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使命感、ことば、心の動きその全てにに惹かれてしまう

ここ最近、仕事にまつわる本を読んでいる。

それは、無意識的だったのだけど、たぶん、就職活動中だから、「そういうのをもっと知りたい」みたいな欲求が、心の奥底にあったんだろうと思う。

三浦しをんさんの、『舟を編む』

名前だけは聞いたことがあった。多分少し前に、本屋で見かけたか、映画か何かのタイトルでちらっと見たか。

それで、多分頭に残っていて、kindleの本を見ている時に、目に入り、買った。

何気なく手にとった本なのに、いい本だった。

どんな本なのか

一言で言えば、辞書編纂の仕事の本。

実は、「校閲ガール」を読む前にこの本を読んでいたのだけど、同じ出版を扱うものでも、「校閲ガール」とは、ぜんぜん違うなと思う。

主人公は、出版社で売れない営業で、あまり馴染めていなかった馬締(まじめ)という男だ。

名は体を表すというけれど、名前の通り、真面目な男である。

もともと、辞書づくりをある専門家と編集者がつくることになった。しかし、編集者はもう定年間近。そこで、新たな辞書編纂を担う存在として、まじめが選ばれたのだ。

とはいえ、その編集者は、辞書への想いの強さから、その後も辞書編纂に大きく関わるし、専門家は、辞書づくりに命をかけて、日々を辞書の用例集め(聞き慣れない単語変わった言葉を紙に書き留めておく)に費やしている。

彼ら三人は、辞書への熱を心に持っているのである。

そうした彼らの姿に、周りの編集部員たちをはじめとした登場人物たちもだんだんと引き寄せられたり、なにか大切なものに気付かされたりしていく。そういう話が盛り込まれている。


心に残ったのは、使命感とも言える情熱

心に残る場面はいくつかある。なんとなく、引っかかるところがいくつもある。ここでは、少しだけ、抜粋したい。(といっても、分量は多いかもしれない)

辞書への熱意を持つ三人に対して、違いを感じたある編集部員、西岡の、思いの丈、心の動きが、ことばになっているところだ。

辞書に魅入られた人々は、どうも西岡の理解の範囲からはずれる。まず、仕事を仕事と思っているのかどうかからして不明だ。給料を度外視した額の資料を自費で購入したり、終電を逃したことにも気づかず、調べもののために編集部に籠もっていたりする。

一種熱狂的な熱が、彼らの中に渦巻いているようだ。かといって、辞書を愛しているのかというと、ちょっとちがうのではないかと西岡には感じられる。愛するものを、あんなに冷静かつ執拗に、分析し研究しつくすことができるだろうか?憎い敵の情報を集めまくるに似た執念ではないか。

なぜそこまで打ち込めるのか、謎としか言えない。見苦しいとさえ思うときがある。だけどもし俺に、まじめにとっての辞書にあたるようなものがあったら。西岡はつい、そう夢想してしまうのだった。

きっと、今とはまったく異なる形の世界が目に映るのだろう。胸苦しいほどの輝きを帯びた世界が。

出典:『舟を編む』、三浦 しをん

この文を読んだとき、わかる。ってなった。

たぶん、この感覚に近い。でも、「愛でもない」というとおり、ちょっと違うのだろう。

そう考えると、もはや、使命感に近いのかもしれない。愛とか、感情とかじゃなくて、「これは自分がやらないといけない。そのためなら、なんだってやってやる」みたいな。

これを、大変だとも思うけど、一方で、羨ましいとも思う。だって、これは決して、だれかに決められたものでもないはずだし、自らが決めたものであるはずだから。

自分もそうしたなにかを見つけ、自らの心に問うて決めたいし、使命感を持っていきたい。あるいは、見つからなくてもいいから、使命感を持てる何かを自分でつくっていきたい。

──手放したくないなにかがある。このあと、西岡はそうした自分を認める。自分に正直になる。個人的に、このことばに続く、西岡のシーンが凄くグッと来る。かっこいいと思ってしまう。

もちろん、他のシーンもおもしろい。人が変わっていく瞬間、心情の変化、見えないのに、顔つきが変わった姿が想像できる。

そして、なんといっても、まじめの恋のシーンは最高だ

とても、微笑ましくて、「いいなぁ」なんてことばをこぼしながら、笑ったりニヤついたりして見てしまうことは間違いない。

それに、辞書の奥深さ、工数のかかり方、紙へのこだわりなどがわかるシーンもあって、辞書が簡単にはつくれないものであり、製作者のたゆまぬ努力と想いが多く込められた結晶であることを知った。

仕事として、人間模様として、見どころが満載だからこそ、「またもう一度読みたいな」と思える、本だった。


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