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危機感から「note」を始めることにしました

今日はかなりぐだぐだ書きます。

この半年間ずっと悩んでいたことについてです。

今回、迷いや葛藤といった自分の考えの整理のために書いたものなので、読んでいて気持ちのいい文章ではないかもしれません。無駄に長いですし、日記みたいなものです。

2013年の1月からブログを始めてもう8年になりますが、こういうよりプライベートな話を書くのはおそらく初めてなのでドキドキしています。

なので、もしそれでも読んでくださるなら、暇潰しとして森井の日記(と決意表明)を隠し見してるくらいの感覚で読むのが良いかもしれません。


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まず、ご挨拶から。約4年間、はてなブログで文章を書いてきましたが、noteを始めることにしました。note住民の皆さん、仲良くしてください!

あんまりこういうことを言うと、note住民の皆さんから好かれないかもしれませんが、正直、かなり危機感からnoteを始めました。

何の危機感かというと、ほんの2年くらい前までと比べて、ブログが読まれなくなってきたことに対してです。

圧倒的に読まれなくなってきてるんです。

例えば、3~4年くらい前までだと僕レベルでも、ぱーっんとはねてすぐに1万人くらいに読まれる、なんてことちょこちょこあったんですね。

最高でも40万人くらいに読まれた記事もありました。いわゆる「バズる」ってやつです。(YouTubeなどの動画メディアと違ってテキストはそもそも市場がかなり狭いので40万ってけっこうすごいんですよ)

だけど、僕にとって今ネットで文章を書いてすぐに1万人に読まれるなんてこと正直かなり難しいです。読者数の桁が一桁どころか二桁違うときもあります。

もちろん本当に良い記事を書くことができれば、半年後くらいから読まれ始めて、最終的には多くの読者の方に恵まれたりしますが、それでもとにかく初速が悪い。すぐリアクションが欲しいのに!!僕はできればすぐリアクションが欲しいんですよ!!!

そんな僕のブログが読まれなくなった理由は「時代」と「僕個人の問題」の2つがあると思っていて。

■コンテンツ量が大爆発

まず「時代」の話からしますと、これも2つありまして、何度もいろんなところでこすられてきた話で、書くのも読むのも楽しくないと思うのでここはさくっといきたいですが、とにかく

「コンテンツの量が増え過ぎている」

「テキストの時代が終わった」

です。


一つ目はもう言うまでもないと思うのですが、直近だとclubhouseがあり、あとはNetflixもだいぶ普及しましたね。「梨泰院クラス」や「愛の不時着」の大ヒットもありこの一年でNetflix加入者が大幅に増えました。あとはTikTokもあり、まだまだInstagramも使われていますし。

極め付きは芸能人のYouTube参入です。去年、コロナをきっかけに芸能人がどっとYouTubeに参入してきました。

これは僕だけでなく人気YouTuberとかにも言えることですが、コンテンツが増えすぎて、見るものが分散してしまい、この1年間で全体的に再生回数が落ちているそうです。

それに加えて、一般人のなんちゃっての発信も増えてきました。


もうほんとに時間を潰そうと思えば、いくらでも潰せるんですよ。

ここ数年、週5~6本映画を見ていますが、それでもNetflixから見たい映画はなくならないですし、YouTubeもどんどん見たい動画が溜まっていってしまいます。↓↓これくらいいつもタブが開きまくりです(笑)

今は写真が得意な人はInstagramで、動画が得意な人はTikTokかYouTubeで、顔出しはしないけどしゃべりたいって人はstandfmやボイシーがあって。マンガはTwitterやnoteでもいけて。世はまさに大発信時代。

結果、コンテンツが溢れかえっています。

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これが一つ目の理由で。

■テキストの時代が終わった

二つ目の理由もこすられ過ぎて今更書くのも恥ずかしいですが、

「動画の時代が到来した」
(テキストの時代が終わった)

です。

今みんなが使ってる主要なサービスはInstagram、YouTube、TikTokあたりでしょうか。テキスト(文章)ではなく、画像や動画なんですよ。

テキスト→写真→動画→(音声?)

