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見えるものを、否定しないで

自分が見えるもの、感じるものを
“見えない”、“感じない”と
自分で否定するとき

自分自身に物凄く
嫌われてしまっているなあと思う

自分を嘘つきにする自分を
自分を恥じる自分を
自分を否定する自分を

嫌いになっていく


本当に、世界は
“みんな同じ”に
見えているんだろうか

見えていないとダメなんだろうか


そもそも、人の色覚細胞は
大雑把には2色型と3色型とがあり、
さらにその間の果てしない
グラデーションの色覚で出来ていて

赤い林檎が緑にしか見えない人もいるし、
その林檎の赤を“同じ赤”として
見えていない方が自然だったりする

でも
私達は
自分の見えているのと“同じもの”が
他の人も見えていると
信じ込んでいる

自分と違うと
自分の見えているものを否定されたように感じるからか
相手を否定したくなる

「自分だけが見えている」ものを
「普通」という言葉で包んで

悪意なく
または薄っすらとした優越感や
排他的な恐怖を乗せて
頑なな言葉でぶつけてくる


その殴られるような痛みを
甘んじて受け入れなくていいのだと
やっと思えるようになってきた

みんな
それぞれの体に
それぞれの魂を宿し
それぞれの世界を見ている

それを「大切にし合う」こと、
「皆と同じ」にしないこと


色覚が2色型と3色型に分かれたことで
「狩りが得意な人」、「植物採集が得意な人」と
幅できて、生き残る確率が上がったり
得られるものが増えたりしたように

役割の違いを知り
受け入れ
協力し合うことが

きっと世界を、
周りを、
自分をも豊かにする


自分の見えるもの、感じるものを
曲げずに出していくことを
どうか恐れないで

きっと自分と同じように感じたり
その違いを楽しんで、喜んで、
受け入れてくれる人に
必ず出逢えるから

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