はぐれ鳥
日記より26-14「はぐれ鳥」 H夕闇
九月十六日(金曜日)曇り
肌をジリジリ焼くような炎暑が漸(ようや)く過ぎ、日差しが柔らかくなったから、又そろそろ散歩に勤(いそし)しむ積もりだ。その普段の散策コース沿いに(公園の外れのN川の対岸で)偶(たま)に白鳥の姿を見る。白鳥も含めた渡り鳥が毎年二キロ下流の水場に渡って来るが、冬の話しであることは言うまでも無い。
双眼鏡で覗(のぞ)くと、右の翼が背中へ旨(うま)く折り畳めないらしい。いつもダランと垂れ下がっている所(ところ)を見ると、骨でも折れたのか。この国で大けがをし、仲間たちが早春にシベリヤへ旅立つ際、孤独に取り残されたのだろう。昼間は茂みに隠れて見掛(みか)けないが、早朝の散歩を欠かさないAKさん(妻の友人)に依(よ)ると、もう夏を二度(又は三度)ここで越したのではないかとのことだ。
越冬地の水場から皆と共に飛び立ち、二キロ程は頑張(がんば)ったが、痛みに堪(た)え兼(か)ねて不時着、その侭(まま)この岸辺に住み着いた。晩秋には戻って来る一族を迎え、冬の間だけ共に暮らすが、毎春きっと別れの季節が巡(めぐ)って来る。飛び去る者も残される方も蕭然(しょうぜん)くぐもった声で鳴き交わし乍(なが)ら、カカウ、カカウ、、、と互いの声が遠ざかって行く。。。。。そんな悲しい物語りが、僕は思い浮かぶ。
アンデルセン作「醜いあひるの子」程の出来栄(できば)えではないが、大いに有りそうな筋書きではあろう。有り来たりで、誰でも考えそうなシナリオだから、あの人も多分そんな出来事を想像したのではあるまいか。
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先日その人物を見掛けた。白鳥が叢(くさむら)から這(は)い出し、流れに乗って下り乍(なが)ら、こちらの岸へ渡って来る。その目指す先を目で追うと、そこに人が立っていた。僕の眺(なが)め下ろす堤の上から水際までは相当の距離が有り、然(しか)も後姿だから、シカとは言えないが、(服装などから推察するに、)女性で、きっと高齢者だろう。
その人の姿を見付けて、白鳥は真っ直ぐに寄って来たものと思われる。そして岸まで辿(たど)り着くと、老婆は袋から何やら取り出して、浅瀬に撒(ま)いた。早速それを鳥が啄(ついば)む。恐らく米かパン屑(くず)だろう。妻がAKさんから聞いた話しで、毎日のように白鳥に餌付(えづ)けする人が居(い)るそうだが、多分この人のことだろう。はぐれ鳥の身の上を、親身になって案じたに違い無い。もしや御本人も身寄りの無い一人暮らしなのかも知(し)れない。
鳥にだって人生が有る。鳥生なんて言葉は無いから、仕方が無く、そう敢(あ)えて云(い)おう。言葉が無いということは、そういう概念が僕らに存在しないという証左だろう。詰(つ)まり、野生の鳥たちも卵を産み、孵(かえ)して育て、巣立たせる間には、それ相応の喜び悲しみを抱き、懸命に艱難(かんなん)を乗り越えて生きること、そして死ぬことに、人間は余り思い及ばない、(思い遣(や)れない)という事実を意味するだろう。
いや、他の動物どころか、都会の川辺に住むホームレスに少年たちが悪ふざけする事件が頻発する所(ところ)から察すると、同じ人間に対しても同様らしい。河川敷きへ流れ着くまでの人生航路に思いを致(いた)す丈(だけ)の想像力が、欠けている。増(ま)してや、はぐれた野鳥の人生を思い遣るなんて、普通の人は全然すまい。すれば、僕のように変人と見做(みな)されるのが落ちだろう。
僕だって、蚊(か)に刺されれば痒(かゆ)いから、プーンと来たら、両手で叩(たた)く。蚊取り線香も焚(た)く。トルストイは読むが、僕は菜食主義者じゃないから、牛肉も食べる。即ち、牛を喰(く)い殺す。沖縄ファンの僕も、豚の顔や足はチョッと頂(いただ)けない。鶏も、(お肉としてなら格別、)骨付きや、毛を毟(むし)った痕跡も生(な)ま生ましい皮を目にすると、食欲が失せる。尾頭(おかしら)付きは目玉が旨(うま)い、とて抉(えぐ)っては頬張(ほおば)る食通には、抵抗が有る。これらは(家内に叱(しか)られるが、)単に好き嫌いの問題だろうか。かれら生き物の人生の問題でもあるまいか。
