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#292 問題解決能力の鍛え方:自分の上にいくつ反論し、メンバーにいくつ具体的な決定をしたか

いかがお過ごしでしょうか。林でございます。

先日、Voicyのコメント欄でやり取りをしていた方が「前職で、経営者から自身の課題を丸投げする形で相談を受けて、判断を迫られた時に苦悩した。顧問や相談役も「ここが問題なんだ。このままでいいのか」と煽るだけだった」という話をされていました。

この話、規模の大小はあれど、多くの現場で起こっていることではないでしょうか。

問題提起するだけで仕事をした気になっている人。誰かに指示して持ってこさせた解決策について「アレがダメ、コレがダメ」とダメ出しすることを仕事だと思っている人。

自分で判断して決定することを回避して、何でもかんでも上にエスカレーションして判断を仰いだり、というのも、動いてはいるから本人は仕事をした気になっているのだけれど、やっていることは、誰かから聞いた情報をそのまま他人に伝えるだけの媒体でしかありません。

担当者の立場で決定を上に仰ぐのであれば仕方ないとして(担当者の立場であれ、リーダーシップを持って物事に取り組んでいれば、もちろん担当レベルで判断可能なことも多くありますが)、マネージャーの立場になっても、自分で何も決められないというのは、かなり致命的です。

別の言い方をすれば、問題解決能力が著しく欠如しているとも言えます。

ましてや、冒頭ご紹介した話は、経営者や顧問、相談役という立場の人から、「これが問題だ。このままでいいと思ってるのか?」と具体的なアクションを決めることすらせず、ただ担当者にプレッシャーをかけて何とかさせようとしています。

「お前はどうなんだ。経営者として何をしようとしてるんだ」と逆質問のシャワーを浴びせたくなりますね。何のための相談役、何のための顧問なのか。

ただ相談したいだけであれば、AIのほうがまともな相談相手になってくれそうです。自分で何一つ判断できず、仮説を持とうともせずに、「リスクは何だ」、「本当に上手くいくのか」と、その立場を利用して高圧的に聞いてくるだけの人が、とても問題解決能力に長けた人とは言えないです。

では、なぜそういう人が、役員や現場のマネジメントというポジションに就いてしまうのか。
答えは明快で「上から指示されたことを上手く実行することには長けているから」です。
あるいは、「上へのアピールには長けているから」というケースもあります。

問題解決って基本的には泥臭く、面倒臭いものばかりです。だから、「言われたことを言われた通りにやる」とか「やっている風を装う」という易きに流れがちなのです。

しかし、それを続けていれば、当然分かる人には「何も決められない人」ということが分かりますし、人生のあらゆるシーンにおけるベーススキルである「問題解決能力」が一生育たずに歳を重ねることほど怖いことはありません。

今日の記事は自戒も込めて文章にしていくものですが、問題解決能力を鍛えるために、私が日常的に意識していることについてご紹介します。

1日の中で、上に何回反論したか

上述した通り、問題解決能力がないまま一定のポジションに就いた人は、とにかく「上から言われたことだけをやってきた人」です。

何か現場で問題が起きたら何でも上に判断を仰ぎ、上の指示を聞いてその通りに上手く実行しようということを続けている限り、問題解決能力が養われることはありません。

「問題解決能力」と聞くと、解決策を策定して効果を出す能力というところに主眼を置いてしまいがちですが、「問題解決能力」で一番大切なのは出発点となる「問いの設定」です。

出発点として、チームで取り組むべき問いが頓珍漢であれば、どんなにそれに上手く取り組んだところで、効果は薄いどころか、時には逆効果にさえなってしまうからです。

よくSNSで炎上する企業や行政の頓珍漢な施策はその例です。仕掛けている側の思いとして、「やった感出したい」とか「ここまでやっとけばやったことになるだろう」みたいな話はよくありますが、「炎上させたい」と思ってやってるケースは普通はないです。

でも、炎上を招く意味不明な施策が企業や行政から出てきてしまうのは、「出発点である問いの設定がそもそも誤っている」ということです。

私は、経営者やマネージャーの仕事は「優秀な人が解きたくなる問いの設定、組織がやるべきことを決めること」だと考えています。
決して、上から指示されたことを上手く実行することではありません。

だからこそ、組織でやるべきことを決定する「問いの設定」に一番労力をかけるべきで、上から指示された「問いの設定」に違和感があれば、「そもそも取り組むべきポイントはそこではないのでは?」ということを真正面から伝える必要があります。

往々にして、はじめに設定された問いは、実態とはズレていることが多いです。だから、「問いの設定」フェーズにおいて、足を動かして情報を取りに行ったり、小さく試し撃ちしてみて、この問いはスジが良いのか?を検証する必要があります。

「問いの設定に労力をかける」というのは、机上であーだこーだと議論するよりむしろ、問いの正しさ=取り組むべき課題設定のスジの良し悪しを、試し撃ちにより検証してみる、ということです。

私の職場では、全社的に入社2年目を終える新卒社員が、それぞれの職場での課題解決の取り組みを発表する育成目的のイベントがあります。

これまで、多くの後輩の資料を見てきましたが、みんな目が行きがちなのが、対策とか効果の確認のほうです。しかし、行動による仮説検証に裏付けされたテーマ設定や課題設定にこそ、最も集中すべきと考えています。

誰かの相談事に即答で決断できているか

問題解決に必要なもう一つの重要要素は、「自分で決める」ことです。
マネージャーの重要な仕事は「決めること」なのですが、担当者の気分が抜けきってないのか、自分で決められない人も少なくないように感じます。

決裁権の幅はあれど、本来どのポジションであっても自分なりの意思決定が求められます。全員がそれぞれの立場でリーダーシップを発揮して、必要だと考えることを実行していくからこそ、「課題解決」に繋がります。

マネジメントの立場になっても「自分で決める」ことができない人は、担当者の立場の頃から「自分で決める」ことから避けてきた人のようにも感じます。やったことがないから、できない。

だから、自分がどんな立場であれ、何か相談されたり、判断を仰がれたときには、「自分の責任で何かを決める」という癖を付けておくのが、特に若い時から必要だと考えてます。

もちろん、何かを自分で決めて後に誤っていると判断されることもあるから、自分で決めることは怖いことではあります。
でも、自分で決めることから逃げ続け、決定に伴うリスクを他人に押し付けることに慣れたまま、「自分で何も決められない」まま歳を取っていく人生って、「自分の人生を生きている」ということにならないんじゃないかな?と思います。

「やるべきこと=課題」を自分で決めて、手と足と頭を動かしながら、試行錯誤していく。
このプロセスの中に、人生や仕事におけるやり甲斐が詰まっているんですよね。

寝る前に、今日はいくつの判断と決定をしたか振り返って、毎日1つでも「今日はこれを自分で決めた」というものを作っていくところから、自分が主語の問題解決や、応援してくれる人の巻き込みがはじまると考えています。

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林 裕也@IT企業管理職 ×「グローバル・情報・探究」
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