今井むつみ・秋田善美『言語の本質』【基礎教養部】
800字書評↓
特設ページが設けられたり、店頭ではキャッチーなポップで大々的に取り上げられ、ユーチューバーにも絶賛されている本だが、中身は非常に学問的であり、素人目にも楽しめる本だった。予備校にいた頃、英語の講師が多言語話者でもあったのでこの本の中にあるような話をよく面白がって話してくれたし、僕も喜んで聞き入っていた。言語学者の試みと緻密な考察を最初から最後まで堪能することができる。些細な研究が実は壮大なテーマに繋がっていた、というのは分野問わずあることであると思うが、ここでは「オノマトペとは何か」を探求することが実は「言語の本質とは何か」という根源的な疑問の一つとなっているのがなぜかが読み進めていくとわかってくるのがこの本の一つの醍醐味だろう。
簡単に、これは!と思った内容をピックアップして、自分の考えや体験も混ぜつつ紹介する。
記号接地問題
SVCという英文の文型を高校英語で習うと思う。どういう教え方をされるかは分からないが、「SはCである」という風な訳語をあてると大体教わるのではなかろうか。たまに「SVCはS = C」と公式風に覚えさせるようなものもあるが、あれは間違いである。うさぎは白いけど、白いはうさぎではないからである。実は、これがAIが言語を学んでいく際に陥る"罠"である。「いちごは甘酸っぱい」という文があったときに、甘酸っぱいからいちごと覚えてしまうと、他の甘酸っぱいものを見つけたときにいちごと勘違いしてしまう可能性がある。さらに、甘酸っぱいということが分かったからといって、いちごについて分かったと言い切れるだろうか?言葉にはそれが差すものを身体的に体感して初めて本当に理解できるという一面があり、AIにはそれが厳しい。
さらに人間以外の動物には、SはCであることを経験的に学習したとしても、CからSであることを推論するのが難しいという話がある。この推論を対称性推論という。この能力は天才的なチンパンジーのような例外でなければ人間以外は持っていないらしい。著者たちはここから、この対称性推論をする能力を有するかどうかが言語を持つか持たざるかを決定づけているのではないかという仮説を立てている。非常に興味深い。
オノマトペはアイコン的
アイコンは、コンピュータの画面でアプリやゴミ箱を示したりしている「アレ」である(優勝ではない)。つまりアイコンとは、「表すものと表されるものの間に類似性のある記号」という定義であるとすると、オノマトペはまさにアイコンである。しかしこの類似性に関して、実際のアイコンとの違いが確かに存在する。
まずオノマトペには、言語の差を越えて感知できるアイコン性がある。例えば僕は今、VALORANTというゲームのプロプレーヤーdemon1の配信をこの記事を書きながら見ているが、彼が言っている"ewwww"もオノマトペの一種だ。負けたときに決まってこう言っているので、検索しなくとも何となく「不快である」という意味だというのが分かる。そう、オノマトペは良い意味・悪い意味という分類が音からしやすいことがある。しかしこれはたまたまである。一般に音感覚が異言語間で共有される場合とされない場合がある。ツワナ語の「ニェディ」を日本人が聞いたとき、きらめく様子をとっさに創造するのは難しい。オノマトペには、各言語にチューニングされて、その言語の話者だからこそ強く感じられるアイコン性もあるらしい。
オノマトペは実際の現象を音真似する(音象徴)こと(一般化すると感覚イメージを写し取ること)で、言語に進化する前のコミュニケーションの手段として存在するものかもしれないといわれている。日本語は清濁で音象徴体系を確立(コロコロ/ゴロゴロ、サラサラ/ザラザラ)し、英語では母音を対立させる(peep/beep, totter/dodder)という事実は、自力で気づけそうで気づけなかったので感心した。
まとめ
300ページ無いぐらいの文庫本でもしっかりした読書経験の少なさから、このような面白い本でも息切れしてしまう。note記事も"自分の作品感"がまだまだ出せない。
この本は読んでいて「そこどうなんだろう」と思ったところに答えを与えてくれたという点が素晴らしかったし、「そこは確かに不明瞭だ」と気づかせてくれる議論が展開されており、最初から最後まで脳みそを使いながら読んだので、余計に疲れてしまった。でもこれは運動した後の気持ちの良い疲労感に近い感覚である。そんなアブダクション推論をして、本稿を締める。
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