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【読書感想文】宮部みゆき『クロスファイア』
こんにちは、ゆのまると申します。
先日つぶやいていた『クロスファイア』、ゆうべ読了しました。
宮部さんの小説は、どの作品も考えるきっかけをくれるものだと感じます。自分の中で消化しきれていない思いもあるのですが、今感じているままに残しておこうと思います。
あらすじ
『クロスファイア』は、二人の人物の目を通して物語が進みます。
一人目は、念じるだけですべてを燃やす念力放火能力を持つ青木淳子。彼女はその力を持って、法の裁きを逃れた極悪人たちを秘密裏(でも結構派手)に「処刑」していきます。
そして二人目は、石津ちか子。47歳の刑事で、本庁に登用されたのは警察内のゴタゴタと女性活躍の流れを汲んだものだと自覚し、周囲からは「おっかさん」と呼ばれる優しく、しかし冷静な女性です。放火捜査班に所属する彼女は、ちょっと変わっているが優秀な同僚と共に、淳子の起こした事件を追うこととなります。
念じるだけで衝撃波を出したり、あっという間に人や物を燃え上がらせたり――とまるで少年マンガのような設定ですが、「能力」もいわば道具の一つにすぎないとばかりに、読み応えのあるサスペンス仕立てにしてしまうのだから、さすが宮部さん。上下合わせて800ページ弱の作品でしたが、中弛みすることもなく読み終えることができました。
私が考える「悪役の美学」
小説において、登場キャラクターを好きになれるか、あるいは好きなキャラクターが出てくるか、というのは重要なポイントだと思います。どうにもキャラクターに愛着が持てず、結末だけを先に読んでしまった経験も、一度や二度ではありません。
その意味で、『R.P.G.』にも続投した石津ちか子というキャラクターは、読んでいて非常に安心する人物でした。「能力者」という特殊な設定があり、ある種異様な人物が多い中で、ちか子は「一般人代表」とでもいいますか、読者に寄り添ってくれる立ち位置にいたと思います。
今作は、パイロキネシスの能力を持つ淳子視点と、それを追うちか子視点とが交互になって物語が進んでいきます。自らの信念に基づいて処刑を繰り返す淳子サイドの話は、読んでいて正直しんどいものがありました。
淳子は若く美しく、頭の回転も速いけれど、その危険すぎる能力ゆえに孤立を選んでいます。そして誰に頼まれたわけでもなく、常人にない力を持って生まれた以上、それを正しく、有益な方向に使わねばならないという信念に基づき行動します。それはすなわち、他人に害を与える存在を狩る、という行為です。
上巻で、淳子はさほど躊躇いも見せずに悪人共を焼き殺していきます。いうまでもなく、相手は特殊能力なんて持たないただの一般人。彼らは少年法に守られながら非道の限りを尽くす輩で、たしかに同情の余地はありません。それでも私は、どうしても「やりすぎだ」と感じてしまいました。正直に言えば、「一体何様のつもりなんだ」と憤ることすらありました。
淳子は特別な犯罪学のレクチャーを受けたわけでもなく、特殊な組織に所属するわけでもありません。
ただ一人の市民として、一般的な善悪の価値観に基づき、彼女の手の届く範囲の悪人を処刑するだけです。それも、法の名の下に「有罪」と認められたわけでもなく、ニュース報道や状況証拠から悪だと推定されただけ。いくら直接攻撃ができる特殊な能力があるとはいえ、それを断罪できる資格が彼女にあるはずもありません。
下巻の解説によると、悪い男がバッタバッタと倒されていく様は、一部の女性読者からは「痛快だ」と好評だったようですが、自らを全能の神だとでも思いこんだ故の淳子の行動は、見ていてどうにもイライラしてしまいました(ううむ、女性に厳しいワタシ……)。
私が淳子を好きになれなかった理由は、もう一つあります。
迷いなく処刑を続けていく中で、淳子はだんだんと葛藤を抱えていくようになります。まごうことなき悪人は処刑に値するかもしれないけれど、その周囲で甘い蜜を吸っているような小悪党は? 自分が焼き殺した人物は、本当に死ななくてはいけないような奴だったのか?と。
そして決定的なのが、とある人物との出会いです。彼女はその人物との交流の中で、お互いの心にじっと根を張る寂しさを共有し、次第に心境に変化が訪れます。彼女に足りなかったものは家族や恋人からの愛だったのだ、とでも言いたいように。
これはもう完全に好みの問題なのですが、この「悪役にも悲しい過去(事情)があったんです」という描き方が、私は本当にダメで。自らの信念に基づいて行動を起こす以上、人間らしい心の機微とは遠く離れた存在であってほしいと願ってしまうんですよね。
フィクションにおいて私は、「悪役」(是非はどうあれ、主人公の対極の立場にある人物)にわりと惹かれるタイプです。それは例えば、ヒース・レジャー演じるジョーカーだったり、『るろうに剣心』の志々雄様であったり。
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大願成就のためなら、自らを信奉する者すら躊躇なく手駒とする。純粋さと狂気は紙一重といいますか、極悪非道な行いをしていても、それを貫く意思の強さには「かっこよさ」を感じてしまうのです。
常人には成せないことを成そうとするならば、そのための犠牲や代償に囚われてはいけない。ましてや、目先の小さな幸せを掴もうとすることなど。
これが、私が考える「悪役の美学」であり、そのために淳子のことも少々厳しい目線で見てしまったことは否めません。
もし私が、たとえば痴漢などで泣き寝入りをした経験があったり、不条理な事故で大切な人を奪われた過去があったとしたら。なんらかの理由で法律では裁けない者共を、人知れず処刑する淳子のような存在は、救世主のように見えたかもしれませんね。
正義の形はそれぞれ
淳子が起こした事件が終幕を迎えた後、エピローグとしてちか子が「ある人物」と対話する場面があります。それまで人が物理的に炎上したり吹っ飛んだりと、派手なシーンが続いてたのとは打って変わって静かなシーンです。
そこで語られるのは、まっとうに生きる人たちを守るための、それぞれの手段について。淳子も、ちか子も、そしてそれとは異なる立場を持つ人々も、道を外れた人々をどう対処するか考えている、という点では同じなのです。ただ、それぞれの掲げる「正義」が異なるだけで。
「わたしは、あなた方とは違う道を行くつもりです」
そうきっぱりと宣言したちか子は、やはり私のような一市民からすれば、非常に頼もしい存在だなと感じました。
『クロスファイア』は、自分にとっての正義とは、公平さとは何か、キャラクターのうち誰に感情移入するのか。それら読者の受け取り方によって、印象が大きく変わるのではないかなと思います。
わかりやすく痛快なお話ではなかったけれど、読んでよかった、そう思える一冊でした。おしまい。
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