と来ていて、とても悲しいことに、テキストの時代が過ぎ去りました。

それまではSNSで発信となったら文章でした。それが文章から画像になり、動画や音声になりました。


もう忘れさられていますが、テキストが流行っていた時期もあったんです。

4、5年前、「読モライター」なんて言葉が生まれたくらいですし、8年くらい前(?)だと「書評ブロガー」という本を紹介するブログがかなり流行っていました。(これもう知らないよって人かなりいそうですね)

しかし、今、ネットを見ると、可愛い女の子の画像や動画ばかり。テキストじゃないんですよね。ネットで文章を読むことがあまり求められなくなってしまったのです。

インスタなんてURL貼れないですからね。書いた記事をクリックすらしてもらえません。

書き手としては悲しいことに、ここ数年で「テキストから画像へ、画像から動画へ」時代が変わってしまったのでした。


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動画の時代になってまず気付いたことは、

「文字を読めない人がいる」

「しかし、動画なら見れる」

ということでした。

前々から本を読めない(本が苦手な)人がいるのは知っていました。そういう人達の中でもネットの記事は読めるんだと思っていたんですよ。でも実際はネットの記事も読めない人がたくさんいました。

前に「活字が苦手で私は読めないけど、本好きの友達に森井くんのブログ紹介しとくね!」と言われたこともあったくらいでした。

しかし、そういう人でもYouTubeは見れるんですよ。実際に見てるんです。何より動画が見れないなんて聞いたことありません。


これは本と映画のマーケットの大きさの違いからでもわかります。

例えば、本は年間8万冊くらい出ますが、その中で100万部売れる本はだいたい1冊です。

それに対して、映画は年間1300本くらい製作されて、興行収入100億円を超える作品は毎年だいたい1本です。去年だと『鬼滅』だけですね。興行収入100億円の動員人数は1000万人くらいです。

本だと最高でも100万人のところ、映画だと1000万人に届きうるのです。10倍も市場の大きさが違います!

ここに文章と動画の接しやすさの違いが現れている気がします。テキストより動画の方が見やすい、ハードルが低いということですね。

■Facebookの衰退とともに影響力を失った

さくっと書くと言ったのに長くなりました。ここから、ブログが読まれなくなった理由の「僕個人の問題」について書こうと思います。

読まれなくなった主な理由は、

「Facebookでの影響力が大幅に落ちたから」

です。

「新しいチャレンジをしなかったため飽きられた」とも言えるかもしれませんが、今までブログを書いたら、FacebookとTwitterで拡散していました。僕の場合、ブログがバズるときは、Twitterからではなく100%Facebookからでした。

Facebookでいろんな人にいいねやコメントされたおかげで、より多くの人に届いていました。

ところが!悲しいことにFacebookが少し廃れてしまったんですよね。僕自身、数年前まであんなに使っていたのに今だと見てすらいません。そういう人けっこういるんじゃないでしょうか。

最近知り合った人とSNSでつながるときはだいたいInstagramで、Facebookはもうやってませんと言われることもかなり増えてきました。

そういうこともあり、Facebookユーザーの低下とともに、僕のブログの読者数も減っていきました。

このことにものすごく危機感を感じていて。そんな中、ブログが読まれなくなっていって気付いたことが2つあります。

●今までは、偶然、時代が追い風だった
●Twitterは相性が悪いのではなく頑張っていなかっただけ

この2つです。


まず僕がブログを始めたばかりの2010年代前半の話をしますが、この頃はまだみんなが使っているSNSはTwitterとFacebookくらいしかありませんでした。

そして、今は死語になりつつある〝ブロガー〟なんて言葉が生まれ、大学生でも意識高い層はブログを始めたりしていました。

先程もちょっと書きましたが、この頃は書評ブロガーがとにかく流行っていまして、今で言うオリラジのあっちゃん的なポジションですかね、そのブログで紹介された本は猛烈に売れたりしたんですよ。

