読書感想文 「読書猿/独学大全」「池田晶子/14歳からの哲学」
こんにちは。
何となく久しぶりの文章投稿。
今回は、ここ1ヶ月くらいずっと読んでいた本について、書いて行きたいと思います。
お時間あれば、お付き合い下さい。
学びの動機
ここ最近読んでいたのは、
読書猿 著 / 独学大全
という本。
かなり前から欲しいと思っていたのだが、度々襲い来る金欠という嵐に耐えるため、泣く泣く買うのを諦めていた。
(ただただ買い物の順番を決めるのが下手なだけ。)
1ヶ月程前にようやく購入。
それからというもの、辞書のような厚さのその本をずっと持ち歩いている。
簡単に言うと、この本は「学び方」について書かれた本。
それも、学校に通う・誰かに師事するなどではなく、自分で「独学」する人のために書かれた本である。
この本は、独学者が例外に漏れず対峙する
・学び方をどのように決めればよいか分からない
・学びたいのにやる気が出ない
・そもそも、どのジャンルを学べばよいのか分からない
などの悩みについて、具体的な手法をいくつも提示してくれている。
独学者にとっての駆け込み寺のような本だ。
この本の中で紹介されている手法のひとつに、
自分がなぜ学びたいのかを文章化することで、学ぶ動機を明確にする
(学びの動機付けマップ)
というものがある。
ある時は、怠惰ゆえに高い金で買った本を読むことを忘れ。
ある時は、人に「そんなことして何になるの?」と言われて凹み。
またある時は「そもそも自分の生活には、勉強に時間を割くほどの余裕がない!」と悪態をつく。
それでも度々、独学という場所に戻ってきてしまう。
その理由を明確にするための手法である。
ここからは、私自身がなぜ学ぶのか、その動機となった経験を文章にしてみたい。
独学大全の読書感想文に換えて。
ある文筆家との出会い
15年ほど前、ある本に出会った。
上京して初めての夏。
北国生まれの私は、初めて熱帯夜というものを経験し、なかなか寝付けない日々を送っていた。
睡眠不足となった私は「なんか小難しい本でも読んだら、眠くなって寝れるんじゃね?」と如何にも安直な考えに至り、普段立ち寄らない書店の奥のスペースに初めて足を踏み入れた。
そこで、たまたま目に留まったのが
池田晶子 著 / 14歳からの哲学
という本である。
哲学。なんて小難しそうな響き。
これを読めば眠れるに違いない、と即決でその本を買った。
うまく行かなくても笑い話くらいにはなるだろう、と思っていた。
その日の夜。
14歳からの哲学を読み始めた私は、それまで感じたことのない感覚に飲まれることになる。
哲学の本でありながら、専門的な用語は一切出てこない。
哲学と言うジャンルに対し「専門用語が縦横無尽に飛び交い、たちまち門外漢は置いてけぼりにされる」というイメージを持っていた私は、拍子抜けを食らった。
そして、普段から馴染みのある言葉たちによって展開されていくのは、何か特定の知識についてではなく、
「解らない」
という感覚に対しての著者の思考なのであった。
物事を静かに観察すると、根っこには必ず「解らない」感覚が存在している。そこをさらに観察すると、その奥には無限の闇が広がっている。
そこに書かれているのは、私が今まで体感しながらも言葉に出来なかった
「自分が住んでいる"この世界"についての疑問そのもの」
であった。
善悪って何なのさ。
国って何なのさ。
人って何なのさ。
そもそも自分ってなんなのさ。
その本を読み進めるうちに、
「このままこの本を読み進めたら、自分は大変な事実を知ってしまう。そして知らなかった頃の自分には、二度と戻れなくなる。」
という不安と興奮が入り乱れた状態になったことを、よく覚えている。
当初の予定(数ページ読んだところで寝落ち)とは、正反対の状態。
読み進める手は止まらない。
「何かを知るという事は、どれだけ考えても最後には理解できない部分が出てくることを理解することで、その解らないという感覚が、さらに物事を知りたいという動機になる。」という事を、肌感覚として知ることになった。
「解らない → 理解したい → 知る → さらなる解らないに出会う」という無限ループに、アッという間に飲まれてしまった。
この本の他にも、様々な人や本、経験との出会いが、如何に私がものを知らないかを教えてくれた。
ただ、私の中にある知識欲(みたいなもの)の根っこには何時も、この本を読んだ時の興奮がある。そんな気がする。
つまり根本的には、何かを学んでいること自体が楽しいのだ。
結果(その知識が何の役に立つか)については、実は二の次であることが、この経験を文章化してみて解った。
最後に
なんだか今までの記事以上に、とても個人的な内容となりました。
見苦しい点は、どうぞお見逃し下さい。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。