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やっぱり紙の本が読みたい!| わたしの本棚(2024/06)
旅中の読書の利便性を考えて、なんとかKindleで本を読もうと試みた約半年。あぁ、まったくもって頭に入ってこない。結局6月の半ばにKindleで読むことを諦めて、紙の本を爆買いした。読んだ本はどれも言葉ひとつひとつがふわりと紙から浮き上がって、口から、耳から、毛穴から、様々なところからわたしの身体に入ってくるようだった。わたしはやっぱり、紙で読む本が好きなのだ。旅中、できるだけ紙の本を持ち歩こうと心に決めた。
読書という行為のみならず、いつも小さなリュックのポケットの中にあること、わたし以外の誰かの物語が、想いがそこにあること、適当にページを開けばそこにはたくさんの言葉があること、「本」という物体としての存在がわたしは好きなのだと気がついた。
加えて禁断症状が解かれたように、雑誌への愛も再熱してしまった。学生の頃、「雑誌」というものが大好きだった。まあ当時はSNSなんてものはそこまで発達していなかったし、高校生くらいまではインターネットで情報収集する術など知り得なかったので、ティーンのわたしに必要のことはすべてここに書いてあると信じ切っていた。「ニコプチ」「二コラ」「ピチレモン」「seventeen」「nonno」、姉が買っている「zipper」「HR」などもこっそりと。積み上げられた雑誌を見て、母が「もう捨てていい?」と聞くたびに「ダメ。」と首を横に振った。雑誌には自分の興味からちょっと外れたことも載っていて、いつの間にか出会えるのがいい。
現代のSNSでは一度みたサイトと似たようなものばかりおすすめされて、おんなじような広告が永遠に出てくる。自分の生きる世界をどんどん勝手に狭められているような、そんな気がしてしまう。行ったことない場所、出会ったことのないような人たち、欲しいと思ったことのないようなモノ、嫌いな食べ物まで。誰の好みもお構いなしに、それぞれの雑誌の作り手のひとたちのこだわりの押し付けがつまっているのがいい。知らない世界へ扉を開ける、それは旅の第一歩だ。
10年後、100年後もきっと本はなくならない。と確信に近いかたちで思える。旅と同じだ。わたしはこれからも紙で本を読み続けると思う。そして、本屋を作家さんを応援するために、わたしは本に惜しまずお金を使いたい。
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