽さを感じてるのに言えないとか私は本当に母親失格だった。
長女の不登校で私は何を学んだの!
結局私何も変わってないじゃない!
何でそんな勇気がないの!
胸がはち切れそうだった。
私は苦しみの絶頂にいた。


うまく書けないんだけど、Aカウンセラーはここで権力の話をしてくれました。
私がどういう人に対して恐れが出るのか。

直接、保育所に言う事は、相当ハードルが高いから、そしてそれは本来とても怖いことだから、出来なくて当然だよと言ってくれた。
だから正面突破しなくていい、そして今すぐ人とどうこうできなくてもいいと言ってくれた。


女性と子供にとって、誰かに向かって言っていくことはとても怖く、権力のルーツは多分お父さんだね、と。
学校の先生にしても、全然分かり合えない人がいると話してもストレス半端なくて大好きな先生だととことんついていくでしょ?って聞かれてどんぴしゃで笑ってしまった。


この辺に至っては私の理解がまだ全然足りずきちんと伝わるように書けなくて申し訳ない(汗


怒りを出したらどうなりそうかと聞かれた。

今まで、紙に書く、燃やす、クッションをなぐる、などしてきたと答えた。だけど、書こうとしたら、ノートは鉛筆で刺して穴だらけになる(筆圧が変えられるので鉛筆を好んで使ってた)鉛筆は折る、ノートは真っ二つに引き裂く、クッションを叩くのは、気持ちの方が大きすぎて殴ってる腕が先に動かなくなる、誰もいない車中で大声だすも喉がやられて先に声が出なくなる、だから怒りを出し切るまでに至らず、更にもっと大きくふきでてくる怒りで、自分がどうにかなりそうな感覚がある、、そういうことを伝えた。

自分の怒りが、一般的に言われてる出し方で無理なことを、気後れせず初めてちゃんと言えた気がする。
誰に言っても、新聞紙丸めて殴るとか書くとかばっかりで、そのやり方でうまくいかない人がいるということを理解してもらえない苦しみあった。

このやり方で出しきれない私がおかしい、私がおかしいんだ。
ずっとそう思っていた。
人のを見る限りこういうやり方でスッキリしてる人が多く、そうじゃない私はすごく追い詰められた。恐怖だった。私、大きな怒りに飲まれていつか何かしてしまうんじゃないの?って。
同時に、人に対して、その程度の怒りだからそのやり方で済むんじゃないの?とも思っていた。
だから、手におえない怒りを持ってる自分は、もうどうにもならないのだと諦めていた。

だから、その怒りの大きさを理解してもらえた時、そして、質問を通してそれだけの怒りがある理由を説明してもらい少し理解できた時、もっっっっのすごくほっとした。
そしてこのパターン(生き方)を続けてたらこの先死ぬしかないこと(私が怒りを自分に向けるため)も言われた。
私は、ようやく、この事を理解してもらえる人に出会えた。

そして、怒りの出し方も色んな方法があるから、と言ってくれ、その中でマインドフルネスをすすめられた。

マインドフルネスは曲がりなりにも細々と続けていたので、もっと頑張ろう思いました。

刺激や怒りに繋がるような事は避け、気持ち良く過ごせる方に身を置く事、イメージすること、そしてできなくても全然良いのだと言われた(③で話す上階の騒音の中での生活がよぎり不安になるが時間の都合上ここでは話していない)

これは、自分のことをもっと色々意識したらできるかもしれない、と思った
気づくと望む方に方向転換できるから。

いくつか質問を受け、深く…かなり深く刺さってると言われました(ダメージの事だと思うのですが)
私には頸動脈にものすごく太い杭が刺さってるイメージが瞬時にわいた
右上から斜めに大きく刺さっていて、首は傾き下方方向に向いている。
だけど、そんなもんだと思ってたから、何かが刺さってるなんて気づきもしなかった
こういう姿勢で生きていくのだと思ってた。
なんで頸動脈?
後から考えてみた。
そっか。
わたし、もしかして瀕死なの?
刺さった場所が瞬時にイメージできたのは、無意識は私が瀕死だということを知ってたのかもしれない



自分には、本気で怒りがないと思ってた。

誰にでもあると言われても、無い、と心底思ってた。

だけど2、3年前から、もしかして自分には怒りがあるのか?そんな事を感じだしていた。


紆余曲折あったけど、また諦めないで歩み出そうと思った

今まで、何人かのカウンセラーさんのところへ行ったけど、何か感覚が違う(良い意味ではない)
感覚が違うならやめればいいのに、いうことを聞かなきゃいけないような、身動きできないような感覚にとらわれた。
違うのは分かるけどどうすればいいかわからない
他のカウンセリングに行く事をためらった
罪悪感もあったし、どこへ行っても楽になれる気がしなかったし、自分ごときが、相手に違和感を感じることが既に図々しい。生意気な。
違和感があるから変えるって、超傲慢だよ。忍耐力がないだけだ!
たくさん引っかかりがあったのに、自分の中のそんな声に押し潰されて、完全に歩みが止まってしまった


