熱狂的になる
とにかく没頭することがあったのちに好きになるというが
熱狂や情熱も単なる根性的な話じゃなくて、理論的に解釈できるものだと思う。冒頭であげた没頭も、いかに自分の言葉でその物事を語っているかだ。
没頭する→自分独自の表現がつく→話す→共感→熱狂的、情熱→巻き込み
至極、とんだ話だけどもいわゆるスポ根調な体育会系な体質な組織ほど自分の言葉に置き換えることで「根性バカが」と冷徹に見るのではなく、理論的な根性を蓄えて行動に移せるものと信じている。
打って変わってネガティブな状況においてもいかにその状況を自分の言葉で語れれば行動に伴っていくだろう(例えば、きつい、、、じゃなくて何がどう厳しい状況どうあったら楽になるのかまで落とし込む)。
そこまで自分事に落とし込めるかを構造的に意識をするかで目の前の話も変わった見方で事は運ぶと思う。