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#363 海外の仕事を通じて、知らぬ間に身についていたこと

いかがお過ごしでしょうか。林でございます。

今日は、私が東南アジアを中心とした海外の仕事に10年近く携わる中で、あまり自分では意識していなかったけど、自然に身についたと改めて気付いたことについて、緩くご紹介します。

先日、人と会話していて気付いたのですが、自分では当たり前と思っていたことが、他人から見ると当たり前ではないということは、想像しているよりも沢山あるということに気付きました。
そして私の場合、もともとそういう性格というのが最も大きいと思うのですが、そこに日本の常識がそのまま通用しない海外での生活の中で磨きがかかり、より細かなことを気にしない性格になったと自覚しました。

こういうことに気付けたのも、これまでの自分の人生とはまた違った人生を歩んで来られた人からこそ得られるもので、やはり様々な背景を持った方との対話する時間は必要だと思っています。

人にぶつからないようにスタスタ歩くスキル

職場の後輩と外出などで一緒に歩いていてよく言われるのが、「林さんは歩くのが速い」ということです。
自分では自然なスピードなのですが、確かに通勤中に一人で駅を歩いていても、ほぼ誰にも抜かれたことがないし、朝の通勤ラッシュ時間なんかで言えば、多分300人くらいはごぼう抜きしてるくらい、スタスタ歩いてます。笑

でも、もともとそうだったかな?と過去を振り返るとそうでもなく、別に自分が特段せっかちだから、というわけでもないと自覚しています。
じゃあ、いつからなの?を振り返ると、やはり東南アジアでの生活に原因がある気がしています。

海外に行かれたことがある方はよく分かると思いますが、歩行者が道路を渡るのって一種の慣れといいますか、経験則的に学ぶタイミングみたいなのがありますね。
私が長く時間を過ごしたミャンマーでは、道路がガタガタな場所も多いし、歩道が整備されていない場所も多い。横断歩道もあまり見たことがないですし、渋滞時間の車の距離感が半端ないのです。日本ではあり得ない車間距離で、車と車が密集していて、日本人よりも断然運転上手いのでは?と思う時がよくあります。(もちろん、事故も多いと現地メンバーから聞きました)

そんな場所で道路を渡るには、とにかくタイミングを掴むことが大事で、慣れてしまえばどうってことないのですが、確かにミャンマー現地にいた時も、車が走る中でスタスタと道路を渡っていく姿を見て、「林さん、よくそんなに勇敢に渡れますね」と言われたこともよくありました。

でも、同じように、現地で過ごすことが多いメンバーは、みんな私と同じタイミングでスタスタ道路を渡っていたので、あぁ、これがいわゆる経験則か、と実感しました。ある程度要領が分かってくると、自分でドライバー側を制しながら、「今だ!」のタイミングを自分で作れるようになります。とはいえ歩くのが遅いと到底いつまでも渡れませんから、車にぶつからないように道路を渡る中で自然と歩くのが早くなったと自己分析しています。笑

まぁ、東京で人にスピードを維持しながらスタスタ歩くのは、東京の通勤ラッシュの中で人にぶつからないように歩くことと掛け算で身につけたスキルです。

自分の職域を自分で制限しないマインドセット

私が知る限り、どの企業もそうでないかな?と思うのですが、基本的に日本企業が海外進出しているケースでは、日本側のビジネスも当然あるので、海外ビジネス側に潤沢なリソースをアサインできる余裕はほとんどありません。

だから、現場でお客さんとミーティングに出たり、関係者と会話をしている時には、常に「自分が会社の代表者」という役割と立場で参加することになります。
だから体制上、自分が直接担当する仕事でない件について、お客さんから問い合わせを受けた時も、まずは自分ができるだけ普段から横のチームの仕事も気にかけておいて、100%の回答は返せないとしても、その場で60%くらいは一時回答して、詳細は持ち帰る、ということが当たり前になっていました。

でも、そこから日本に帰ってきてびっくりしたのは、「私は担当でないから分かりません」といきなりシャットアウトしてしまう人がとても多いことです。
東南アジア現地で仕事をしていた時は、そんなことは恐ろしくて出来ませんでした。なぜなら対峙している人も、国際機関のコンサルタントやアドバイザーとして、その組織を代表して来ているため、「私は担当でないから分かりません」なんて発言することは「私は無能です」と言っているのに等しいからです。

その組織を代表して来ている人が、せめて「社内確認してすぐに回答します」すら言えず(本当はそれすら「こいつは職域が狭い」と思われるので危ういのですが)、「それ、私の仕事ではありません」なんて言ってしまったら、じゃああなたは何のためにいるの?と問われてしまいます。

体制上の指揮命令系統をはっきりさせることや、役割を明確にすることは重要だと考えますが、それが意味することを「自分はそれだけやっていればいい」と考えてしまう残念な人が一定数いると感じています。
もちろんこれは日本だけの話ではなくて、どの国にもいます。

でも、それでは、所掌が広くなっていくと当然能力的な限界が来るし、自分の成長やステップアップを考えているのであれば、致命傷なスタンスだと考えます。

私も最初は、自分のチームの仕事しか見えていない人間で、当時の厳しい上司に「横を見ないとダメ!」と何度も厳しく叱られながら徐々に身につけられた感覚があります。あ、自分も、自分の職域に捉われず仕事ができるようになって来たかも?と感じた象徴的なエピソードは、現地の仕事をはじめて1年くらい経った時に、日本からの出張者が宿泊していたミャンマーのホテルWifiが弱く、PC作業に影響が生じていたので、そのWifiを強くした時です。笑

私のミッションは担当システムの業務アプリ開発のリーダーでしたが、ホテルと交渉し、さらにはホテルのネットワーク機器を提供しているプロバイダーと面会する時間を作り、プロバイダーのエンジニアと一緒にホテルWifiの調査をして原因を特定し、回線を太くしてもらった時には、少し成長を実感できました。笑

アンコンシャスバイアスへの留意

アンコンシャスバイアスとは、直訳すると「無意識の思い込み」です。
自分自身は気付いていない「ものの見方や捉え方の歪みや偏り」を指しており、自分でも無意識だからなかなか偏っていることにも気付きにくい性質があります。

色んな国の人と関わり、一緒に仕事を進めたり食事をする機会を持っての一番の気づきは、「どの国でも、人それぞれ」ということです。

「この人がそうするのは、○○という国の人だから」みたいなこともまぁなくはないですが、それよりも個人差が圧倒的に大きいです。どの国にも横柄な人はいるし、大人しい人もいる。自分の意見を伝えるのが得意な人もいれば、苦手な人も普通にいます。ミャンマーという90%以上が仏教徒の国でも、ビールはほぼ飲まないという人もいれば、調子に乗ってお酒飲みすぎて二日酔いになって日本人と一緒に次の日に後悔してる、というシーンも普通にありました。笑

結局は、どこに生まれてもその人次第、ということに気付いてからは、○○出身だからこうではないか?と考えるのを意図的にしないようにしました。一緒に働いていたマレーシア出身の方が日本に数ヶ月間滞在されてた時に、ムスリムにとって欠かせない毎日のお祈りができる会議室を予め確保するとか、そういう配慮はもちろんしました。大体の日本の職場ってそういう場所がそもそもないですからね。

ただ、日本国内であっても、自分が直接確認していない事実に基づいて「多分こうではないか?」と考えることを極力しないようになったのは、海外の多様な考え方や文化の方と過ごす中で、「勝手な決めつけ」がいかにズレているか。結局は個人差なんだ、ということに気付いたことが影響しています。

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林 裕也@30代民間企業の育児マネージャー
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