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Xに対しての考え方をアップデートしないといけないのかも知れない。〜大事なのはきっと◯◯〜

僕は昔は本当にX、当時はツイッターでしたね。中毒でした。
本当に隙間時間があるとスマホを取り出しツイッターを開くような。

ある時ふとそんな自分に危機感を覚え、しばらく離れていたんです。

そして今紆余曲折あり、Xに関しての考え方をアップデートしないといけないと思うようになりました。

そこで今回は僕がツイッターを始めたきっかけやその考えの推移をまとめ、今後どうすればいいのかを考えて見たいと思います。

・僕にとってはゲームの情報を拾う場所


そもそもツイッターを始めたきっかけは、当時ものすごくハマってプレイしていた某スマホゲームの情報を拾うためでした。

今の若い人は知らないかもしれませんね。
昔、一番ゲーム攻略情報を集めるのに適していたのはツイッターでした。その少し前は個人ブログであったり。

当時からいわゆるゲーム雑誌や攻略サイト、wikiはありました。
けどやはり、ツイッターの海に存在する何万というプレイヤーとでは数で勝負にならず、ツイッターには早い時は30分もしない内にクリア報告が上がったりしていましたね。

特に突き抜けて人気ではないが、そこそこユーザーがいるようなゲームはそもそも大手のゲームサイトでは取り上げないことが多かった。

けどツイッターにはそんなゲームでもユーザーはいて情報を発信してくれていました。

僕もそんな情報の恩恵を受けようとしたユーザーの一人でした。

・ある時僕も発信してみることに。


人間って困ったもので何故か見ているだけでは満足できなくなるんですよね。少なくても僕はそうでした。

ツイッターは匿名性が高く、発信する心理的ハードルはさほど高くない。
ふと僕もゲームのつぶやきをしてみることにしたんです。

すると数人からアクションがありまして。うれしかったのを覚えてるな。
僕は本当のガチ勢からするとまあ中級者レベルだったんですが、それでも後に続く人がいる。

そんな人達のために何かを発信することは無駄ではない。この考えはこのときに養われたと思っています。

少しそれました。その後1年ほど。発信すればするほどやり取りする人も増えていきました。

けどある時色々あってそのゲームを辞めてしまったんです。
すると交流があった人たちとも少しずつ交流が途絶えていきまして。

まあそんなものかな。当時はそう思ったのを覚えています。

・その後しばらく有名人のツイートを見るだけになっていった。


その後、有名人のツイートを見るだけになっていきました。もはやツイッターをやるために理由をつけているような状態ですね。

こんな日々が続き、発信もしなくなって。
ふと自分は中毒になっていると気づきました。

そんなただ時間を浪費するような日々に危機感を覚え、すっぱりツイッターを辞めました。

それから数年が経過。
note更新再開してからXも同様に再開しました。

・でもXが怖くなった。


Xは基本的にnoteの更新を乗せる場として使用させてもらっています。これは現在でもそうです。

けど少し前はもっと積極的にポストしていました。ふとした日常とか、あの頃を思い出してゲームのこととかね。

するとある時ふと、とあるやり取りが目に入ってしまって。

詳しくは書きませんが怖くなってしまったんです。

以前少し投稿したことがあるのですが、僕は論戦自体はどちらかというと肯定しているんです。
よく動画でレスバみたいなのやってますが、有意義なものもあると思います。

けどもはや論戦になってないんですよ。しかも僕から見るとあきらかに被害者の人がめっちゃ叩かれていたりしたんです。

考えはそれぞれ。多様性。いいんですが僕は怖くなってしまったんです。

一度目に着くとそんなやり取りがあちこちにあることにきづいてしまって。
スレッズに少しずつ移行しようと画策しました。

・けど最近また考え方が変わってきた。〜大事なのは信頼〜


しかし、最近考え方が変わってきました。

「大事なのは信頼だ」

という考え方に感銘を受けたんです。

何かを売るのには、良質なコンテンツや需要だけではなく、信頼関係を構築した顧客が必要だと。

僕の理解ではこのような意味だったと思います。

やはり僕はだめですね。全く無かった視点でした。

そこで思ったんです。Xはそんな信頼関係を築くのにいいツールだなって。

今でも怖い側面があるのですが、それでも少しずつ発信を続けていく中で、また交流の機会がありました。

そこで冒頭にもどるのですが、そうやって人間関係を気づくために、もう少し積極的にXにも取り組む必要があると思ったんです。

恐らくスレッズでも育てばそういうやり取りができると思うのですが、ユーザー数の問題などもあるので、現状ではXがいいのかと思っています。

まとめ。


この記事は先日投稿したnote分析の記事に実は繋がります。

この記事において、フォロワー数が多いことが必ずしもいいとは限らないのではという考えをまとめました。

仮に1000人のフォロワーがいたとしてもそのうち数人しか交流していないのと30人のフォロワーと密な関係を構築している方が有益ではないのか、という考え方です。

上記は極端な例です。1000人もいればやり取り自体はないかも知れませんが、見てくれている人は一定数以上いるでしょう。

ただここで大事なのは、しっかりやり取りして関係ができていれば、発表の場を変えたりサイトのアルゴリズムに左右されないということ。

この点は計り知れないくらいメリットだと感じました。

しかし、一人ひとりに向き合うのは難しいですし、信頼を損ねてしまう可能性もあります。

なにかいい方法があるといいのですが。

これからも模索していきたいと思う。

そのためにXも有効に活用できればいいですよね。

以上

追記
昨日なにごとにも環境が大事だという考え方を知りました。とあるきっかけで。

お互い情報を提供し合う。そんな高め合うことが出来る環境が大事だと。

これもとても素敵な考えだなと僕は思いました。
いつかそんなコミュニティが作れるといいですよね。


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