『「やさしさ」過剰社会』を読んでやさしさについて考えてみた
夫が図書館から借りてきた、榎本博明さんの『「やさしさ」過剰社会』という新書を読んだ。
「上っ面のやさしさが主流になり、あえて厳しいことを言う本物のやさしさが疎まれてしまう時代。日本古来の『間柄の文化』にも言及しながら、現代の『やさしさ』を心理学者が分析」した一冊だ(「内容紹介」より)。
つい最近、「男女ともに恋人に求めるのは『やさしさ』」という記事を読んでいたので興味津々だった。
この本は、友人、家族、会社といった様々な会話サンプルをもとに、「ほんとうにやさしいのか?」と何度も問いかけてくる。
「そんなこと考えてるの? 信じられない」と友人に呆れられたため、先生やカウンセラーにしか悩み相談ができない学生。
子どもに嫌われたくないから、叱れない親。
保身のために厳しく指導できない上司(これはすぐにパワハラで訴えようとする側に原因があると思うけど……)。
その場限りで、上っ面で、ぬるま湯のようなコミュニケーションばかりになっているらしい社会をまざまざと見せつけられ、読み終わった後は暗澹たる気持ちになってしまった。
私が学生時代に付き合っていた恋人は、友人に写真を見せると必ず「やさしそうだね」と言われるような人だった。
実際やさしい人ではあったのだが、イケメンでもなく、背が高くもなく、有名大出身というわけでもない。当時の私は、「やさしそう」というのはその場をしのぐために発する誉め言葉だと思っていたので、そう言われるたびになんだか居心地の悪い思いをしていた。
私は、「やさしい人」があまり好きではない。
もちろん、本当の意味でやさしい人は好きだ。夫や数少ない友人、通っている整体のお姉さんや、ここで温かいリアクションを返してくれる人たち。ついなんでも話してしまうような、そんな心の広いやさしい人は好きだ。
でも、中には厄介な「やさしい人」もいる。
これは私の主観なのだが、まず近付くことが難しい。どれほどこちらの話に相槌をうって、「うんそうだね」と聞いてくれても、その人自身の話が一向に引き出せない。当たり障りのない話はしてくれても、「どんな本を読んだか」「最近考えたことは」といったことについては、ぐりぐりと濃いラインが引かれているようでそれ以上には決して踏み込めない。そうした近寄れなさがあって、「やさしい人」はあまり得意ではない。
また、「やさしい人」とは、なかなか生身の会話ができない。(こんなこと言ったら引かれるかな……)とおそるおそる出した話題に「君はそう思うんだね。いいと思う」なんて返事をされたって嬉しくない。ドン引きしても軽蔑しても構わないから、「あなた」はどう考えるのかを教えてほしい。私が「やさしい人」に惹かれないのは、たぶんこんな理由だ。
この間、久しぶりに夫と別々の部屋で寝た。
いつもは「おやすみ」「また明日」と一緒のベッドで一日を終えるのに、その日は「しばらくひとりにして」と夫の顔も見ずに言った。
原因は、私。スタバでコーヒーを飲んでいるだけなのに、やたらいいねがついている記事を探してきて、何がいいんだ私の方が書けてるぞ、とぴーぴー鳴いていた。
しばらくじっと聴きながらタマミツネを狩っていた夫だが、おもむろにゲームを停止するとこちらに向き直って、珍しくいらいらした様子でこう尋ねた。
「で、一体どうしたいの? フォロワー2000人になりたいの?」
夫は、やさしい人だ。基本的にどんなくだらない会話にも付き合ってくれるし、苦手だからと言ってラーメンの煮卵をくれたり、寝る前にはお布団をかけてくれたりしてくれる。
でもその懐には、鋭く研いだナイフをじっと構えていて、必要とあればひとの一番弱くて一番柔らかいところを正確に刺してくる。
その時の夫もそうだった。なんのために書くのか?「好きなことを好きなように書きたい」と口にしながら、いつまでも数字を気にしている。そんな私に、その言葉は痛すぎた。
夜中にソファにうずくまって泣くのは久しぶりだ、と頭の隅でぼんやり思いながらわんわん泣いた。心はずっとひりひりしていた。なんであんなひどいことを言うんだろう。「きみの文章、いいと思うよ」って言ってくれればいいだけなのに、どうして言ってくれないんだろう。
日記として使っているノートを取りだして、思うがままに書きつけもした。いつもより乱れた字で、たくさん書いた。でもそうして時間を過ごすうちに、”あるイメージ”が浮かんできた。
それは、傷ついたハート。じくじくと血が出ている。
そこに、絆創膏を貼ってあげる。ぺたぺた、多すぎるくらいに。
そうしたら、大丈夫だと思えた。傷ついても、大丈夫。そのたびに絆創膏を貼って、ちょっとずつ強くしていけばいい。
以前の私だったらきっとそこで心を閉ざして、次の日からは愛想笑いを張り付けて過ごしていたと思う。でもその時は違った。強くなりたいと思えた。
深夜2時半過ぎ、そろそろとベッドに潜ってこっそり「ごめんね」と夫に言った。寝ぼけ眼の夫は「いいよ」と言ってくれて、それで私も眠りについた。
本書の最後は、”ほんとうのやさしさは自他への厳しさ、そして寛容さを伴う”と結んでいる。
友人も、親も、社会も、傷つけないように恥をかかないように「やさしく」接してくれる。確かに褒められると嬉しいし、自分の考えを肯定してくれると安心する。でもきっと、それだといつまでも弱いままだ。
誰に対しても愛情を持って厳しく接する、というのはもう無理だと思う。育ってきた環境が、考え方があまりに違いすぎるし、かえって自分が損するだけだ。
だからせめて、大事だと思えるほんの数人の人にだけは、「やさしく」ありたいなと思った。