怒ることだって必要じゃない?
こんにちは、ゆのまると申します。
今回は、noteを読んでいて以前から気になっていたことについて。きつい表現があるかもしれませんが、目をつぶっていただけると幸いです。
noteの世界って、本当に優しい方が多いですよね。
私が目にする記事がそうなだけかもしれませんが、大きな感情の起伏もなく、日々穏やかに過ごしている方が多いという印象を受けます。
しかし、そんな方々の生活が、トラブルもなく盤石な生活基盤に支えられているかというと、必ずしもそうではありません。時には、読んだこちらが愕然とするような、ひどい目に遭っていることも。
それは上司からのパワハラだったり、当たり屋のような行為だったり。悲しいことに、目立たず真面目に日々を過ごしていても、災難としか言いようがないような、そんな不幸が降ってくることは誰にもあることだと思います。
けれど私が驚くのはそのトラブルそのものではなく、そんな目に遭ったにも関わらず、決して怒らず、むしろ自分に落ち度があったのではと反省する、その姿勢なのです。
どうして怒ったり泣いたり、感情をあらわにしないんだろう?
私はそのことが、前から気になって仕方ありませんでした。
私はどちらかというと、戦闘民族タイプです。
ここでは大人しいフリをしていますが、オブラートに包まない物の言い方をして周囲をヒヤヒヤさせることも多々あるし、「あいつが考えられる限り不幸な目に遭いますように」と呪詛を吐くことも珍しくありません。いや面と向かっては言わないですよ?
なので、喜怒哀楽の中で「怒り」に関してはわりと沸点が低く、そんな負の感情を悪びれずに吐き出すことがよくあります。それでも足りなければ、アクションゲームで無駄にザコ敵を倒したり、体を動かしたりなど、とにかく自分の中には溜めておかずに発散するようにしています。沸点も低ければ、冷めるのも早いタチなんですね。
また、前からお話しているように、私は外出時の警戒心はわりかし高い方です。少しでも様子のおかしそうな人がいればあからさまに避けるし、なるべく人の多い、明るい場所を選んで通ります。
それは、警戒していてもトラブルは降りかかるものである。そんな疑いを持っているからです。
私たちが生きているこの社会は、理性的な知性を持った人間の集まりかと思いきや、そうではありません。
中には、こちらの言葉が通じず、独自の理論で展開してくる生き物もいます(私は、そんな理解のできない行動をする者を妖怪だと思っています)。
つまり、どう気を付けていたって不条理な目には遭うし、そんな時に私は自分の行動を省みるのではなく、怒りは怒り(あるいは悲しみ)として受け入れるようにしているのです。
「正常性バイアス」という心理学の用語があります。災害時のニュースで、耳にしたことがある方もいるかもしれませんね。
正常性バイアスとは、人間が予期しない事態に対峙したとき、「ありえない」という先入観や偏見(バイアス)が働き、物事を正常の範囲だと自動的に認識する心の働き(メカニズム)のことを指します。
接客業なんかはまさにそうだと思いますが、人は、何かが起こるたびにいちいち反応していたらあっという間に心が擦り切れてしまいます。心の消耗を防ぐために、「よくあることなんだ」「もしかしたら自分の行動がそれを招いたのかも」と言い聞かせることで、ざわついた気持ちを落ち着かせようとするんだそうです。
これは個人的な考えですが、突然不条理が降って来た時に、「相手にも事情があったのでは」と推測するのも、これに似たものなのではないかと思うのです。ありえないことなんかじゃない、これも日常の一部で、きっと理解のできる相手なんだ、と。
心の働きとして、それは普通のことなのでしょう。でもそうして、不条理に対して自分の怒りや悲しみから目を背け、正当化しようとしたらどうなるのか? それはだんだん気持ちが麻痺していくことになるのではないでしょうか。
私が頭のおかしな人を妖怪と呼ぶのは、自分で編み出した対処法の一つです。どうやらこの世には、どれだけ考えても理解のできない行動をする人はいるようで、あれこれ考えても時間の無駄だということにしました。
気持ちがざわついた時に、どう折り合いをつけるのか。他人のそれに口を出すのは、余計なおせっかいだとはわかっています。もしかしたら、noteという人の目に触れる場所に書く前に、友人にひとしきり愚痴ったのかもしれないし、呪いの言葉を紙に書き散らして気が済むまで破いたのかもしれません。
でも、おせっかいながらも、「あなたが守るべきなのは、どうでもいい他人の尊厳ではなくて自分の傷ついた心なのでは?」と思えてなりません。怒りや悲しみを認めてあげないと、いつか傷ついたことにすら気付かなくなってしまいそうで。私はそれが怖いのです。
この記事は誰かへの強制でもないし、単なる私のワガママです。noteを始めて一年以上が経ちますが、ちらほらと目にしては、ずっと気になっていたことを言葉にしてみました。
けれど、優しい人だけが一方的に傷つくのはどう考えても悲しいことだから。「ちょっと聞いてくださいこんな理不尽な目に遭ったんです!」そんな書き出しの記事があれば喜んで読むのにな……と思う私なのでした。
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