僕はブログを大学2年生くらいときに始めましたが、ブログをまともにやってるというだけで、時代の最先端でちょっとデキるやつとみなされていたと思います。実際、始めたばかりの頃、そういうコメントもきていました。

僕はただたんに文章が書きたくて、そして書いたものを多くの人に読んでもらいたくてブログをやっていただけなので、自分としては時代の最先端なつもりなんてこれっぽっちもなかったのですが、

たまたま、「僕のやっていることと時代とが合致していた」のです。

しかもそのあと〝書評ブロガー〟は消えていきましたが、2016年くらいから今度は〝読モライター〟という言葉が生まれました。

この頃はネットバブル期で本当にいろんなメディアが乱立したテキストの時代でした。まだまだ(さらに?)テキストが猛威をふるっていたのです。

僕は相変わらず文章を磨くためにブログを書いていたので、そのテキストが追い風の時代とマッチしたおかげで、けっこう読まれていたんですよ。バズりました。

今になってやっと気付きましたが、でも、これ、たまたま時代とマッチしていただけだったのです。

時代が向かい風になって初めて、今まで追い風だったんだなぁと気付くことができました。

■Facebookを頑張っていた時期があった

次にブログが読まれなくなっていって気付いた2つのこと、

●今までは偶然、時代が追い風だった
●Twitterは相性が悪いのではなく頑張っていなかっただけ

の2つ目の話です。


先ほど、ブログがバズるときは100%Facebookからだったと書きましたが、当時、僕が書く文章とTwitterは相性が悪いのかなぁと思っていました。なんせTwitter(ツイート)からバズったことが一度もなかったからです。

しかし、今になって気付きましたが、シンプルに

「Twitterを頑張ったことが一度もなかっただけ」

でした。

じゃあなんでFacebookからバズっていたのか?

これもシンプルに「Facebookを頑張っていたから」です。

Facebookは頑張っていたんです!


もう8年くらい前になるので完全に忘れていましたが、ブログを始めたての頃、全っ然読まれなかったんですよ。今とは比にならないくらい。

文章を学び始めたのが早かったということもあり、20代前半にしてはそこそこ書けていたと自分では思っていました。思い上がりでしたが、中には今読んでもよく書けてるなと思うものもあります。なのにほんと身内にしか読んでもらえてなかったんです。

ずっと文章を磨いてきて、いい文章もたまに書けるようになったのに、なんで読んでもらえないんだろう?おかしいぞ!!!!と、そこで僕の中でこんな仮説が生まれました。

「ブログが読まれないのは、自分の文章が悪いのではなく、友達が少な過ぎることが原因なのではないか?」

当時、僕の大学生活は、99%、家の中で過ごしていました。飲み会なんてほとんど行かず、読書とあとはせいぜいジュンク堂にこもるくらいでした。上京したてとか関係なく、友達なんてほとんどいません。

そこで、この仮説を検証するために、試しに1年間、「ひと月で友達を新しく30人作る」という目標を立て、読書量を大幅に減らし「新しく人と出会う」時間に費やすことにしました。

結局この生活を2年間続けたのですが、これが大当たりでした!

ひと月30人なので、平均1日1人友達を新しく作らないといけないのでヒキコモリの僕にとってけっこう大変だったのですが、友達が増えることでブログの読者数が増え、増えるから増えるという現象になっていくことができました。

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なんで最近ブログ読まれなくなったんだろう?と考えていたら、このときのことを思い出しました。

このFacebookを頑張っていたというのは8~5年前までの話なので、恐ろしいことに5年前からSNSを一度も頑張ったことがなかったということです。ここ数年人付き合いもほとんどしていなかったですし、そらぁブログ読まれなくなりますね……

仲の良いインターネット大好きなアナウンサーの友達とかイキイキして楽しそうにSNSやっていて、追い風いいなー!とか思ったりもするのですが、

ただ、ただね、読まれないことを時代のせいにしたくないので、noteを頑張ることにしました!


