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#423 Will, Can, Must の順序性

いかがお過ごしでしょうか。林でございます。

今日はキャリア形成について、考えている話をします。

自分の強みを活かして高いパフォーマンスを出し続けるためには、「Will(やりたいこと)」、「Can(自分が得意なこと)」、「Must(周囲から求められること)」をベン図で示して、3つが重なりあうところを探しましょう、という話を聞いた事がある方は多いと思います。

株式会社マイナビ tameniの記事より引用
https://tameni.mynavi.jp/career/6055/

これ自体はその通りだと思うのですが、仕事を通じて出会う人と話していてもよく出会うのが「これと言ってやりたいことがない、見つからない」という人です。

私はこの「やりたいことがない」状態に対しては、割と明確なスタンスを持っていて、単純に「あ、これがやりたいことかも・・?」「これをやっているときの
自分は何だかんだ楽しめているな」と気付くまで動けていないからであると考えています。

やりたいことは「落とし物」のようにどこかにあるかな?と「見つける」ものではなく、自分で色々とやっていく中で「作るもの」であると考えています。
自分の外側にあるものを拾うのではなく、自分の内側に作り出す感覚です。

「問題」と同じです。

自分が当事者意識を持って、この問題は何とかしなければならない!と心の底から思える「問題」というのは、誰かが言っている「問題」ではないはずです。
「人口減少」なんて、よくある「問題」らしき「問題」の筆頭格で、以前大学や高校を訪れて外部講師として授業を担当していた時にも、「人口減少が問題だ!」という学生、生徒は沢山いました。
でも、それがその学生や生徒の具体的な行動として見えるものがあまりなかったのは、「人口減少が問題だ!」という話を自分事として感じられていなかったからでしょう。何となく、周囲で「人口減少が問題」という話を聞いて、だから問題だ!て思い込んでいるだけだと感じます。

企業の新規事業創発の場などでの様々なアイデアを見ていてもそうです。
本当に足りていないのは、「問題」や「課題」や「人手」ではありません。

「これが自分は問題だと思う」という自分なりの視点や価値観で作り上げた「問題」であり、それを「自分はこのように解決したい」という情熱の方が圧倒的に足りていないのを感じます。じゃないと、こんなに「やった感」出すだけの仕事に溢れていないでしょう。

話を「Will, Can, Mustのベン図」の話に戻すと、確かに重なりあっている部分が大きい方がところ、すなわち「自分がやりたくて、得意で、周囲からも求められていること」に自分のリソースを集中した方がパフォーマンスが上がるのは間違いないのですが、あまり語られないのがその順序性です。

今日は、このWill, Can, Mustの順序性について、考えていることをまとめます。


いきなりWillからは入れない

「Will, Can, Mustのベン図戦略」において、最終的にどのような状態になっているとHappyなのか?ということを考えると、この3つが重なり合っている部分が大きくなっていることです。あるいは、3つの重なる領域自体は社会全体からすれば狭いのだけれど、その重なりが消える確率は低く、深くコミット出来ている状態であれば、人生に対する満足度は高くなるはずです。

まだ、この重なりを見つけられていない人にとっては、Will、Can, Mustの個別の領域を単独で大きくすることで、重なる確率を高くすることから始めるのが鉄則ですね。

生まれたばかりの赤ちゃんは、もしかしたらWillもCanもMustも小さいですから、そこから成長していく過程でこれらを大きくしながら、自分なりに価値を発揮できる場所を作っていくのが、広義のキャリア形成だと考えています。
(生まれたばかりの赤ちゃんのWillは大きいと感じる方もいるかもですが、それは社会的にこういう事がしたいという次元のWillではないですよね。マズローの欲求5段階説でいうところの、生理的欲求、安全欲求は高いですが、自己実現欲求のような高次元のものではないはずです。)

そして、特に最近では、「やりたいことを大きくしなければならない」、「あなたのやりたいことはなんだ?」が問われがちなので、Willのところから大きくしないと・・と感じるかも知れないですが、いきなりWillから大きくするのってかなり難易度高くありませんか?

冒頭に話した通り、「やりたいこと」は、究極的には「これが私のやりたいことだ!」と自己認識するもので、もしかすると「思い込み」に近いものかも知れない。そしてそれは、色々と行動している中で、「やりたくないこと」も沢山見えてくる中で「これならやってても苦でないかも」というように感じるものなので、「Willを大きくする」というのは、頭の中で色々と考えていても、絶対に見つかりません。ましてや、ネットで検索しても見つかりません。生成AIも、私達のやりたいことの解は持ち合わせていません。

まずはMustとしっかり向き合うことが先決

と考えると、まずは「自分に求められていること」の量をこなして、ドンドンやっていくしかありません。Mustをちゃんとやれることってすごく大事。Mustが出来ない人が、「私がしたいことはこれなんです!」とWillばかり主張していてもチャンスが掴めないのは想像出来ますよね。「言われたことしかやらない部下」を嘆く上司もいるようですが、「言われたことすらできない人」というのも一定数います。だから、「Willは特にないんだけど、自分に求められることは精一杯やります!」の精神で、実際に「求められていることを理解して、やれること」って素晴らしいことです。

で、Mustに対して真摯に向き合い、求められていることをやれるようになってくると、当然Can(自分ができること・得意なこと)が増えてきます。そうすると、そのCanを求めて、他人から「これもお願いできないか?」となりチャンスが増えて、色々とやっているうちに、「あ、これが結構好きかも?」というWillが見つかると思うのです。

昨日まで振り返っていた二宮尊徳のキャリア形成を見ていても、まさしくこの「Will, Can, Mustの順序性理論」が当てはまります。

はじめは、比較的若い頃に両親を亡くし、預けられた万兵衞の家で農業の手伝いに勤しみ、自家の復興、小田原藩老中服部家の奉公を経験するところがキャリアのスタートです。これはまさしくMustに向き合っていた時間で、この間に自分の経験から「埋財法」や「分度」、「五常講」のような考え方を見出し、Canを大きくしたわけです。

で、そのCanに目をつけた大久保忠真が、そのCanをより広く認知させるための人事として桜町三ヶ村の復興事業に当たらせ、最終的に全国600地域の復興事業を成し遂げるに至りました。
復興事業が二宮尊徳にとってWillだったかどうかは本人のみぞ知るところですが、二宮なりに「ここが自分のパフォーマンスを最も出せる領域」と捉え、藩政への提言、地域復興事業にあたっていたのでは?と考えます。

Must→Can→Willが鉄則

まとめると、3つのベン図の重なりで勝負する考え方は重要ですが、そこに至るまでのプロセスは「Must→Can→Will」が王道です。

だから、特に新入社員とかで、「ここは自分のやりたいことと違った」として、すぐに別の場所に移ってしまう人を見ると、「勿体無いな」と思ってしまいます。
もちろん、その環境がブラックだとか、価値観が合わないみたい理由であれば、さっさと逃げてしまって良いと思いますが、「やりたいことと違ったから」という理由であれば、少なくとも「Mustをやる中で、自分なりにこれがCanになった」というものを見出すまでは、諦めずにやってみてもいいのかなと。

でないと、それまで投資した時間のリターンを回収しないまま、また1からスタートになってしまいます。

以上、自身の経験と多くの後輩たちを見てきて考えている「Will, Can, Mustの順序性」の話でした。どなたかの参考になれば幸いです。

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林 裕也@IT企業管理職 ×「グローバル・情報・探究」
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