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GWに般若心経を意訳する

観自在菩薩(かんじざいぼさつ)
あらゆるものを自在に観ることができる菩薩が

行深般若波羅蜜多時(ぎょうじんはんにゃはらみつたじ)
真理を見抜く智慧を完成させるための修行をしていたとき

*般若=全ての事物や道理を明らかに見抜く深い智慧
*波羅蜜=完全性

照見五蘊皆空(しょうけんごうんかいくう)
この世のあらゆる物質も、感覚も、想像も、意志も、記憶も、すべては固有の実体がないものだと悟った

*五蘊=人間の肉体と精神を5つ(色・受・想・行・識)に分けて示したもの

度一切苦厄(どいっさいくやく)
そして、彼はあらゆる苦しみから解き放たれた

舎利子(しゃりし)
弟子よ、よく聞きなさい

色不異空(しきふいくう)
この世に存在するすべてのものには、固有の実体がない

空不異色(くうふいしき)
固有の実体がないことと、何かが存在することは決して矛盾しない

色即是空(しきそくぜくう)
あなたも、私も、動物も植物も、この世に存在する全ては、自分以外のあらゆるものから成り立っていて、時々刻々と変化し続けるものだ
私は今飲んでいるお茶で、今朝食べた野菜で、あなたが私にかける言葉でできているのだし、それはつまり茶葉や野菜を育んだ太陽光や土、そしてあなたを育てた両親も私の一部だということになる
私は私以外のあらゆるものの影響を受けながら成り立っていて、それゆえにどんどん変化していくし、どこからどこまでが私だと明確な境界線を引くこともできない

空即是色(くうそくぜしき)
そうしてあらゆるものが互いに影響を与え合って成り立っているからこそ、世界には様々なものが色鮮やかに立ち顕れるのだ

受想行識 亦復如是(じゅそうぎょうしき やくぶにょぜ)
同じように、私たちの持つ心も固有の実体がないものだ

舎利子(しゃりし)
弟子よ

是諸法空相(ぜしょほうくうそう)
すべてのものは固有の実体がないがゆえに

不生不滅(ふしょうふめつ)
新たに生まれることもなく、消え去ることもない

不垢不浄(ふくふじょう)
汚れているものも、綺麗なものもない

不増不減(ふぞうふげん)
増えることもなく、減ることもない

私という人間をどこまでも細かく分解していくと、人間=細胞の集まり、細胞=分子の集まり、分子=原子の集まり、原子=素粒子の集まりだから、私はつまり素粒子の集合体ということになる
同じように、この世に存在するあらゆる物質は素粒子の集合体だ
だから私たちが生や死だと考えているものは、素粒子が組み合わせを変えて循環しているだけに過ぎない
例えば私が死んで埋められれば、私は分解され、土の一部になる。その後は野菜に吸収され、その一部になるかもしれないし、さらにその後、野菜を食べた動物や人間の一部になるかもしれない。
だから何かが新しく生まれたり、無くなったりすることはなく、すでにあるものが形を変えて循環しているにすぎないのだ

是故空中 無色 無受想行識(ぜこくうちゅう むしき むじゅそうぎょうしき)
それゆえに、空という真理に気づいたならば、肉体への執着もなくなり、心がつくりだす自我、そこから生まれる苦しみや迷いからも自由になるだろう