流行りのサービスや流行に合わせるのが得意な人とそうでない人がいて、ざっくり分けると本が得意な人は普遍的なことに興味があって、流行りものにまったく関心がなく、SNSが苦手な人が多い。SNSではずっと第一線なのに、本は全然売れてないみたいな人もいて。本とネットだと全然求められるものや性質が違っているから。どっちか得意な人はどっちか苦手になる傾向が強くて、僕の場合はSNSが苦手で、苦手というかそもそも興味もなくて……

……とかなんだの言って、正直、今までSNSをやらない理由を適当に作ってやってこなかったんです。

Facebookは僕の中でSNSというより、リアルのコミュニケーションに近いイメージで、リアルのコミュニケーションは大学生の頃に鍛えたので得意になりました。だからいけたのですが、他のSNSはてんでだめで。

社会人になってから「見つけてもらう努力」を一切してこなかった。

これが僕の弱さでした。

これからはどんどん変えられる部分は変えて、時代に合わせて適応していきたいと思っています。そこでSNSで唯一テキストで勢いのあるnoteに賭けることにしました。

■noteを使ってみた感想は「地元感」

そんなこんなでnoteを使い始めて一ヶ月ちょっと経ちましたが、実際に使ってみた感想は、安心感のある「地元感」です。

東京から地元に帰省すると、時間の流れがやたらゆっくり流れているように感じませんか?

それをnoteに感じました。noteはとても穏やかなのです。せかせかしていない。東京で戦おうと思って上京してきたのに、これでいいの?とたまに思ったりしますが。笑


大学生の頃からブログを始めてちょうど8年になりますが、こういった現在進行形の悩みみたいなものを書くのは今回がほとんど初めてです。

今までそもそも「思考の整頓~もやもやしたものに輪郭をあたえる~」というブログ名とコンセプトで記事を書いてきたので、悩んでいることではなく、悩み終えてもうすでに答えが出たこと、大袈裟に言うと「発見したこと」を書いてきたんですね。

クオリティの大小はあれど、記事の一つ一つが自分の作品だと思って書いてきました。

今、この記事で書いている文章はとても作品だとは言えませんが、良くも悪くもこういったことが書けるのもnoteの良さだと思いました。

noteという「場」(文脈)だから書けるんです。

つまり

「文章の内容や文体はプラットフォームに依存する」

ということです。

どういうことかわかりやすく言うと、銀座にプーマのスウェットを着て歩いている人っていないですよね?下北沢にパリッと高級スーツ着こなして古着屋行ったりしないじゃないですか?

その街に合った格好をして出掛けますよね。そういうのと同じ理屈です。

実は、文章は「どこで書くか」で印象や中身そのものが少なからず変わってきてしまうのです。


(昨年、炎上していましたが)noteが他のプラットフォームと比べて荒れにくいのはそういうことです。

歌舞伎町と比べて、表参道で酔っぱらいが殴り合いの喧嘩をしないように、noteは荒れにくい(ように作られた)街なのです。

また、noteでお笑い系の記事がないのもそういう理由だと思います。一時期、ネタ系の記事がすごい流行っていましたが、noteが流行り出してから全然見なくなりました。おそらくnoteとお笑い系の記事が合っていないからだと僕は思っています。

これは他のSNSでも言えることですね。それぞれのSNSでそれぞれウケる文脈がまるで違います。

なのでInstagramではめちゃくちゃフォロワーいる人がYouTubeだと登録者数があんまりだったり、逆も然りなのは、それぞれで求められているものが全然違うからなんですよね。


では、noteという街に一番合っている文章は何かというと、おそらく「エモいエッセイ」だと思いました。

今ネット界隈で一番勢いのある書き手に島田彩さんや岸田奈美さんが挙げられると思うのですが、この二人がブレイクしたのは、このお二人のエモい文体とnote文脈とがマッチしていたから、と言えるかもしれません。

