見出し画像

#293 第二の故郷 ミャンマーでの暮らし

いかがお過ごしでしょうか。林でございます。

私は20代〜30代前半の約10年間、東南アジアでの仕事に従事してきました。
当時は、ミャンマー、タイ、インドネシア、マレーシア、シンガポール、フィリピン・・・と多くの国を跨いで仕事ができて、人生の中でもかなり激動、かつ充実した時間を過ごしたのですが、その中でも最も多くの時間を過ごし、生涯の友とも言える素晴らしい仲間がたくさんいる場所がミャンマーです。

2020年4月、日本がコロナ感染拡大防止を目的とした緊急事態宣言が発動される前日まで私はミャンマーのヤンゴンで普通に仕事をしており、2021年2月にクーデターが発生して以来、いよいよ渡航ができなくなってしまいました。それまでは年に半分は出張ベースでミャンマーに行っており、私の人生の中では、日本以外で多くの時間を過ごしたということで、ミャンマーは私の第二の故郷といえます。

先日少しミャンマーの話をしていて、久しぶりにあの激動の時間を思い出したので、これから海外出張の思い出なども何度か書いていきたいと思います。
YUIさんのLIFEという曲で「過ぎてきた日々全部で 今のアタシなんだよ」というフレーズがありますが、まさに20代〜30代前半の超濃密な東南アジアでの時間が、今の自分の人生観、仕事観を形成しています。
しかし、あれから5年も経たないうちに、あの時の強烈な時間、思い出がぼんやりしてくるのが勿体無いと感じており、きちんと文章でアーカイブにしておきたいなと。

ミャンマーの仕事には、2014年〜2021年頃までメインで関わっており、1週間日本で過ごして、1週間ミャンマーで過ごして・・・みたいな時間をその間繰り返していたので、さすがに観光客気分にはなれないというか、どちらかというと生活者目線になってしまっています。なので、ミャンマー料理や観光地の話というよりも、よりマニアックな話となってしまう点、ご了承ください、、!

ミャンマーの季節

ミャンマーには春夏秋冬はなく、大きくは、乾季・雨季・暑季の3シーズンに分かれています。乾季は11〜3月頃、雨季は6〜10月頃、暑季は4〜5月ごろで、最も過ごしやすいのは乾季です。

ちょうどこの頃は、日本が寒い季節ということもあり、温かい場所で過ごしやすいというのもありますし、ミャンマーにいても涼しいくらいの気候なので、とても良い季節です。
ミャンマーでの年越を経験したことも何度かありますが、仕事の仲間と一緒にヤンゴンのホテルで紅白歌合戦を見ながら、ヤンゴンの夜9時半(日本との時差は2.5時間)にみんなで年越そばを作って食べながら年越したこともあります。

#プロジェクトの仲間に働きかけて、日本から麺を持ってきたりして、ホテルの大部屋でワイワイそばを作ったりして、10年近く経っても覚えているいい思い出です。

逆に暑季はかなり暑く、40度近くまで上がります。とても外にはいられない状態です。雨季になると少し気温は下がるものの、とにかくスコール級の雨が降るんですね。ミャンマーでの仕事では、ロンジーと呼ばれるスカート型の正装と、サンダルを履いていましたが、スーツに靴だと、スコール後に膝下まで水が浸かっている状態なので、とても歩けなかったのを思い出します。

男性用ロンジーのイメージ(さすがにヤンゴン市内に牛はいません)
https://ja.wikipedia.org/wiki/ロンジー

このロンジーは、ただの布の筒のような形状をしているので、慣れるまでは上手く着るのが難しくてずり下がってきます。はじめの頃は、「Yuya、ロンジーの着方がなってないよ!」とミャンマーのお客さん(女性)に言われて、ロンジーを一緒に履かせてもらうことも何度もありました笑

ヤンゴンとネピドーの移動

ミャンマーが少しややこしいのは、最も人口も多く街が栄えているのはヤンゴンになるのですが、2006年にヤンゴンから北に320Kmほど離れた内陸の都市ネピドーに首都が遷都されていることです。

だから、主要行政機能はネピドーにあり、要人などが普段いるのもネピドーになります。日本でいう霞ヶ関はネピドーになります。
あとから人口的に作られたということで、ネピドーは片側11車線もある道路もあるのですが、いざという時にそのまま飛行機の離発着に使えるようにするため、という話もミャンマーの方から聞きました。

当然、後から作られた都市なので、ヤンゴンに比べて人口も少なく、片側11車線あっても、ほとんどの車線が普段は使われていません。
ジェトロの情報によると、ミャンマー全体の2023年の人口は約5,800万人いますが、ネピドーの人口は推計値で115万人ほどとなっています。

仕事で国の要人とミーティングがある時には、朝7時ヤンゴン発のフライト(当時は、AIR KBZかMyanmar National Airlineの二択だった)でネピドーに移動していたので、朝5時ごろにはホテルを出て空港に向かう日々でした。

ネピドーまではフライト時間1時間程度でしたが、プロペラ機での移動や、機内の朝食が程よいサンドイッチとクッキーなどで美味しかったのを覚えています。個人的には、JALやANAの機内食よりも好きでした。
ネピドーには、主に政府要人とのミーティングで世界中から多くの人が集まっており、西欧から来られている方も多かったです。

ヤンゴンとネピドー間のフライトは、朝一、昼、夕方の3便しかなかったので、ネピドーの中でも自由に動き回りたい時や、お客さんとの用事がいつ終わるか未定の時は、車で片道5時間かけて移動することも多かったです。
車の中では、アルファードの椅子を全部倒してフルフラット状態にして、日本とのミーティングに参加したり資料作ったりしていました。ヤンゴンとネピドー間は高速道路ですが、道はボコボコしており、牛が高速道路を歩いているのを見れたりします。当時は、完全に「当たり前」の光景になっていました。

親切で勤勉な人が多い国民性

もちろん、どの国にも悪い人はいますが、基本的にミャンマーの方は親切で勤勉な人が多いです。特に、優秀な女性が多く、私が一緒に仕事をしていた方も女性ばかりでした。

当時は特にお客さんにも恵まれて、仕事の用事で行くと「Yuya、よく来たな。まぁ座れ」的な感じで甘いコーヒーとお菓子が出てきて、2時間近くお客さんの雑談を聞き続けたこともあります。
そんな感じでしたから、多少はミャンマー語も話せるようになり、時々日本でミャンマーの人を見かけると、久しぶりにミャンマー語でコミュニケーションが取れたりするのも懐かしいです。

時間の過ぎ方もいい意味でゆっくりしており、仕事のミーティングも基本的に時間通りに始まることはほぼなく、10分遅れなら早い方、デフォルト30分遅れ、時間がかかると1時間遅れ、みたいな感じです。
そんな時間も、一緒に待っているミャンマーのお客さんと雑談したり、ちょっと確認したい仕事の要件を確認する時間にできて、「こういう余白って大事だな」と感じていました。

何かトラブルがあっても「無事にトラブルが復旧してよかったね」とか「今のうちに問題が見つかってよかった」と声をかけてくれることも多く、この辺りも日本とは違う価値観で好きなところでした。

・・・とあれこれ思い出しながら書いていたら、あっという間に3,000字を超えてしまったので、東南アジアでの思い出については、今後も緩く書いていきたいと思います!

この記事が参加している募集

もし面白いと感じていただけましたら、ぜひサポートをお願いします!いただいたサポートで僕も違う記事をサポートして勉強して、より面白いコンテンツを作ってまいります!