無眼耳鼻舌身意(むげんにびぜつしんい)
五感で感じたことも、すべて確固たるものではない

無色声香味触法(むしきしょうこうみそくほう)
五感で知覚される色も、音も、匂いも、味も、触感も、思考も、すべては実体がなく

無限界乃至無意識界(むげんかいないしむいしきかい)
ゆえにそこから生まれる認識の世界もない

無無明 亦無無明尽(むむみょう やくむむみょうじん)
迷いもなく 迷いがなくなるということもない

乃至無老死 亦無老死尽(ないしむろうし やくむろうしじん)
老いもなく 死もなく
老いと死がなくなるということもない

無苦集滅道(むくしゅうめつどう)
過去の偉い人が説いた道だけが悟りへの道だと思い込み、そこに執着してはいけない

*苦集滅道=四諦(したい)とも言い、仏教が説く4種の基本的な真理

無智亦無得 以無所得故(むちやくむとく いむしょとくこ)
智慧そのものにも、智慧を得ることにもこだわってはいけない

菩提薩埵 依般若波羅蜜多故(ぼだいさつた えはんにゃはらみつたこ)
菩薩はこのような真理に依って立つからこそ

心無罣礙(しんむけいげ)
こだわりから開放されて、自由自在になれるのだ

無罣礙故 無有恐怖(むけいげこ むうくふ)
こだわりがないがゆえに、恐怖もない

遠離一切顛倒夢想(おんりいっさいてんどうむそう)
偏った見方や自分の妄想で真実を歪めて認識することなく、真実をありのままの姿で受け入れることができ

究竟涅槃(くきょうねはん)
なにものにも揺らぐことのない、平安な心の境地にたどりつける

三世諸仏 依般若波羅蜜多故(さんぜしょぶつ えはんにゃはらみつたこ)
仏たちは、こうした智慧を身につけることによって

得阿耨多羅三藐三菩提(とくあのくたらさんみゃくさんぼだい)
悟りをひらくことができたのだ

*阿耨多羅三藐三菩提=アヌッタラー・サムヤックサンボーディという梵語の音写。悟りを意味する。この上ない、正しく平等な目覚め。

故知般若波羅蜜多 是大神呪(こちはんにゃはらみつた ぜだいじんしゅ)
悟りに至る智慧は、真言、つまり呪文で表せる

*呪=真言、サンスクリット語のマントラ。(仏の)真実の言葉、秘密の言葉を意味する。マントラは、その言葉と発音そのものに不思議な力があると考えられており、あえて訳さずにそのままの発音で読み上げることが大事だとされる。

是無上呪 是無等等呪(ぜむじょうしゅ)
この上ない、比類なき呪文だ

能除一切苦 真実不虚(のうじょいっさいく しんじつふこ)
この智慧は、一切の苦しみを取り除き、この世の真実のありさまを示してくれる

故説般若波羅蜜多呪 即説呪曰(こせつはんにゃはらみつたしゅ そくせつしゅわつ)
さあ、真実の智慧に目覚める呪文を唱えよう

羯諦 羯諦 波羅羯諦(ぎゃてい ぎゃてい はらぎゃてい)
波羅僧羯諦(はらそうぎゃてい)
菩提薩婆訶(ぼじそわか)

*羯諦~薩婆訶=この部分は、あえて訳すべからずとされている。訳してしまうと、意味が限定されてしまい、言葉としての力も無くなってしまうと考えられているそう。

般若心経(はんにゃしんぎょう)
これが般若心経だ

***

これまで「色即是空 空即是色」や「不生不滅」の部分だけを取り出して、理解した気になっていた般若心経。全体像を理解したいなと思って、思い切って全文を自分なりに訳してみた。

とはいえ、自分の理解が追いついていない部分は、自分なりの言葉で噛み砕くことができず、ほとんど直訳になってしまった。特に無眼耳鼻舌身意(むげんにびぜつしんい)~以無所得故(いむしょとくこ)の部分。

私はメンター的な人の影響で、五感を大切にして生きることにしているけど、般若心経では「無眼耳鼻舌身意」=「五感も確固たるものではない」と説く。自分が確固たる実体を持たないからこそ、自分の感覚にも実体がないというのはその通りなんだけれど、じゃあ私たちはなにを頼りに生きていけばいいんだろう。いや、すべては確固たるものじゃないから何も頼りにするなって般若心経は言ってるんだろうけど。このあたりは、自分なりの解釈を引き続き深めていけるようにしたい。

今回、意訳にチャレンジしてみたことで、自分のなかで腹落ちできていることとできていないことが明確になってよかったし、なにより般若心経の全体像が理解できて面白かった。特に「ぎゃーてい ぎゃーてい はらぎゃーてい」の部分は、意味を考えず、ただ唱えることが大事なんだってことは、今回初めて知って、とても興味深かった。

ぎゃーてい ぎゃーてい はらぎゃーてい はらそうぎゃーてい ぼじそわか。これから、思い出したら口ずさむようにしてみよう。

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