心にかかる、虹の橋
小さな頃から
いろんな“見えないもの”が
見えていたらしい
「らしい」としか言えないのは
見えているものは私にとって日常で
何が「見えていないもの」なのか
自分では確かめようがなかったりする
それは
見えない人からしたら
不思議で不気味で
受け入れがたいものだったり
憧れにもなったりするけれど
ほんのちょっと角度を変えたら見える
水撒きをしているときに
ホースのシャワーの先に見える
虹のようなものなんじゃないかなあと
ふと思う
光の角度や
水の粒の位置で
見えたり見えなかったり
自分のいる場所でも、変わってくる
さらにいえば
見えている人でも少しずつ違う
虹を2色で見る人もいれば
20色に見える人もいる
ただ、
虹がそこに見えることだけは確かで
でも決して触れなくて
「虹があるなら捕まえてごらん」
と言われたら
困ってしまうけれど
その絵を描いて
それで心が明るくなる人がいるなら
それでいいんじゃないかなあと
思えるようになってきた
自分の世界を
外に出していくことは
怖い
否定されたら
深く深く傷付く
けれど
その深い深い部分を受け入れられ
繋がれたら
きっと何よりとっておきの
キラキラが生まれるように思う
その時
私と
その人との間にも
虹の橋が、きっと掛かる