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#459 「論理的誤謬」を見抜け!情報爆発時代に必要な受信リテラシー
先日、「情報爆発時代」において、改めて「情報の受信リテラシーが大切」という話をしました。
これに関連して、今日は「論理的誤謬(ごびゅう)、Logical Fallacy(ロジカル・ファラシー」というキーワードで話をします。参考文献は、米国エクセルシオール大学の公開資料です。
論理的誤謬とは、誤った論理や不適切な推論に基づく思考の誤りのことを指します。
生成AIの普及により、何が正しくて、何が嘘なのか、より分かりにくくなった社会。XのようなSNSでは、エンドレスにスクロールすることで次から次に情報が表示され、まさに「論理的誤謬」に満ちた世界です。
「論理的誤謬」が危険なのは、悪意を持って使う人がいるだけでなく、私を含め、意図せずに使ってしまいがちだということです。
以前、高校向けの「情報Ⅱ」の授業を自分で組むならこんなカリキュラムにする、という考えをまとめました。この中で、メディアの情報を自分で嗅ぎ分ける能力を身に付けるための具体的実践について言及していますが、「論理的誤謬」という概念を理解して意識しておくことで、情報の見方が変わってきます。
メディアリテラシーだけでなく、職場の会議や、調べ学習のような場面においても、「誤った論理が使われているのでは?」を見抜く力が身に付きます。
誤った論理で正しい結論が導けないというのは、組織や事業の方向性に関する意思決定を誤るということなので、とても怖いことです。しばしば、誰かの説得を試みる際に使用されることもありますが、意外と実際のビジネスの現場でも多発している事象では?と感じます。
今日は、「論理的誤謬」のいくつかのパターンと具体例を紹介しつつ、このような考えを子どもの頃から身につける重要性を考えていきます。
「論理的誤謬」のパターン
具体的な「論理的誤謬」のパターンをいくつか紹介していきます。
政治家の討論を聞いたり、Xで飛び交う議論を見たりしていると、たびたび見かける光景です。「これも論理的誤謬なのか!」という感じで見てみてください。
1. 藁人形論法(ストローマン・ファラシー)
藁人形論法とは、「相手の主張を歪曲したり誇張したりしたうえで、歪められた主張(=藁人形)を攻撃する論理的誤謬」です。
この手法を用いることで、「本来の主張に正面から向き合うことなく、自分が議論に勝ったような印象を与える」ことができます。しかし、実際には相手の意見を正確に捉えていないため、議論としては不誠実ですね。
これ、仕事でも時々遭遇します。
こちらの主張が相手に過大・歪曲解釈され、「いや、そんなことは言っていないんやけど・・・」という論点に対して反論される。
何故これが頻発するかと言うと、相手の主張に真っ向から勝負すると勝てない議論に勝つための手段のように感じられるからです。しかし、これは言ってしまえば「相手の意図を正しく理解できない、傾聴スキル不足」でしかないんですよね。
先日紹介したちきりんさんと木下斉さんのディベートで、お二人の議論は主張は異なるものの噛み合っているのは、お互い傾聴スキルが高いことによるものだと考えます。
日常の議論において「藁人形論法」に直面した場合は、「遠慮せずに自分の主張を繰り返すことが大切」です。議論の条件と土台を冷静に再確認することで、藁人形を吹き飛ばすスタンスが重要です。
2. 誤った二分法(False Dilemma)
「誤った二分法」は、「本来は複雑な問題に対して、あたかも選択肢が2つしかないかのように提示する誤謬」です。「白か黒か」という単純な思考に陥らせることで、本来存在するはずの「グレーゾーン」を無視させるアプローチですね。
上述したちきりんさんと木下斉さんのディベートでは、ある種ゲーム的に「新聞やテレビは必要か?不要か?」、「高齢者向け社会保障は必要か?不要か?」とあえて二分しています。私たちにとって大事なのは、「二分で考えて、どちらかいずれに共感する!」みたいな話ではなく、「あくまで自分の考えとして、二分だけでは大きすぎて出てこないグレーゾーンにある主張を持つこと」です。
先日、横山瑞法さんが「分別は無い方が良い」という話をされており、非常に納得しました。そもそも複雑な世の中のことを二分すること自体が無理なんですよね。分別はないほうが自然だし、その方がよい。でも、複雑な世の中をすべて複雑なままでは、さすがに社会を回していけないから、あえて私たちは「分ける」という選択をしています。
そのあたりを理解して、「AかBか」みたいな対立構造を見かけたら、「これは誤った二分法ではないか?」とまず疑うことが出発点。
物事をあらゆる角度から分析し、より多くの選択肢やニュアンスがあるのが、健全な論理的思考です。
3. 早まった一般化(Hasty Generalization)
「早まった一般化」は、証拠となる情報があまりに少ないにもかかわらず、広範な結論を導き出してしまうことです。
発信においても、日常生活や仕事での意思決定においても注意が必要なのは、「自分の身近にあること・見えている世界が、世界の全てである」と勝手に決めつけることですね。
統計や世論調査を見ても、サンプルサイズがあまりにも小さいときに「早まった一般化」が起こることがあります。誰かの主張を聞いたとき、その主張の根拠であるデータは何を見ているのか?
情報の受け手としても、情報の発信側としても、よく意識する必要があります。
「論理的誤謬」を学ぶ機会ってあまりない
情報過多な時代において、自分の頭で考える力はますます重要になってきます。でないと、誰かが意図的に作った誤謬に気付かずに、誰かの意見に流される・騙される人生から永遠に脱却できません。
上記で紹介した以外にも、様々なパターンがあります。
・恐怖への訴えの誤謬(恐怖を使って議論に対する反応を引き起こす)
・人に対する誤謬(相手の議論を攻撃する代わりに、その人自身を攻撃する)
・バンドワゴンの誤謬(多くの人が支持している主張は正しいに違いないという認知バイアス)
・連想による罪悪感の誤謬(相手の主張を信用できないものにするために、相手を悪評のあるグループや人物と結びつける)
全体として、主張の人気や、情報から受け取る感情などの「情報の外側」ではなく、「情報の内側=事実と論理」に注目することが肝。陽動作戦に引っかかりそうかも?と感じた時に、議論の中心にある、実際の問題に集中するよう努める癖をつけることが、情報の受信リテラシーを身につけることなのです。大事なのは、上記で紹介した「論理的誤謬のパターン」を暗記することではありません。
エクセルシオール大学のオンライン教材では、学生が動画や広告を見て、論理的誤謬を見つける授業ができるように紹介されています。
このように、論理的誤謬の手口を学ぶことや、自分が書いた文章や何らかのアウトプットについて、第三者からのフィードバックを受けることも有効です。
今日は、「情報Ⅱ」の授業で文理関係なく知っておくべきと考えている「論理的誤謬」について、学んだことを皆さんにもシェアしてみました。
「論理的誤謬」に騙されない考え方を身につけていきましょう!
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