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#365 毎日3,000字投稿を1年間続けて得られた気付き

いかがお過ごしでしょうか。林でございます。

昨年の今頃に「発信は投資である!」との考え方に基づき、毎日書いてみようと決めて地道に続けてきた「林裕也の今でしょ!note」ですが、本日で無事に365回目を迎えました。

まぁ、発信者の世界の中では、まだまだひよっこなわけではありますが、大事なのは3,000字投稿を毎日続けてきたことそのものよりも、損得勘定やコスパ・タイパ視点で捉えると何になるのか理解しにくい「それやって意味あるの?」の答えを探し続けることなのかなと。

現時点で、実感として感じつつある意味や効果もあれば、まだ出会えていない意味や効果もあると考えており、まだ見えていない何かに出会うためには、引き続きマイペースで取り組んでいくほかありません。
そして幸いなことに、自分は、何か物事を落ち着いて考えて言葉にするプロセスが割と好きなようで、全く苦労することなく続けてられています。

今日は、昨年の今頃にnoteを始めようと決めた日に考えていたことを振り返りながら、まずは365回目を迎えた今、どのような気付きがあったのか、考えてみます。


なかなか発信を始められずにいた自分

まず、改めて去年の記事を自分で読んでみて気付いたのは、note投稿を当時の2年前から始めようとしていたものの、躊躇してなかなか始められずにいた自分がいたことです。昨年は、仕事の部署も変わったばかりで、当時は青天霹靂の異動があり、異動先は人が全く足りておらず、いきなり激務という状況でした。

当時2歳と0歳の子どもの子育てもしていて、特に上の2歳がイヤイヤ期真っ最中で日々、朝保育園に行かせるだけでもゴロゴロ床に転げまわる子どもと2時間くらい格闘したりという状況でしたから、なかなか発信の時間を取ることができませんでした。

しかし、理由の中身は変われど「今は○○だから書けない」と言っていては、永遠に書けないし、投資であるならば、金融資産投資と同じでできるだけ早く始めた方が良いのです。
だから、何かきっかけが必要だ!と考えて、Macbookを新調してようやく書き始められたのが、昨年の今頃でした。

発信を始めた時の目的に対する実績効果

当時の自分が考えていた発信する理由に沿って、実際に1年間続けてみたらどうだったのか、を1つずつ振り返ってみます。

1. 発信=投資なのか?

まずは、本当に発信=投資なのか?という観点。

これは、本当に投資になっている実感があります

当時考えていたことは、自分の人生における「時間資本」を、勤務先の仕事1本だけに割り当てるのが良いのか?ということです。資産ポートフォリオの考え方と同様、手持ちの現金を全て1つの銀行の銀行預金に置いているような感覚があり、1点集中している現金を他に回したり、運用したりすることで、より全体としての効果が引き上がっていくのでは?と考えていたのです。

発信を始める前の自分の思考や知識等の知的アセットは、ほぼ勤務先企業の成果物(ドキュメントや成果)という形に変わり、会社のサーバ上にデータ化されているため、全くポータブルな状態でないんですよね。私が今の職場を辞めてしまえば、どんなに価値の高い知的アセットを生み出していても、情報種別が付与されて持ち運びできませんから、あくまでもそれらの持ち主は会社です。

だから、発想を転換して、あくまで知的アセットは自分自身に蓄積して、それを応用する形で勤務先から求められている期待事項に対して、成果という形で提供する、という捉え方に変えました。

昨日ご紹介した、職場で自ら企画した「生成AI共創ワークショップ」などは典型的な例で、企画に向けた思考の整理は、ほぼこのnoteで完結させました。
noteで頭を整理しながら生成AIに関するトレンドを掴み、どういうメッセージを参加者に伝えたいか言語化しながら、仕事の成果物に落としていきました。

それまでであれば、私が社内で生成AIワークショップのコンテンツを作って終わりでしたが、個人のnoteとも連動することで、自分の知的アセットはあくまで自分側に著作権(=私という個人に付随する知的ナレッジ)があり、それを加工・編集して、今の勤務先の成果として提供した、という感覚です。
だから、別の企業向けや、ビジネスとは別の分野にも応用ができる状態になっています。私が目指す「社内個人事業主」「一人両利きの経営」の人生戦略にとって、自分側にアセットを作る発信は、必要不可欠なアクションになりつつあります。

2. 社会に対する解像度は上がるのか?

これも明らかに上がった実感があります。
毎日書いたからこそ気付いたのは、アウトプットしたいテーマがあり過ぎて困る時期と、あまりアウトプットしたいこれ!というテーマが定まらない時期があることです。
そして大抵後者の場合、その原因はインプット不足にありました。

読書や、普段の自分の生活圏とは違う世界にいる人と話をしたり、新しいことに挑戦したりといった機会が持てていないと、記事がスラスラ書けないんですよね。だから、毎朝起きた時に、何も考えずに原稿が進んでいくときには適度にインプットできているとき、と自己認識できるようになりました。

インプットが足りていない時は、日々の中で何となく気になったキーワードをスマホのメモに残して置いて、後で関連レポートを見たりして強制的に発信することを行っていたので、特に私の場合、記事のテーマの一つにしている「楽しく仕事する」とか「マネジメント」、「幸福度を上げる」ことに関する周辺知識について、データからも客観的に理解できるようになりました。訪問した地域の独自調査などを行なった回もあるので、知らない世界のことをより深く知るようになりました。

3. 発信は楽しいのか?

楽しいです。笑

「自分の思考を見える化する」→「何より自分の学びになる」→「学びを仕事の場で実験したり、他人からフィードバックをもらって学びを深める」の成長プロセスを回したい、と昨年の自分は言ってましたが、まさしくこれが楽しさの本丸です。

仕事柄、文章を書くシーンが多いのですが、仕事で文章を書くこと・レポートを作ることが、本当に苦でなくなりました。なぜなら、普段書いているトレーニングの実践・実験の場だと捉えられるようになったからです。

そして、発信を通じて自分のことを認識してもらい、それまでの人間関係とは非連続的な形で知り合った人たちと、リアルの場でもお会いして意見交換できるのも楽しいところです。自分が文章を書いていなかったら、間違いなくこのような出会いはありませんでした。

途中、note公式さんの「今日の注目記事」に選んでもらえる記事もあったりで、色んな方に見てもらえるようになったのも有り難いなと。

こうやって書いててもそうなのですが、とにかく自分の考えや知識の引き出しが出来て、キーワードをインデックスにして、ネットから自分の記事を引っ張ってこれるのも楽しいです。上記引用の「熱い友達を作る価値」の回は、「林裕也 友達」とGoogle検索して、自分の思考がパッと見つかる便利な時代になりました。笑

考えが体系化されてきているからこそ、仕事で本業外のテーマになっても自分なりの考えを述べられるようになってきたし、多分それを面白いと感じてくれた人とより仲良くなったりして、この1年だけでもかなり世界が変わったなと。

1年続けただけでも、それまでの人生とは変化が生まれたので、これからどのような未知の体験ができるか、楽しみです。

書き続けることで、何かいいことがあるかもしれないし、ないかもしれない。
その答え合わせは、書き続けることでしか得られませんから、これからもマイペースに楽しみながらやっていこうと思います!

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林 裕也@30代民間企業の育児マネージャー
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