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先日、鈴虫を貰(もら)った。交尾を済ますと、雌(めす)は雄(おす)を喰い殺すそうだ。同様の生態では、かまきりが有名だ。それが産卵の為(ため)の栄養補給だとすれば、何と巧妙に(合目的的に)仕組まれた摂理だろう。そこに人情など差し挟(はさ)む余地は、微塵(みじん)も無い。只、種の保存の本能が有るばかりである。
海で成長した鮭(さけ)が自(みずか)らの孵化(ふか)した川を(人間的な表現に換言すれば、古里(ふるさと)を)探して出して遡上(そじょう)する習性は、とても興味を引かれる。白鳥など渡り鳥(冬鳥)も、春が来ると故郷を目指すが、どうやってシベリヤまで道を知るのだろう。夏鳥の燕(つばめ)は、秋風の立つ最近めっきり姿を見なくなった。
動物たちも(人間の有する概念に翻訳すれば、)郷愁に当たる心情を抱くのだろうか。或(ある)いは、植物だって。首をチョン切られて異郷へ拉致(らち)されるのは、迷惑だろう。だから、僕は切り花が嫌いだ。
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嘗(かつ)て僕はR狭で捨てられた仔(こ)犬(いぬ)を我が家の四番目の子として迎え、家族で育てた。初めコロコロして玩具のようだった。軈(やが)て成人すると、兄姉たちと対等に野原を駆けて(いや、人の子なんか軽々と追い抜いて)共に運動を楽しんだ。のみならず、お年頃の悩みを訳知り顔に聞き、カウンセラーのように慰(なぐさ)め励(はげ)ましたようだ。最後には、育ての親を追い越して老い、そして先に逝(い)った。
伜(せがれ)は己(おのれ)の死を悟ったらしく、別れを惜しんで涙を流した。犬が(文学的な修辞でなく)文字通り涙を流したのだ。無様(ぶざま)に狼狽(ろうばい)すること無く、達観したように穏やかに息を引き取った。それは、悟り清ました高僧の如(ごと)く、静謐(せいひつ)な死に様だった。いつか僕にも訪れる出来事に範を示したように、僕は受け取った。
子として我が家に加わった後、友となり、いつか親か師ともなって、共に生きた。家族の暮らしを朗らかにも有意義にもした。それが、かれの人生だった。僕らとの間に、人と犬との隔ては崩れたようだった。一緒(いっしょ)に森を探り、川を巡(めぐ)った日々、自然の美しさに触れ、そこから人と社会を見ることも僕は学んだ気がする。
一番上の姉は毎朝五時半に起きて(冬なら未だ真っ暗な時刻だが、)犬の弟と人の父と共に夜明けの空を眺(なが)め、自分は高熱を発してフーフー言う時も、弟の朝食を世話した。それが(結婚四年目に)子を産む。
単身で沖縄移住したのも、又は保育士を職業として選んだのも、かの女(じょ)の人生の選択だったが、娘時代の弟との生活と一体(いったい)どんな関わり合いが有るのやら。それは分からぬが、産まれ来る子も含めて、一緒(いっしょ)の人生となることだろう。親にも子にも幸が多かれ、と明日は安産の祈願に参加しよう。平生(へいぜい)は神も仏も無い僕だが、素直に頭を垂れて、母子の安寧(あんねい)を願おうと思う。
普段の弊衣(へいい)蓬髪(ほうはつ)も整えねば成(な)るまい。婿(むこ)殿の両親も社(やしろ)に詣(もう)でるそうだから、娘に肩身の狭い思いをさせる訳には行(い)かないのである。実家同士の付き合いというのも、中々(なかなか)に気を使う。 (日記より)
うつつなるわらべ専念あそぶこゑ巌(いは)の陰よりのびあがり見つ
斎藤茂吉
一心に遊ぶ子供の声すなり赤きとまやの秋の夕ぐれ 北原白秋
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