今まで、カウンセラーが一方的に自分の話をしてても聞き役になった
否定されてるのを分かってて、それでも自分の感覚よりカウンセラーを過信した
言われた事は全てやった
素直に、何でも言うこと聞いた
でも、ますます苦しくなった
最初の違和感がどんどん大きくなった
それはできない、したくないってほんとは言いたかった
だけど、そんな事を言ったらやる気がないなら、変わりたくないなら来るなと言われるのが怖くて、反抗心は捨てた


心の事を学んで、私の中には常に「被害者のポジション」という言葉がつきまとった。

ブログなどで「いつまで被害者でいるの?」そういう言葉に触れるたび、何十回ごめんなさいと思っただろうか。

それは、私が、自分の気持ちや思いを誰かに話すことは「私は被害者なんです!」って言って回ってるようなものなんだと解釈した。
その日からずっと、私が苦しいのは私が被害者ぶってるからなんだ、こんな被害者ぶってる奴の話を誰が真剣に聞いてくれるだろう。
もう、何かを思うことさえ憚られた。



私がもう一度カウンセリングに頑張って行こうと思ったわけがある。

昨年かけた電話カウンセリングでこんな事を言われた。
その人はカウンセラーの卵さんなんだけど。
「人に受け入れてもらってから自分のことを受け入れてもいいんですよ。」って。
「だって自分で自分のこと受け入れられないことってあるじゃないですか」

私は、天地がひっくり返るほど驚愕した。
えっ!何それ…?何それ!しばらくフリーズした。

人に受け入れてもらってから自分のことを受け入れる…?

自分のことを自分で受け入れないといけない!!と思ってた私は「私がやってきたことは…なに…?」そんな気持ちに襲われた。
これもまた、心の事を学ぶ中で「自分の感情に寄り添いましょう」「自分で自分を認めましょう」そういうフレーズに対し、もう嫌だ辛い苦しい死にたい。こういう気持ちを、私は自分で自分を受容しなきゃいけないんだ!!とこの何年も練習してきて、それでもできた試しがなかった。できない自分も許せないし受け入れられない。受け入れられない自分も受け入れられない。何なんだ?ノイローゼになりそうなほど、悩み苦しんだ。


人に受け入れてもらってから自分をって…そうなんだ…そんな世界があるんだ、、、
ドン底に突き落とされた気分だった。


そして、また数ヶ月考え抜いて、ある日ふと「もしかしたら、そういう世界(自分が本当に心から受容される体験)があるのかもしれない」と思った。

私の中で、気づきが起き疑いが生じた先には必ず変容が訪れた。
数少ない体験だけど、私はそれを知っていたから、ふと湧いた疑問に対し、じゃあ行動してみよう、じゃあ誰に?カウンセラーに!と思ったのだ。
同時に、また絶望するかもしれない覚悟もして。


結論から言ったら、最高だった。
「わたしこの人になら委ねられるかも」
ほんとうに小さな希望が生まれた
けど簡単にそう思うかよって気持ちも同時に生まれた。
私は人を良く思う癖があるから、期待しすぎないように、気持ちを抑えた。



この日、Aカウンセラーが、私の閉じ込めてた感覚を全て言語化してくれた。
全て理論立てて話してくれた。
私は頭で考えるので、ものすごくよく理解できた。


人それぞれ感覚や経験も違う中で、その人が何に苦しんでるのかを見抜くって、誰にでもできる事じゃないと思う。
そしてそれを見つける事は、すごく大切な事だと思う。


結果私は何が得られたか?
「私が私を理解できたこと」
ものすごく、大きな収穫だった。
話の内容も的を得たものばかりだった。


時間がたつにつれ思った。

私の人生に圧倒的に足りなかったのは、私が私を理解する事。

そしてそれは一人ではとても難しかったこと。
このタイミングでこの人に出会えたのはとても偶然じゃなかったこと。
頼りたいと思える、希少な人だった。

自分への理解がない状態で、私は自分を許すだとか手放すだとかやろうとしてた。
自覚できないままに色んなことをしてきた。
それは今思えばとてもうわべのことだった。
できなくても仕方のない事ばかりだった。
自覚することの大切さを身につけた


理解した途端、受け入れられたことがあった。
あんなに許せない自分のことを、理解したことでそれは仕方ないよって心底思えた部分があった。
驚いた。初めての感覚だった。