ネットでエッセイを書いたことのある人だとわかると思うのですが、エッセイってインフルエンサーじゃない限り、まず読まれないんですよ。名文であっても驚くほど読まれない。

例えば、かつてはてなブログで、

こういうエッセイを書いたことがありますが、読んでいただいた人の感想は悪くないのですが、本当に読まれない。そもそもクリックされないんです。

なぜかと言うと「役に立たないから」です。いや、正確に言うと「自分に役に立つかどうか(タイトルを見た)一瞬ではわからないから」です。


余談ですが、本もそうですね。エッセイ集は人気芸能人とかでない限り、売れません。読者にとって読むことで何のメリットがあるのかタイトルを見ただけでは判断できないからです。

そんなエッセイなのですが、noteではちょっと求められているんですよね。(というかほとんどの文章がnoteで読むとポエムみたいに見えてきます)

PV数ランキングがないことからも、意図してnoteという場所をそういう街にしようと作っているのでしょう。

競争、品の無さやエロみたいなものとあまり相容れないのがnote街ということになります。
(品のないネット世界でエロほどクリックされるものはなかなかないのですが、note街だとタイトルにエロを入れると18禁扱いになります。あまり求められていないということです)

一ヶ月間使ってみて、それが「noteという街」なのかなと僕は思いました。


あとnoteを使ってみて驚いたのが、こんなにも「ショートショート」を書いてる人がいるのかということです。

今までブログで見たことなかったですし、周りで書いてる人は一人もいませんでした。(僕もブログ歴長いですが一度しか書いたことありません。↓↓これです)

テキスト時代でも、小説とネットはかなり相性が悪かったんです。でもnote街だと以前と比べて読まれるんです。(note編集部の人が見つけて、おすすめしてくれたりするから)

noteのミッションは「だれもが創作をはじめ、続けられるようにする」

その心意気が伝わってきてなんだか嬉しくなりました。

代表の加藤貞顕さんの先見の明だけでなく、信念や大義の力でここまでnoteは大きくなったんだろうなぁと強く感じました。

■noteでの世界観を統一することに

はてなブログをやっていた頃、ありがたいことに何度もバズることができたのですが、そのとき大してSNSのフォロワーが増えなかったんですよ。

記事を読んでもらった数と増加したフォロワー数とがあまりにもかけ離れていました。

単体の記事は面白いと思ってもらえても、「森井悠太のファン」にはなかなかなってもらえなかったと言えるかもしれません。

そこが反省点でした。


今回、新しくnoteを始めるからには、その反省点を活かすために、しっかりとした「世界観」を統一してみることにしました!

どういう世界観と言うと、

「優しくて易しい社会科学」

です。

今までもいちお「思考の整頓~もやもやしたものに輪郭をあたえる~」というブログ全体のコンセプトはあったものの、書きたいことをなんでも書いていました。

いったんこのnoteでは

「学術研究(心理学・行動経済学etc)と日常の経験をつなぐ」

ことに絞ってみようと思います。

知っていると、いや知っているだけでも確実に生きやすくなるような素晴らしい学術研究はたくさんあるのですが、一般の人々にはなかなか届きません。一方で、一般の人々は豊かな経験を積んでいても、それらを言語化し体系化立てて説明することや、そのメカニズムを解明することはなかなか難しいことです。

そんな二つの世界の間に立ち、小難しい学術研究を身近な例に落とし込み、つなぐ。生きるのがちょっと楽になれるような〝世の中を見る眼鏡〟を、苦しんでいる人達に配ることはとても価値のあることだと思っていて、そしてそれが僕の仕事だと考えています。

そして、ここが特に大事にしていることなのですが、内容的に毎回はできませんが、学術研究と日常の経験をつないだ後、「感動」(優しさ・元気など)をまぶしたいと思っています。

