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父に包丁を突きつけられる

虐待サバイバーのゆうかです。

これは私が小学2年生くらいの頃の話です。
家には私と父しかいませんでした。

父はいつもどおり、急に何かに逆上しはじめました。
理由は全然覚えていませんが。

ただただ怖かったことを覚えいます。
もちろん私にはどうすることできず、父の逆上は増すばかりでした。

キッチンにいた私たちでしたが、やがて父は包丁取り出しました。

包丁を取り出されことは今までも何度かありましたが、私の記憶ではこの時が初めてだと思います。

あろうことこか、父はその包丁を私に向けたのです。

逃げたり大騒ぎをしたら、余計に父が興奮すると思ったので、ひたすらおとなしくしていました。

ほっぺたに包丁があたたった感触は今でも忘れられません。ひんやり冷たくて、チクリと感触があり、今すぐにでも刺されるのではないかという恐怖で、私は声も出せませんでした。

ああ、私はこれで刺されるんだ、私は血だらけになってここに倒れるんだ、明日新聞に載るかもしれない、明日学校で先生はクラスのみんなにどう話すんだろう、私の机に花瓶にいけた花が置かれるんだろか(昭和のやり方)…とそんなことを、考えていました。

父がその時に私に言った言葉を忘れることはできません。
「オレをなめんなよ!!オレを誰だと思ってるんだ!知らないだろ?オレは人を殺せるんだぞ!オレなは、人を殺したこともあるんだぞ!!覚えとけよ!」

私はもう1mmも動けませんでした。
こんな言葉、小学2年生の我が子に言う言葉ではありませんよね。

小さな私にとって、父が人を殺したことがあると聞き、私のことも簡単に殺せるんだろうなと思い、とてつもない恐怖を感じました。と同時に全てを諦めるしかありませんでした。

私はこの父の元に生まれた以上、殺されても仕方のない存在なんだと、思うしかありませんでした。

常に殺されることを覚悟しなが生きていた私が、死にたいとか、自殺したいと思うようになるのは必然のような気がしています。

今でも、父に関係なくても、少しでもなにかに恐怖心を感じる度に、殺されるんじゃないかとか、殺されるかもしれないと、頭に浮かんできてしまいます。

父がこの事を覚えているかはわかりませんし、今となってはもうどうでもいいことです。

ただ、小さな私の心に「殺されるかもしれない」という、普通に生活していたら考えることのない、恐ろしい考えを植えつけられたこととは、事実なんです。

何度死にたくなっても、なんとか生きてる私ですが、私の心の中にある、恐怖心が消えることはないのかもしれません。


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