私はAカウンセラーに、話したい事を正直に言った。
戦々恐々としながら。
一々「失礼を承知で言います」「正直に言います」「えらそうに聞こえたらごめんなさい」前置きした。
私がカウンセリングに行っても消化不良で帰る理由の一つにカウンセラーの前でもいい子をしている事に気付いた。
控えめに話し、感情も最小限に、取り乱したり泣き喚いたり悪い態度をとるなんてもってのほかで。
そのくらい、私は自分を出す事を抑えていた。そして、カウンセラーにも心を開けなかった。
信頼できなかった。
だけど信頼できない自分がダメだから、もう、どうしようもなかった。

だから、その日は、極力心と言動が乖離しないよう努めた。


どう表現した言い方をすればいいのかわからないけど、私はこんな話をした。

「自分ほどしっかりした奴は世の中にいないってずっと思ってきた。どいつもこいつも頼りにならないし、自分より頼りになる人間に出会った事がほとんどない。そんな事しか言えないのかよ、その程度しかできないのかよ、って腹が立って仕方ない」とずっと幼い頃からそう思っていたと。

それから私はすぐに泣くけど、泣いてる=癒された、ではないことをきちんと伝えた。
私にとって泣くことは癒される事とは全然違う。

これを伝えたのは昔、泣くことを癒されてると解釈したカウンセラーがいて、私は驚いたから。
泣けたから大丈夫(問題解決)なんて、あり得ない。
そんな解釈をされて、大丈夫と思われて、大切なことを見過ごされることをとても恐れた過去があった。

だから、これをはじめに伝えておきたかった。


ものっすごくキャッチしてくれた。
その通りだと言ってくれた。
私の言ってる事をとても理解してくれる人だった。

何で世の中こんな頼りにならない奴らばかりなの?
一度でいいから吐き出してみたかった。
その気持ちを。
でも、言っちゃいけない、ずっと我慢してた。

だけど、そんな事を言ったら「あなたの望むような形ではないけどあなたに愛を向けてくれてる人がいる」みたいな言葉。
私は何を言ってもどんな気持ちを出してもそういう言葉が返ってくるのだろう、ねじ伏せられるのだろう、私の感覚はそういった理屈でかき消されるのだろう、そう思いずっとジレンマだった。


言ってよかった。
わたしはこの人と信頼関係を築いていきたい。

またこれも、人生で初めてこんな事を言うのだけど(公開するのは恥ずかしい)わたしは「自分ほど優しい人間はいない」
心底そう思って生きてきた。
ドヤってるのではない。
人に、優しくする以外何があるのか?と素でそう思って生きてきた。


だけど、、何故だか自分より優しい人に出会った事がなかった。
それがいつも疑問で、すごく苦しかった。
自分より優しい人に出会って優しくされてみたい、いつもそう願っていた。
書くには恥ずかしいこんな思いも、Aカウンセラーはよくキャッチしてくれ、私がぐうの音も出ないほど完璧に説明してくれた。
私の感覚に悉く合致した。

あなたは、愛が深すぎる(幼い時の事がなかったとしても)あなた、ほんとうに優しい人、そう言った。

私の話をきいて、少し黙っては何度も、私のきつさは計り知れないものだと言ってくれた。

ほんとうに色々な工夫をしてきたのがよくわかる、と。、

そして「あなたは絶対に人を傷つけない」と力強く言ってくれた。
人を傷つけるくらいなら自○するでしょ?と聞かれて「そうですね」と即答した。

あなたの献身的な愛に誰も気づかなかった、誰か1人でもあなたの事を受け止めてくれる人がいたら違った

そして、あなたは気持ちの置き場が常になかった、と。


申し訳ないほどに反応がない私だったが、徐々に自分を理解していく過程で、これが「泣く」ってことなんだっていう涙が出た。

心と、流れてる涙が一致してる
ちゃんと共鳴してる

いつもの涙は「頬をつたうただの水分」

違いがはっきりとわかった。



父と母の事を聞かれた。

父は外に向かう怒り
母は内に向かう怒り

私は内に向かう怒りと忍耐の怒りがあると言われた。

母の痛みを背負って生きてるね、と…。


私は39年も自分の人生生きられなかったのか…
空虚感に襲われた。
でも、まだ半分ある。
そう、思い直した。


忍耐の怒りと言われた時、胸の苦しみにヒットした。
泣けて仕方なかった。

私の人生、忍耐しかなかった。
「どれだけ耐えたと思ってるの?」
泣きじゃくる私の姿が見えた。

私の様子を見て「怒っているということすら許可できていないね、それを許可できるようになればいいね」と言われた。


心で感情を感じるって、言葉ほど簡単なものではないよって言ってくれた。
私この言葉にものすごく安堵した。
これは、私が「感情を感じる」という行為をここ何年どれだけ試みても出来なかったから(恐らく激しく禁止してるせいなのかな)
苛立つ。腹立つ。
そんな私の気持ちも十分察してくれた上での発言だと思う。
嬉しかった。