「感動しながら学べる」を目指しています。

それが僕だからこそできることだと思っています。


「優しくて易しい社会科学」とは、具体的にはこういう記事のことなので、良かったら読んでみてください。↓↓

また、アイコンは水色の服に背景が緑、カバー画像も緑にして、僕が作りたい世界観により近づけるようにしています。

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知らない人がこのアカウントを見たときに、何について発信しているアカウントなのかすぐに掴みやすいように、フォローしやすいように工夫しました。

今の僕の体は「エビデンスとエンタメ」でできているので、最近面白かった映画の考察とかコンテンツ論をお話したいのですが、いったんそちらは封印させていただきます。

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これは本作りでも大事なことなのですが、「言いたいことを一つに絞ること」や、「コンセプトに合わない話はカットすること」はとても重要なことです。

一つに絞らなければいけない理由は「覚えていられないから」(あとで思い出せないから)、

コンセプト(世界観)に合わない話をカットすべき理由は、読者の離脱を防ぐためです。

心理学に興味があって買った心理学のわかりやすい雑誌なはずなのに、いきなり映画の最新作の情報が出てきたら、そこでつまんねとなって離脱してしまう可能性が上がってしまうからです。
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ちなみに先ほどリンクを貼った記事をUPして気付いたのですが、noteという文脈では「エモさ」だけでなく「優しさ」も求められていることに気付きました。

noteを始めるとき、エモいエッセイばかり書くわけではないから、僕の文体ではnoteには合わないかもなぁと思っていただけに、これはすごく嬉しい誤算です。

note街でうまくやっていけそうなので、これから更新が楽しみです。


まだこれで4回目の更新ですが、たくさんのスキをいただけたり、早速読者の方から500円のサポートをしていただけました!わーい!嬉しい!!!

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サポートとは投げ銭みたいなもので、今までのブログにはなかった機能なので、初めてのサポートは本当に嬉しかったです。一生忘れません。

■お客さんのいるところで勝負しなければならない

想像以上に長くなってそろそろ書くのが疲れてきたので、ということはこれを読んでいる人も長いなと思い始めていると思うので(笑)、書いて整理しておきたかったことを箇条書きにします(笑)
(ここを最後に書いたのでこの章だけ)

いよいよ自分用のメモになりつつあるな……というかここまで読んでくれてる人いるんですかね?!いたらコメントで教えてほしいです!笑 大好き!

・古くなる人、古くならない人の違いは、過去の成功体験を捨てて、新しいことに挑戦できるかどうか→新しいものを取り入れ、軸足を移す

・新しいチャレンジをしないと飽きられて、影響力も落ちるということを知れて良かった(ここ大事!)

・いや、新しいことは定期的にやってはいたが、発信はできていなかった。だからなかったことになっていた

・同じことをやっているといずれ飽きられる。ちょっとずつでもいいから変化させていく

・ダーウィンの名言「生き残る種とは、最も強いものではない。 最も知的なものでもない。 それは、変化に最もよく適応したものである」

・noteを使ってみて驚いたことは、Twitterのフォロワーが増えたこと。変わったことははてなブログからnoteに文章を書く場所を変えただけなのに

・お客さんのいるところで勝負しなければならない(ここも大事!)。じゃないとせっかく書いても書いていないことになる

・例えばmixi日記でどんなに良いことを書いても、もう絶対に読まれない。みんなそこにはいないから

・時代が変わったら新しい発信方法に変えていかなければならない

・お客さんがしっかりいるところで、いいものを作り続ける

・テキストを中心に使える、しっかりお客さんがいて時代にも追い風な唯一のSNSがnote

・テキストを中心に使えるが、noteは白いキャンバス。原稿用紙(ブログ)と比べて書くことに特化していない。そういうこともありマンガやイラスト、写真が強い

・Twitterが流行っていた頃と比べて、インスタグラマーやYouTuberが本を出すケースが少ない(たぶん)

・今までネットで一番勢いのある人たちは基本的にみんなビジネス界隈だった。だからビジネス書業界と相性が良かった

・でも今勢いのあるのがインスタグラマーやYouTuberに変わり、ビジネス書と相性が良くない(たぶん)

・人はとにかく新しいものが好き(※新しければ売れるというわけではない)

・「役に立つ」と「新情報」がクリックされる

・古いものを使っていると、その人自体が古く見える。逆に最先端なもの使ってたら、流行に敏感で最先端な人というイメージがつく

・なせ古いと思われたらだめか?

