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【今でしょ!note#54】 別紙は楽だが、角が立つ
おはようございます。林でございます。
今日は、「別紙は楽だが、角が立つ」というテーマで書きます。
タイトルから、何が言いたいか伝わりにくくてごめんなさい。
主張としては、報告書では楽チンな「別紙参照」という言葉に逃げず、主論はすべて本紙で語りましょう、という話です。
「逃げるは恥だが、役に立つ」に上手くかけようとして、上手くかかりませんでした。笑
それでは、本題にまいります。
本紙だけでは伝わらない報告書
ビジネスシーンでは、様々な機会で報告書を見る、作ることがあると思います。
仕事をしていて報告書を受けたり、レビューする立場でよく感じるのが、「別紙参照」という便利ワードに頼りすぎている報告書が蔓延しているということです。
さすがに、社として公表しているトラブル報告書の類のものは、相応の人の目線が複数入り、本紙だけでしっかり主論が構成されていますが、広く公表されるまでではないものでは「別紙参照」の誤用のオンパレードです。
例えば、本紙のほうで、何かの製品の「各機能の品質分析結果」という章があったとします。
その章について本紙のほうで書かれるべきは、各機能全体に見られる傾向の総論であったり、特異な分析結果が見られる機能に関する言及が適切です。
しかし、実際に書かれているのは、「各機能の品質分析結果を以下に示す。どの機能についても品質目標を満たしており、問題ない。詳細は別紙参照」みたいな感じになっており、別紙を見ると、各機能がエクセルで羅列してあり、それぞれの個別機能の評価が詳細に書かれてあるだけ、みたいなものをよく目にします。
つまり、個別の情報を吸い上げて、全体の傾向を分析したり、それを文章の形で言語化するプロセスを省いてしまい、本紙では当たり障りのないことを書いて、別紙では個別具体の話しかしていないのです。
報告書ですから、データを集めてきれいに整形してそれっぽくしました!では当然意味がありません。
データから得られた示唆はこれで、報告書を受けた人の承認を得るなど、何らかの決定が下されたり、納得してもらう、理解してもらうなどの何らかの行動を起こさせるのが、報告書を作る目的です。
そこが削ぎ落とされて形骸化してしまった結果、「大事なことを何も言ってない本紙」と「データの寄せ集めと個別の話の集合体だけの別紙」が生まれ、で、結局何なの?という報告書が出来上がります。
本紙では何も言っていないから、説明の際にはすぐに「別紙をご確認ください」となり、別紙に書かれていない行間を口頭で補足する必要が生じます。
本来は、この口頭で補足していることこそが、本紙側で言及されることになります。
本紙だけで伝えるのは労力がかかる
なぜこういうことが多発しているのか、を考えると、やはり本紙を構成して、別紙に逃げずに最後まで書ききるということには、ストレスが伴うからでしょう。
でも、そのプロセスを踏むことで、その報告書で自分が真に報告したいことが言語化されて、頭の中、組織の中でもやもやとした暗黙知が形式知に変わっていきます。
もちろん私も完璧にはできませんし、頭を使って書いてみて、他者のフィードバックを受けて構造をもう一度捉え直して再構成して・・・のプロセスを経ないと、しっかりとしたものは作れません。
私が言いたいのは、「別紙参照」でそれらしく作った報告書で、それでOK!と思考を止めてしまうのではなく、本紙を構造的に書き切る努力を普段からしていきましょうということです。
研ぎ澄まされた言葉や、強い文章というのは、無駄が削ぎ落とされて、文章全体に一貫した芯があるのを感じます。
アメリカの第28代大統領のトマス・ウッドローウィルソンは、歴代の大統領の中でももっとも演説が上手かったと言われています。
彼は、次のような言葉を残しています。
「2時間の講演なら、今すぐにでも始められるが、30分の話だとそうはいかず2時間の準備時間が欲しい。3分間のスピーチなら、少なくとも一晩は準備にかかる」
これはまさに言い得て妙です。
別紙や口頭補足に頼らず、正々堂々と本紙で語り切るには、相応に考える時間がかかります。
でも、そこに向き合うからこそ、芯のある強い文章を書く力が身に着きます。
これは筋トレと同じで、意識して鍛えていくことで徐々に身につくスキルだと思うので、私も改めて意識していきます。
「書く力」は、強力な武器
現代における「文章を書ける力」と言うのは、基本的にどの業界・職種においても、強力な武器です。
江戸時代の武士における剣術に相当するものです。
文章を書ける力があれば、構造的に説明することもできてきます。
書くことに苦手意識を持つ人がまだまだ多い時代だからこそ、比較優位にも立ちやすいスキルです。
今後、大組織・一体型・脱個性の時代から、各個人がそれぞれのオリジナリティで勝負する分散型社会に転換していく中では、自分の活動や専門性を誰かに価値として認知してもらう必要があります。
活動のコンテンツ自体に魅力があるのは前提ではありますが、それを届けたい人に届ける時に「書ける力」の有無によって大きく結果を左右してきます。
だから、「書ける力」を日々トレーニングして自分の能力値としておいたほうが、長い目で見ても意味がありますし、それを普段の業務で鍛えられるチャンスがあるのであれば、それを活かさない手はないよね、ということです。
幸いなことに、日本の義務教育の水準は世界的にもトップクラスで、高い識字率を持った国に生まれています。
日本の教育の話はまた別の記事に譲りますが、誰でも書こうと思えば書きやすくなった時代です。
日々の業務の文章作成を、ただの面倒臭い作業だと捉えずに、自分の能力を伸ばす絶好の筋トレの機会だと思って、別紙に逃げずに正面から向き合ってみましょう!
それでは、今日もよい1日をお過ごしください。
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