高校の時の記憶.9 精神が分裂気味?
高校の時の情緒不安定さを未来でも思い出せるようにしたい記事です。黒歴史の再生産を他人に公開するというあたおかですが、どうぞ温かい冷やかしの目で生ぬるく見守っていただければと思います。
高校3年のまとめ
・6/8 「つらい。クラスも部活も先生も頼れる所がない。」
変わった学校だったので、クラスの編成によりあまり頼れる所はなかったですね。とても拒絶反応をしてしまったことを覚えています。そのときは申し訳なかった。
・6月いっぱいでアルバイトは辞めた。遅いよ!(笑)
・7/7 「心を開かない、開きにくい人って(その人と接する人は)疲れるのかもしれない。でも、無理して心を開くことは無いと思います。」
相手から見て、自分から心を開かない人は面倒だろうな、そして私は心を開きにくいから相手からしたら面倒な人間だろう、だから対人関係のために心を開きたいが、なかなか難しいので無理に心を開く必要もないよ。という意味だと思います。
・7/13 「(中略)あんまり二人と話したくない(中略)あの人にとって私は利用価値ないのになあ…。(中略)なんで人の感性を受け入れられないんだろう(自分は)。(中略)一人ひとりと話す方が変に憶測たてないでいられる。」
私はなぜB(利用価値が無ければその人と仲良くしない人)の感性を受け入れられないのか、自分の心の狭さを感じている模様。今だったら大丈夫!その人のことどうでもいいから^^
・全体的に進路に迷っている模様。新人の担任から「会議で言わなきゃならないから決断を早くしてほしい」と迫られ、大人の事情で決断を早くしろと言われても困る、と困惑していた。
・7/23 「やることに集中してやることの意義を考えるのが目標」
・7/25 「漢字を走り書き(面白いな(笑))して、片付けようとしても全く片付かない片づけをしました。いつも中学の頃のモノを捨てようと思うのですが、今の高校にはない若く楽しい思い出と、長い目で未来を見据え昔の自分なりに努力していた記憶が思い出されます。なので、捨ててしまうと完全に忘れてしまうのではないかと心配になり、ずっと捨てられないのです。(中略)今の環境ではもう誰も活を入れてくれる人はいないのですよ。だからこそ自分自身の管理能力が試されるのです。(中略)考え続けることと努力し続けることを怠けてしまった。だからか、何故だか中学のときよりも高校の方が得たものが少なく振り替えられる。自覚するのが遅かった。私は一人の人間で、誰かじゃなく、私の問題は私の問題。私の努力は私の努力。誰のせいでも、自分以外、関係ないって。今私は自分を客観視して見ています。そうしていると、自分ってどっちなの?って考えてしまいます。少し怖い。本当の自分というのは歌っている自分?それとも歌っている自分にダメ出ししている自分?どちらかと言うと(日記を書いているせいもあって)ダメ出しをしている方だ。ダメ出しをしている私は私しか見ていなくて私の悪口私にしか言わない。そんな風に自分しか愛せない…自分すら愛せていないのはこの年で問題だと思う。社会的には責任が付きまとう大人であるから、自分は自分だ、と主張できないと他人すら守れないし、愛することができない。自分にダメ出しをする自分がいるのは子供でいたい、誰かに愛してほしいという甘えであり、本来は「自分自身」でダメ出ししなくてはならない。自分に自信が無いのは努力が目に見えてないからである。」
何言ってんだ~~~!?難しい。当時の自分はこれを理解できたの!?逆にすごい!
一つ目、努力をしていなく自信がないのを人のせいにしてしまいそうなこと。
二つ目、他人に自分の思ったことが話せず「表面上の自分」と「考え事をしてる自分」に差があること。
三つ目、自分は努力できないことを受け入れられないこと。
四つ目、人と親密な関係が構築できず非常に孤独感が強いこと。
これらの問題が混合してるんだと思います。自分は空っぽの人間だと思うことが多かった。
高校3年生でこれを悩むのは遅すぎだろうか?ほかの人はいつどんな葛藤をしたんだろう。まあ、人の悩みや成長はそれぞれだから、気にしなくていっか!
今は、大体精神的には割り切ってると思います。
ありがとうございます。
冬譜
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