・コンテンツが広がりにくくなるから(シェアされにくくなる)

・なぜ広がりにくくなるのか?

・シェアする人のインサイトは、「そのコンテンツに感動して、それをみんなに知ってほしいから」とか「自分はこういうのが好きだというシグナル」「人から賢く見られたいから」とかいろいろあるけど、流行っているものに「乗っかりたい」「自分も一枚噛みたい」というインサイトがあると思った

・シェアするということはその人(シェアする人)にとって「利益が生まれる」可能性が上がる

・古い人の記事をシェアしても、自分の利にはつながりにくい

・応援したいというより乗っかりたい、利益を得たい。貸しを作っておけば利益ありそうと無意識で思っている

・流行ってる(風な)ところに人は集まる。集まるからさらに人が集まる

・流行ってる感、盛り上がってる感みたいなものを作り出すことが大事

・しかしそういう人は、キラキラしなくなったらすぐに離れていく

・「目立つものは重要なものであると人は誤解してしまう」「注目される問題は、重要な問題だと見なされる」→(ここ深いところだからこのテーマでいつか一本かけて書く)

・「昔はめちゃくちゃ影響力あったのに、もう過去の人だなぁ」と思う人が何人かいて、その共通点は「古いメディアを使い続けている」だった。裏返すと新しいことにチャレンジしていないとも言える

・新しいことをできない理由は、過去の資産、過去の成功体験を捨てられないから

・古く思われたくなかったら、とにかく新しいチャレンジをする。挑戦をしない人から飽きられていく

■逆境こそ好機だ

以前と比べて読者数が減っているので、今の僕の立場は「逆境」だと言えるかもしれません。

しかし、危機に追い込まれることは悪いことばかりではないと僕は思っています。ピンチどころかむしろチャンスだとすら思うようにしています。

大学生の頃から大事にしてる言葉は「逆境こそ好機」です。

ほんとに大事にしているので「逆境」についてだけでも1万字は書けてしまうので、あぁこれって完全に逆境を好機にした例だなぁと思った話だけ書きます。


最近、YouTubeを見る機会が格段に増えました。そこでの話なのですが、今、芸人YouTube界で最も勢いのあるうちの一人はオリエンタルラジオの中田敦彦さんやカジサックさん、宮迫さんだと思います。

この人達に共通しているのが、YouTuberとして成功する前は「逆境」で苦しんでいたということです。

テレビという世界に居場所が無くなりどうしようもなくなった人達なのです。

そんな逆境、危機的状況を見事にチャンスに変えた人達でもあります。

宮迫さんは、去年の年末に、「テレビに出ていた頃よりも今のほうがよく声をかけられる。小学生にも声をかけられるようになった」「ここ数年間で初めて来年が楽しみで仕方がない」と言われていました。

YouTuberのてんちむさんとかもそうですね。去年、ナイトブラ詐欺(?)で、返金額2億円を自分で返済することになってしまいました。

そんな高額すぐに返せることもなく、すぐに高級マンションから質素なアパートに引っ越すことになり、夜は銀座のクラブや六本木のショーレストランで働くことになりました。

しかし、その過程すらもネタにすることで、離れていったファン以上に新しいお客さんを掴むことに成功しました。まさにピンチをピンチのまま終わらせずにチャンスに変えたのです!

あらためてピンチは必ずしも避けるべきことではない。大事なのはピンチの後にどう行動するか。逆境こそ好機なのだ

と思いました。


ところで、なぜこんなにもnoteを始めるのが遅れたのか?

