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自分を認めてあげられないあなたへ
こんにちは、いつもnoteを読んでいただきありがとうございます。
この『すこやかでハッピーに「生きる」ための』というマガジンでは、あなたの心を軽くするお手伝いができたらと思い、記事をお届けしています。
さて、前回に引き続き、マシュマロからご質問をいただきました。
自分を認めてあげる
自分を受け入れる
これが上手くできていないのですが、どうすれば自分を認めて受け入れることが できるようになるのでしょうか。
文面から質問者さんの抱えているしんどさが伝わってきました。
かつてのわたしも、同じ悩みを抱えていたことがあります。
「ありのままの自分を認めて、受け入れてあげましょう。」
そう言われても、うまくできなくて、できない自分に対して「こんなことすらできないなんて、自分はなんてだめなんだろう」と責めてしまう。その結果、「自分を受け入れられない自分」をさらに否定してしまい、無限ループに陥ってしまう、なんて経験もありました。
しかし、マインドの使い方を学んでからのわたしは、もうそういったことに悩まされることはありません。生きづらさから解放され、日々楽しく過ごせるようになりました。
今回のお悩みにも、きっとお力になれると思います。
「すこやかでハッピーに生きていく」ために、このしんどさ、今日でお別れしちゃいましょう。
自分を認めることの難しさ
「自分を認める」で検索すると「自己受容」という概念がヒットします。
これは、ありのままの自分を否定せず受け入れることを意味するようです。
つまり、完璧でなくても、過ちや失敗があっても、欠点や短所があっても、そういう自分をそのまま肯定的に受け入れるという考え方です。
ありのままのわたしが素敵な存在だ
生きているだけで価値がある
自己受容のために、こういった聞こえのよい言葉が用意されていて、まるで自己暗示のごとくそれを唱えて自分を肯定しようと試みます。
しかし、これを実践するのは簡単なことではなさそうです。
もし、「なんだか人生うまくいってないな」「生きていくのしんどいな」「仕事がいやだな」などと感じていたら、そんな状況の自分を肯定するのって難しいですよね。
だって「いまの自分のままじゃいやだな」と、心のどこかで感じているはずだから。
肯定しなくていい――評価を手放す
わたしは、「肯定も否定もしなくていいです」と提案します。
「わたしはこれでいいんだ」と肯定する必要も、「わたしはこれだからだめなんだ」と否定する必要もありません。
自己評価そのものを手放してしまいましょう。
その代わりに、やるべきことは、「止観」。
「あるがままに見る」ということです。
何か感情が出てきたら、その感情を「あるがままに見る」。
わたしにはこういう感情があるんだな、ということに気づいて、見つめてあげます。
そのときに、評価や判断をしないこと。
例えばですが、仕事でミスをして怒られてしまったとします。
すると、悲しい気持ちが湧いて涙が出てきました。
このとき、「わたしは仕事ができないダメな人間だ」と評価をつける必要はありません。
ただ、「怒られて悲しい」という感情をそのままじっと見つめてあげてください。
湧き出てきた感情を、ただあるがままに見る。
これが止観の考え方です。
「自分」とはなんなのか?
ここからは少し踏み込んで、「自分」というものについて考えてみましょう。
「自分を認める/受け入れる」といいますが、そもそも「自分」とはいったい何なのでしょうか?