強烈な罪悪感がある私は、母との癒着がものすごくあるのかもしれないと自ら薄々感じていた。

人との距離が近すぎると言われた。
だから人の物を全てもらってしまうと。


人との距離感については、疑問があるのでまた聞いてみようと思う。


突然こんなことを言われる。
「罪悪感で動けない先に"私がこれをしなかったら死んでしまう"そう思わなかった?」

私は即答ではい!と答えた。

わたしは罪悪感を感じる時、どんなことでもいつもその先に死を連想した。
いつも大切な人の死がちらついて、動けなかった。
これも、またもう少し聞いてみたい。


私は、自分を肯定してもらえる機会が本当に少なかった。
こんな人にたくさん出会ってたら違ったのかな、そんな事をぼーっと考えた。



あなたの怒りって何かって言うとね「自分を優先して生きてこれなかった」
その怒りだよ。
だからいつも怒りが長引いたりモヤモヤするんじゃない?って。

その通りです。


この時は言わなかったけど実は「わ!」って思った。
実は、怒りの蓋が、その下の圧力に耐えれず吹っ飛ぶようにあいた時があった。
その時の出来事はまさに「私を優先してくれなかった」
多分、その時完全に蓋があいた。




あなた、物のように扱われてきたね。

『物』

その単語に私の涙腺が崩壊した。

そう。

その場で嘔吐しそうだった。
思い出しても息が苦しくなるほどの思い。


私は「物」だった。

「物」になるしかなかった。


罪悪感が自分の意識に浮上してきてから、今まで何も感じてこなかったことが強烈に苦しみとして襲ってくるようになってた。

私は自分を物として扱った自分を許せそうにない。

この数年、これを思う時、何度も何度も死がちらついた。

何の尊厳も無い気がした
死ぬ以外何か方法はあるのか?どう考えたら楽になれるのか。
今でも、このことに関して私は苦しみの中にいる。


気をしっかりもって耐えたけどほんとは発狂しそうだった。
泣き叫びたかった。

そして、そんな私が母にした人生最大のプレゼントは、自分の身が滅んでもいいという覚悟と引き換えのものだった。

(いろいろ、書こうと思ったのですけど、ちょっと、無理でした)

なにも言葉にならない

自分の気持ちにフォーカスしようとすると、言葉で表現できるものが、ない


私にとって、自分と向き合っていくカウンセリングは、とても苦しい道のりになるのかもしれない


「あなたは人ができないことを誰よりもやってきてる、親の全てを受け入れてきた」

理解は後からついてくるからいい、とAカウンセラーは言ってくれた。



家に帰り…

お風呂で泣いた。



しばらくすると「私は今お湯の中に体が浸かってる」「私は今泣いている」

そのことがはっきりと感じられた。
一つ一つの動作や気持ちの動き、体の感覚が際立っていた。

感じるってこういうことなんだ、今に意識があるってこういうことなんだ、ととても強く体感できた。

温泉に入って「今ここ」なんて感じたことがなかった。

熱いぬるいくらいはわかっても気持ちいいだとか体が緩む感覚だとか、わからなかった。

そう言える人が不思議で仕方なく、悩みでいっぱいなのにどうしてお湯に入るだけで体が緩むのか、悩みを横に置いておけるのか、全く理解できなかった。感じる、が本当に難しかった。

だけど私はその日体験した。

同時に体感できない理由もよく分かった。

詰まりすぎ。
とにかく詰まってる。

お湯に浸かってる感覚も感じられないほどに私の思考はパンパンだった。


私の、誰にも話してこなかった様々な思いを、気持ちを、代弁してもらったことで、外に出してもらったことで、そこに余白ができた。

余白がある幸せを噛みしめた。

涙がとめどなく溢れた。

明日になったら、この感覚は消えてしまうかもしれない。

多分消えるだろう。

それでも。

私は今確かにここにいて、それを感じているこの一瞬が大事なのであって、頭の声が一切鳴り止んで、今ここの感覚に没頭した。
消えたり薄れてしまわぬうちに、少しでも長く感じていたかった。


この喜びを、次行った時に伝えたい。


この日の面談のお話は以上です。



この日のカウンセリングをノート6ページ分にまとめました。
(忘れないようにカウンセリングルームでてすごい勢いで書き残しました笑)


毎日毎日持ち歩いて、暇さえあれば読み返して、気持ちを受け止めてもらった瞬間を思い出しました。


気持ちが薄れてしまわないように(YouTubeもされてるので)声を聞き、回想し、自分を励まし続けました。


ほんの少し受容が進んだことで、自分にムチ打ち続けた部分をもしかして実はよくやってたのかもしれない、と疑うことができました。
初めての、ことでした。

とっても、嬉しかった。




読んで頂いてありがとうございました。

私の物語はこれからも続いていくので、このままで、備忘録として残しておこうと思います。




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