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#421 現代に通ずる学びの宝庫。二宮尊徳「報徳記」を読んで (2/3)
いかがお過ごしでしょうか。林でございます。
ずっと読みたいと思っていた、二宮尊徳の弟子たちがまとめた「報徳記」を読み終えることができたので、自分なりに印象的だったエピソードをまとめています。
前回は、二宮尊徳の生い立ちを辿って、二宮尊徳のキャリア形成全体から、どのように自分ができることを増やしていくのか、人徳を積んでいくのか、という点に注目してまとめてみました。
今日は、より個別具体のエピソードから、私が感じたこと・学んだことをピックアップしてご紹介します。
元々、前半・後半の二部作を考えておりましたが、書き進めるうちに言いたいことが収まらなくなってきたので、三部作に変更してお届けします。笑
大久保忠真による桜町復興人事
昨日もご紹介した「桜町三ケ村の復興計画」は、二宮尊徳のキャリア上、非常に大きな転機となりました。しかしこれも、トントン拍子で決まった話ではありません。
当時の小田原藩主・大久保忠真は、幕府の老中職にあり、明君の評判が高い人でした。それまでの服部家財政再建の実績から、傑出した才能を持ちながら野にうずもれている二宮尊徳の噂を耳にすると、この人物を抜擢し藩政に参画させたいと考えます。江戸時代後期の小田原藩では、財政貧窮により藩政改革の必要性に迫られていましたから、二宮尊徳に小田原藩再建を依頼しようとしたのです。
しかし、当時の世の習わしとして、才智や人徳があっても、身分が低ければ軽んじる風習が強く、すぐに二宮登用は実現しませんでした。そこで、登用の道を急がず、人々の力の及ばない仕事を成功させれば、不平を漏らすものはないと考えを巡らせたわけです。
下野国芳賀郡桜町(現在の栃木県真岡市)にある旗本宇津氏は、大久保家の分家でした。土地は痩せ、人々も勝手気ままで遊び好きで怠慢。年々、土地を離れるものが増加し、利益を争い訴訟が絶えず・・の状況で、当然年貢米も少なく、宇津家の貧乏は甚だしい状況でした。
忠真は深く心配し、役に立ちそうな者に桜町の復興を任命し派遣しますが、現地の口先が巧みな人に騙され、他領に逃走などが多発したため、誰もやりたがらない仕事でした。だから、これを二宮に成功させれば、誰も文句は言わないだろう、ということで、桜町再建を依頼するに至ったのです。
このエピソードから「なぜこんなにも理不尽な仕事ばかりなのか・・」と感じることも多いですが、「難しいからこそやる意義がある」ということを改めて認識しました。そもそも、二宮が取り組んだ「地域復興・財政再建」は、基本的に「悪い状況を改善する」仕事ですから、理不尽や逆境しかないですよね。
私自身も、社内で全く別の部署に急に異動となってから丸2年が経とうとしており、日々困難ばかりですが「難しいからこそ、やり遂げた時に他が認める実績になる」ことを信じてやり抜く覚悟が出来ました。
しつこさと分度の重要性
大久保忠真は、このような想いで尊徳に桜町復興を命令するも、二宮尊徳は「私のように身分の卑しいものがこのような大仕事はできない」と固辞します。これを聞いた忠真は、ますます尊徳の賢明さを察し、再三命令を伝えました。
そんなやりとりが続いたのは、なんと3年間!