自我なんてない
わたしが「自分」を説明するとしたら、こんな感じです。
「たやまゆうりです。」
「イラストレーターやシステムエンジニアをしています。」
「東京都に住んでいます。」
「漢方養生指導士の資格を持っています。」
「山と動物と季節の移ろいが好きです。」
これらはすべて「自分に関する情報」ですが、自分そのものではありません。
職業、住所、資格、好きなもの──これらはすべて、他者との関係によって形成された情報です。
つまり、「自分」とは、「他者との関係にまつまる情報」が集まったネットワークの一部なのです。
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点と点を結ぶ線が「関係」で、「自我」と呼ばれるものは点で表現できます。しかし点そのものには面積も体積もありません。
自我は点という概念であり、「実体はない」のです。
他人から与えられたモノサシを捨てる
わたしたちが「自分を認められない」「自分を受け入れられない」と感じてしまう原因のひとつに、「他人や社会の価値観のモノサシを基準にしている」ことが挙げられます。
学歴がない
一流企業に入れなかった
いい年なのに結婚していない
これらは社会の価値観に基づくモノサシのわかりやすい例です。
わたしたちが必死に生きている間に、知らず知らずのうちに、このような社会のモノサシが自分の中に住みつき、それを使って自分を評価するようになってしまっています。
わたしたちが「自分自身の価値観」だと思い込んでいるものは、実はそのほとんどが、他者から刷り込まれた価値観なのです。
親から言われた言葉、学校の先生から言われた言葉、一般常識や人生のレールといった概念。生まれてから現在までの間、たくさんの他者の価値観というモノサシを与えられてきました。
そのモノサシによって価値判断してしまうから、生きづらさを抱えてしまう。
であれば、他者から与えられたモノサシは今日から不要です。
ポイっと捨ててしまいましょう。
過去は一切関係ない
さらに言えば、自分を評価するとき、その対象は「過去の自分」です。
しかし、人生において、過去は一切関係ありません。
「時間は未来から過去に流れている」という考え方があります。
あなたが川の中流に立っているところを想像してください。
川の水は、上流から下流に向かって流れていきます。
あなたは川の中流で待っていると、上流から桃がどんぶらこどんぶらこと流れてきました。そして、あなたの目の前を通って、下流に向かって流れてゆきます。
では、時間はどうでしょうか。
あなたは「現在」に立っています。
現在で待っていると、やってくるのは「過去」でしょうか?「未来」でしょうか?
簡単ですね、「未来」です。
過去は過ぎ去っていくのみで、もう二度とやってきません。
待っていればやってくるのは「未来」ということは、川の流れに照らし合わせて考えれば、時間は「未来」→「現在」→「過去」の順に流れていると理解することができます。
流れ去った桃は現在のあなたに何の影響も与えません。
だから過去は関係ないのです。
「ありのままの自分を認める/受け入れる」というとき、それは得てして「過去まで含めてまるごと自分を認める/受け入れる」という意味になります。
もし、過去につらい経験やトラウマがあっても、そんな自分を過去ごと肯定しなくてはいけないとしたら、それはあまりにも惨いことです。
わたしたちの人生に、過去は一切関係ありません。
関係があるのは「未来」です。
もしあなたが、桃ではなくて栗が流れてきてほしい、と思ったら、未来に働きかけて、栗を流してあげればいいのです。そうすればやがて「現在」に栗が流れてきます。
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比喩的な表現になりましたが、これが、わたしが常々お伝えしている、「ゴール設定」なのです。
未来を作る――心から望むゴールを見つける
では、どうすれば「すこやかでハッピーに」生きていけるのでしょうか。
それは、心から望むゴールを設定することです。
社会の価値観や他人の目を基準にしたゴールではなく、あなた自身が本当に望むゴールを見つけてください。
他人から言われたから、社会が求めるから、という理由ではない、あなた自身が「本当になりたい自分」「心からやりたいこと」を見つけていきます。
ほとんどの人が、夢や目標を諦めて過ごしています。
お金のこと、時間のこと、年齢のこと、人間関係のこと……。
わたしたちはさまざまな理由により、かつて抱いていたはずの夢や目標は打ち破られ、生きていくためには仕方ない、耐えなくちゃいけない、と、やりたくもないことをやって生きるようになっていきます。
そういう生き方とは、今日でお別れです。
「自分」は書き換えられる
「自分」とは、「他者との関係にまつまる情報」が集まったネットワークの一部だと先述しました。