今まで書いてきたブログを捨てるのがとにかく心苦しかったからです。

読まれなくなったとは言いましたが、過去の記事は今でもそれなりに読まれてるものもあるんですよ。数年前UPしたものでもいまだにシェアしてもらえたりもあって。これらを手放すのが本当に心苦しかった。ダサいです。

僕、ストレングスファインダーで「未来志向」がトップ5に入ってるくらい、とにかく未来にしか興味がないんですね。

なのでよく過去の成功体験が捨てられないと聞きますが、僕は自分の過去の成功体験でもどうでもよくて、なんで捨てられないのか謎だったんですよ。

しかし、今回、過去の成功体験が捨てられないってこれか、これのことじゃねーか、と思いました。

ブログに関してだけは本当に自分の腹を痛めて生んだ子どもみたいなもので、うまく書けたものからそうでないものまで全て愛着があるんです。

それだけに心苦しかった。

ただ、時代には逆らえなかった。過去の記事を捨てるよりも、これから書いていくものを読まれないことの方が耐えられなかったのでした。

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(今はもうちょっといますが)「フォロワー28人」からのスタート。かなり逆境ではありますが、ピンチとは思っていません。むしろチャンスだと思っています。

なぜなら今まで通り読まれていたら、苦手なSNSとは本気で向き合おうとは絶対に思っていなかったからです。

ちゃんとSNSを使ったことがないのでどんな感じで伸びていくのかわからないのであれですが、今年の6月までにフォロワー1000人、年内にフォロワー1万人をまずは目指して、今まで以上に記事が読まれるように精進します!!!!

そして、時代は振り子のように動きます。もしかしたらまたテキストの時代に戻ってくるかもしれません。時代が追い風となったとき、いつでも爆発させられるように、引き続き、刃を研いでおこうと思います。

■最強のSNS戦略とは

ここまでかなりだらだら書いてきたにも関わらず、読んでくださりありがとうございます!あなたはかなりの好き者です!本当にありがとうございます!!!

僕は日記を隠し見されても嬉しいみたいです。笑

最後に、最強のSNS戦略(←大袈裟)について書こうと思います。

noteを始める少し前の話になるのですが、友達と最近のSNS事情の話になり、

「FacebookとTwitterだけやってれば良かった時代に戻ってほしいわー。あの頃は楽やったのに。今はいっぱいいろんなSNS更新せなあかんから大変やわぁ」

と僕がぽろっと愚痴をこぼしたら、その友達にこう言われました。

「(インターネット大好きだから)わたしはいろんなSNS触れて嬉しいけどね(*^^*)」

これを聞いて思わずはっとしました。僕は本が好きで、だから本の世界にいますが、ネットはあんまりで、それだけにどこかSNSにずっと居心地の悪さを感じていて、SNSの更新を義務感としてやってしまっていました。

SNSは今の時代に付いていくためにやらなければいけないもの、といったように。

でもこの友達はそうではなかったのです。いろんなSNSに触れて嬉しいと思っている人もいたのです!

そこで思い出されたのが、SNSが苦手な僕でも唯一うまく活用できていたFacebookを使い始めた頃のことでした。

Facebookは衝撃的でした。

中学卒業以来、今どこで何をしているのかもわからないような10年以上会っていなかった友達とつながれて、今こんな感じになってたんだー!とか、これを機に会うことになったり。他のSNSと比べて本名なので見つけやすいんですよね。今は当たり前になってしまったけれど、すごい楽しかったなー!!って。

僕はFacebookもブログも間違いなく楽しんでやっていました。頑張ろうと思ってやったというより、もちろんそれもあるけどすごい楽しかったのです。

そのときの楽しかったSNSを思い出して、

危機感から始めたnoteでしたが、やるからには、これからは楽しみながら使っていこうと今では思っています。

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森井悠太
大学生の頃、初めて便箋7枚ものブログのファンレターをもらった時のことを今でもよく覚えています。自分の文章が誰かの世界を救ったのかととても嬉しかった。その原体験で今もやらせてもらっています。 "優しくて易しい社会科学"を目指して、感動しながら学べるものを作っていきたいです。

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