断り続ける方の根気もありますが、忠真のしつこさがまた凄い。
1回頼んで断られたら、「そこでおしまい」になる現代人って多いと思うんですよね。現代人どころか、当時の人もそうだったはずです。しかし、何としてでも二宮尊徳の力が必要だと信じて、3年間オファーし続けた結果、二宮尊徳もはや断れないと判断し、「実地調査したうえで決定させてほしい」と回答するに至ったのです。
二宮尊徳の実地調査結果報告では、「上国は温泉、下国は風呂」と例えました。上国は温泉のごとく年中あたたかだが、風呂は誰かが薪を焚べて火をつけ続けることが必要なため、しばらく火を焚かないでいると、直ちに冷たい水になります。
上国では、家賃がどれほど高くても、商売の利益が大きいため人々は競争して居住し富を得ます。一方下国では、金融・商売の利益が少ないため、家賃が安いと言えど誰も住まず、貧困は免れないと説きました。
桜町は、人の心は荒み、地も痩せ細っているが、これを復興することは可能という見立てでした。しかし、そのために補助金は不要、ということを例えたものです。
尊徳は忠真に対して「桜町を復興するためには、一両もくださいませんように」と伝えました。なぜなら、金が来ると村の名主・百姓はみなこの金に心を奪われ、互いに非難し合い、復興が成功しないからです。しかし「分度」の考え方をもって、一石の米を生産し、半分を食料、半分を来年の田を耕す原資にすることを毎年中断しなければ、金を使わずとも必ず開墾できると説きました。
まさしく「補助金ではなく、稼ぐ力を身につけよ!」の考え方です。
そしてその稼ぐ力というのは、「積小為大に複利の考え方を付け加えたもの」です。収入から未来への投資分を予め差し引き、その残りを上限として生活設計するという基本を徹底することに尽きるのです。
抵抗勢力のいなし方
尊徳が桜町復興のために下野に到着した際、「酒の席を設けました」と歓迎の様子を示した者に対して、そっけない態度を取ります。わけを聞くと「甘言を持って先に出てくるものは大抵曲者だ。実直で清潔な人は呼んでも簡単には来ないもの」と言ったんですね。
このエピソードだけでも示唆に富んでいます。実際、尊徳よりも前に桜町復興のために赴いて、結果的に逃亡したりしてしまった人は、甘言に騙され、本来言うべきことも言えなくなって、復興事業が継続できなくなってしまいました。
逆に言えば、最初は取っ付きにくそうと思っていた人の方が、本質的に物事を見ている、と言うことも多くあります。
私がこれまで参画してきたプロジェクトも、パッと見で協力的でない人のほうが、実は正しいことを言っていて、本当に困った時に最後まで力になってくれる、ということばかりでした。言い方はぶっきらぼうでも、何となく気にかけてくれています。
対して、表面上は協力的で歩み寄ってきてくれたけど、状況が悪くなると見るや否や、さっと離れていく人もいます。コントか!とツッコミたくなるほど、さっといなくなるから面白い。本当に信用たる人は、向こうからやってきてくれることはなく、自ら実直な姿勢をもって地道に信頼を得ていくほかありません。
桜町の復興事業には、尊徳のほか2〜3人の役人も一緒に赴いたようですが、役人の中でさえも協力的でない人もいました。
豊田正作という役人は「この件は二宮が命じたと言っても、わしは許可していない。言葉に従わなければお前たちを罰する」と桜町の村民に言っていたとか。
よこしまな村人はこの役人につき、抵抗勢力として尊徳に立てつきます。尊徳は、豊田正作に行動を改めさせようと何度もトライするも叶わず、ついには復興を優先するため、これに手を打ちます。
尊徳は、豊田正作を家に招き、妻に言って酒と肴を一日中提供しました。来る日も来る日もです。豊田正作は気分を良くし、尊徳の家に通い、村内に出なくなりました。
よこしまな村民が、豊田正作に妨害工作の相談に来るも、泥酔していて相談になりません。尊徳は、その間に復興事業を一気に進めたとのことでした。
普通であれば、抵抗勢力には真っ向から挑もうとしがちですが、餌で動きを封じておいて、その間に自分はやるべきことをやる。まさに「言論をもって反対するのでなく、成果をもって反対する」ですね。
大小あれど、おかしいと感じるものを変えようとすると、既得権益や、嫉妬心などで抵抗勢力が出てくるのが世の常です。これを論破しようとするのでなく、自分は自分のやり方で小さくても成果を上げることで抵抗する。そうすると、必ずそこに賛同してくる人が生まれ、全体の流れが変わることはよくあることです。
これからも、自分がやろうとすることに対して抵抗勢力は絶えないでしょう。そんな時、「自分が正しいんだ!」とイチイチ全てに対して真っ向から向き合っても時間の無駄。そうではなく「抵抗勢力には酒と肴を振る舞い、気持ちよくなってもらっている間に、自分は自分のやるべきことを進めよう」というマインドセットで事にあたりましょう。そのようにメタ認知することで、抵抗勢力でさえも、物語の中の滑稽なキャラクターに変えられます。
次は、いよいよ最終回となる後編です↓
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