自我というのは、他者との関係のなかで、「これがわたし」と認識している情報状態にすぎません。
ということは、自分はいくらでも書き換えることができるのです。
自分を書き換えていくためには、ゴールを達成したときの自分をイメージしていきます。
まず、お金、時間、年齢、人間関係、そのほかありとあらゆる制限を取っ払って、あなたが本当に心から実現したい自分の姿、世界の在り方を考えてください。心から望むゴールを探していきます。
そして、ゴールが見つかったら、それを実現した未来の自分の姿をじっくりイメージします。
どんな土地や家に住み、どんな人と関わり、どんな食事をし、どんな生活をしているのか。視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚を使って、リアルにイメージしてあげます。そう、映画を見ているときのように。
小説や映画を見ていると、リアルの世界ではないにもかかわらず、ドキドキしたり涙を流したりしますよね。
それは小説や映画の世界が現実世界よりリアルに臨場感高く感じられているからです。
ゴールの世界のイメージもそれくらい臨場感を高めてあげます。
次第にゴールの世界の方がリアルに感じられるようになり、現状の自分が居心地悪くなってきます。ゴールを達成していない現状に、違和感が出たりソワソワしたりしてきます。
すると脳が勝手にいろいろ考えて、自然とゴールに向かう行動を取るようになっていくのです。
ゴールは他人に話さない
気をつけてほしいことは「ゴールは他人に話さない」ということです。
自分は「過去の自分」を評価していると言いましたが、それは他人も同じこと。「過去のあなた」を評価して、ゴール達成できるかできないかを判断してしてきます。
例えば、あなたが高校生で「東京大学に行きたい!」と言ったとします。親や先生は、あなたのこれまでの成績をみて、「あなたの成績じゃとてもむりだから、別の大学を目指しなさい」と言います。
あなたの未来のために、良かれと思ってそう言っているのです。
このように、あなたのゴール達成を妨げる人をドリーム・キラーと呼びます。
しかし、繰り返しますが、過去は一切関係ありません。
心から望むゴールを見つけたその瞬間から、わたしたちはどんどん進んでいきます。過去はゴール達成になんら関係しないのです。
そして、忘れてはいけないのは、最大のドリーム・キラーは自分自身だということ。
こちらの記事でもお話しした内容ですが、わたしたちは誰しも、「自分はこういう人間である」という自己イメージを持っています。
その自己イメージは「セルフトーク」の影響を大きく受けます。
ネガティブなセルフトークはゴールに向かうことを邪魔する存在です。
ここでも「止観」が役に立ちます。
止観とは、「あるがままに見る」という感情や思考に評価を付けず、そのまま観察することでした。
セルフトークも同じように、まずは意識に上げて観察することが重要です。ネガティブなセルフトークが出てきたとき、「あ、今自分はこういうことを考えているんだな」と気づく訓練をします。
意識にあげて「あるがままに見る」ことができるようになってきたら、次のステップとして、ラベリングしていく習慣をつけていきましょう。
最後に
いただいた質問を振り返りましょう。
自分を認めてあげる
自分を受け入れる
これが上手くできていないのですが、どうすれば自分を認めて受け入れることが できるようになるのでしょうか。
これまでの内容を読んできたみなさんなら、もう答えが出ていると思います。
「過去の自分を認めて受け入れる」必要はありません。
過去の経験や出てきた感情は「あるがままに見る」だけで評価はしません。
心から望むゴールを見つけ、ゴールに向かって楽しく生きる自分になっていけばよいのです。
必要なことは述べてきたことの実践です。
・「自分」とは他者との関係性であり、書き換え可能であると理解する
・過去は一切関係ないと理解する
・他人や社会の価値観というモノサシを捨てる
・心から望むゴールを未来に設定する
・自分がゴールを達成した世界をリアルにイメージしていく
人から言われた言葉や過去の経験、そういったわたしたちを不自由に縛り付けるものたちから解放されていけば、しだいに、「自分を認めてあげる」という価値観すら不要に感じるようになっていきます。
まずはこの記事で紹介したワークを実践しながら、心から望むゴールを見つけていってほしいなと思います。
メンバーシップでは、今回いただいたお悩みのような、生きづらさを解消する「マインドの使い方」について、機能脳科学や認知科学の視点から解説した記事を投稿しています。
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みなさまの人生がすこやかでハッピーであることを祈って。
それでは、また。