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#399 自分の楽観主義はどのように形成されてきたか

いかがお過ごしでしょうか。林でございます。

ジブン株式会社ビジネススクールの2限目で、大きな失敗やメンタルを壊しにくるビッグモンスターに遭遇してしまった時でも、折れない強靱な自分を作るための「学習性楽観主義」の話が紹介されています。

課題図書である「オプティミストはなぜ成功するか」を読んでの考察は今後別途ご紹介するとして、オプティミスト(=楽観主義)を身につけることができたと感じる経験を振り返り、今後の人生選択において、さらにしなやかな心を身につけていけるようにしたいと思います。

私は、ストレングスファインダーで最も上に来るのが「ポジティブ」、私のことを「鬼滅の刃のリアル炭治郎」と称する人がいる程度の楽観主義者だと理解しています(善逸や煉獄さんが好きという人は多いものの、炭治郎を好きという人はあまりいないので、褒められているわけではないと思います笑)。

ただ、私の自覚としては、生まれた時から楽観主義だったかと言うとそうではなく、現在も本当はかなり繊細で豆腐メンタルな自分を守るために後天的に楽観主義を身につけた、という感覚のほうが強いです。

先日も紹介した通り、メンタルタフネスは後天的に鍛えられるものです。そしてそれは、どれだけ多くの修羅場を潜り抜け、問題解決の抽象パターンをストックできているかにかかっています。

今日は、「ポジティブ心理学」のエッセンスから、現在の自分の楽観主義を形成したであろう過去の経験を振り返ってみたいと思います。

広い世界の中の「一人の自分」に過ぎない自覚

私が経験的に物凄く感謝しているのは、20代の時に世界の様々な国で仕事をする機会に恵まれ、世界には色んな人がいるという当たり前のことを実感できたことです。

仕事・プライベートで訪問した国は30カ国以上で、明日詳細はご紹介しようと思いますが、サウジアラビアのリヤドで政府要人向けにプレゼンをしに行ったり、国際イベントでもいくつか登壇してプレゼンする場を20代からいただけたのは、今の自分にも本当に財産になっています。

どうしても狭い世界しか知らないと、狭い世界の中で「自分」という存在が相対的に大きくなってしまうため、自分に何かあると相対効果が働いて「大きな問題だ」と認識してしまいます。
一方で、中東の砂漠にはこんな格好をした人がいて、こんな人生もあるのか、ということを理解していると、「あの場所での人生、この場所での人生・・と無限に広い世界の中での自分」という実感が持てるので、自分の目の前の問題も相対的に小さくなり「大したことない問題だ」と認識できるようになります。

悩みや問題のサイズというのは、常に相対的なものです。

例えば、私は東南アジアでのキャリアが一番長いですが、同じ「ITシステムが一時的に使えなくなった」という事実に対しても、日本で起こると大問題になる問題も、東南アジアでは「あ、そうなの?じゃあ直るまで少し待とう」みたいな話がままあります。

そういう環境に身を置いていると、自分の基準もそこになっていきます。
例えば妻がバンコクに住んでいた時に、モルディブ旅行に行ったことがありましたが、空港のATMでカードが機械に吸い込まれたまま出てこない時がありました。

日本での感覚からすれば、個人としてはかなり焦ってしまうと思いますし、メディアでも大問題だ!と捉えられる事案かと思います。しかし、私も妻も価値観が東南アジア基準だったので、「まぁ仕方ないからATMメンテの人に声をかけてあとは待つか」みたいに事実を受け入れていました。

「問題」を「問題」たらしめているのは、そこにある常識や価値観であり、環境が変われば同じ事実に対しても周囲の解釈がまるで変わります。
だから「これは前代未聞の大問題である!」と鼻息荒く怒る人がいても、「え、大事なのはそこよりもこっちじゃない?」と感じることもしばしば。
"View from the moon"、宇宙視点・地球視点から見て「本当に目の前で起こっていることは問題なのか?本当はもっと取り組まないといけないことがあるのでは?」という視点に立つと、大抵のことは「取るに足らない問題」だと受け入れることができるようになります。

否定される場所にしか真の学びはない

もちろん私も頭ごなし・意味不明なロジックで否定されるのは嫌ですしメンタル削られますが、「否定」への捉え方を冷静に捉え直すだけで、楽観主義的な思考に変えることができます。

「否定」=「別の意見」でしかなく、「否定」=「自分の存在の否定」ではないことは正しく理解することが大切ですね。
当たり前ではあるのですが、いざ自分が否定されるとこのように捉えることができないことも多いのではないでしょうか。

私は本業のシステムエンジニアの仕事のほか、海外のIT人材育成プロジェクトの仕事で講師としての授業を担当したり、国際イベントや海外政府要人向けのプレゼン、日本の高校や複数の大学で授業や講義をする経験があります。
それは「自分の考えを発信して『否定』される場に出ていく」ということを意味しているのですが、「否定」=「別の視点からの意見があるのを知る」というだけなので、徐々に自分の意見と違う意見によるアウフヘーベン(哲学用語で、互いの考えの一部を保持したままより高い次元へと引き上げて新たな概念にすること)の発生を楽しむ実験の場と捉えることができるようになりました。

noteによる発信も、まだ1年ちょっとの期間、毎日発信を継続しているだけではありますが、異なる角度からの意見や補足の気付きを読者の方から頂戴することも多く、良い学びの場になっています。

社内で新規事業創発をメインで担当していた時も、全国30以上の地域大学との共同事業の提案を後輩と二人で行ないましたが、当然断られることのほうが多かったです。しかし、多くの大学が断る中でも、面白い教授の方は耳を傾けてくれ、実際に幾つかのプロジェクトをご一緒し、非常に学びも多い経験になりました。

長期視点で悩みを振り返るための「記録」

最後は、長い時間軸の中で、自分の経験を振り返るということです。

私が入社数年目くらいによく書いていたのが「5年カレンダー」です。今もたまに思いついたら書いたりもしていますが、日々の生活や仕事の中で上手くいったこと、落ち込んだことについて、4行程度で記録をしていました。
毎日書いていたわけではなく、時々気が向いたら書いていただけだったのですが、1年以上経つと同じページに、去年の自分が感じていたことが嫌でも目に入るんですね。

すると例えば、入社2年目くらいの自分が「プロジェクトの進捗管理は徐々にできるようになってきたが、品質管理はまだまだというコメントをもらった」みたいなことが書いてあり、「え、1年前の自分はこんなことで悩んでたの?」とメタ認知できるようになります。

この「当時はこんなことで悩んでたの?」という気付きがあることが重要です。同じ話で、「今目の前にどうにもならないと感じている悩みがあり、八方塞がりだ」と感じていても、同じように1年後の自分が見れば「こんなことで?」となるかもと思えます。

このnoteも1年を過ぎ、これからそのような効用も表れてくるはずです。何なら、毎日3,000字を書いているのでより当時の気持ちがリアルに分かり、「あぁ、当時はこういうことで悩んでたんだな」を振り返ることができるフックになります。
記録しないと、人は過去のことは基本的に忘れてしまいますからね。

今後40代に突入していくにあたり、深みのある人間になっていく上では、意図的に「楽観主義を強化する」ことが重要だと再認識しています。
今後も「大きな問題」や「ビッグモンスター」に直面しても、経験値を稼ぐ「メタルスライム」に出会えた気持ちで構えていきます!

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林 裕也@IT企業管理職 ×「グローバル・情報・探究」
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