noteが途切れたら、また次の日から始めればいい。
ベットに横になり、はたと気づいた。
「あ、今日のnoteアップしてない」
スマホを見ると、あと10分で0時。10分で意味のあるものは書ける気がしない。目を閉じた。記事のストックや既に広がっているアイデアがあったら、アップしに立ち上がっていただろう。「書きたい」と思っているものが浮かんでいなかった。
「不言実行」から「有言実行」へ。
実は先日から、noteを毎日書いてみようと自分の中の挑戦だった。結果11日間は連続投稿。たかだか11日だが、毎日投稿していて感じたことを一旦まとめることにした。また今日からしばし毎日投稿を続けようと思っているので、「不言実行」から「有言実行」へシフトする。
「書くこと」を生業にしているわけではないので、締め切りがあるわけではない。そんな中で毎日、頭には「ふと思ったこと」が山積みになっていく。それを、紐づけるように私は「書き出して」思考の整理をしている。全く緊張感がない中だと、ぼんやりしていく。それを強い意志ではっきりさせなきゃ、なんて「書くこと」「誰かに共有すること」が目的でもなければ、私にはできない。「物語」は書けても、「エッセイ」は自然には浮かんでこないし、書けない。思ったことを書くことが「エッセイ」だと私は定義づけをしている。「物語以外」の私の文章が「エッセイではない」と思う方もいるかもしれない。文学の分類に自信はないので、これはこうですよ、というご意見があれば教えていただきたい。
毎日noteのネタ
毎日のように思うことは出てくるので、ネタは欠くことが無い。自分のノートや、スマホのメモ帳、Twitterがネタ帳だ。
この翌朝、長男と話している。
書こうと思ったことは書いておく。クラウドのメモ帳みたいなイメージ。私の始めたばかりのツイッター(半年経っているから、「ばかり」は言い過ぎかもしれない)は「♡」一桁台がデフォルト。音声配信だと気になる「反応数」も、サラーッと流れていくTwitterだと気にならない。自分に合っているってこういうことを言うのかな、と思っている。この2つのツイートの後、に書いたnoteがこれ。
さらに、この気づきが違う方向にも膨らんだので、音声配信に。
そしてその内容が頭に残っているので、日々の中でさらに気づきがあったので、音声配信に。
音声配信では「メモの取り方」「手帳の使い方」「売れない営業に学ぶNG行動」など「HOW TO系」の方が聴かれていて、こうした「気付き系」はあまり聴かれない傾向にある。聴かれないよりは、聴いていただけた方が嬉しい。でも、「こういうのが好きなんでしょ」みたいな音声だけ上げていても楽しくない。聴かれていなくてもあげていく。noteのネタと音声のネタ、元が一緒でも分けているのは、自分の感覚だけ。特に意味はない。
毎日noteの続け方
私だけじゃなく、人は誰でも朝から晩まで何かを考えている動物だ。それを表現するかどうかの違い。だから続けるなら「毎日書くと決める」のが最低限必要で、最大の続け方だと思う。
何に関してなら毎日書けるかなと考えた時に、気楽なものを選ぶのがいい。私は、まだやっていないことの中では「本」の紹介も考えている。インスタグラムで「アラフォーの本棚」というハッシュタグで読書記録をつけているからだ。ただ、読書記録のアウトプットは「インスタグラム」ですることを前提として、いるから文字数を短く設定している。そのため、内容などはほとんど触れず、最終的に自分が「考えたこと」「思ったこと」にフォーカスして書いている。noteに書くなら、もう一度読んで肉付けしたほうがいいのかな、と考え中だ。ただ、文字数が少なくても「面白い」と思う記事も多いので、文字数が長いからいいというものでもないと考えている。
毎日noteが途切れた時
昨日がまさに途切れてしまった日。「絶対に続ける!」と残り10分でも書いて出すことも悪くないと思う。でも、私は「書きたい」気持ちにならなかった。
毎日やろうと思ったことが途切れた時、「あぁあ」と自分に失望してしまう。でも単純に、また明日から始めればいい。失望して次の日も、また次の日も再開できないでいると、次に書くときに「気持ち」が多くいる気がする。いわゆる「気合」だ。
「気合」を入れないとできないことを毎日やろうとすれば、多大なエネルギーを要する。毎日続く気がしない。だから私は「気合」がなくても続けられる方法がいい。だから、途切れたら、また次の日から始めればいい。
毎日書くことにした理由
今我が家には、浪人生がいる。本人に「毎日、試験のある時間に合わせて勉強する」ことを勧めている。だったら自分も何かを「計画」し「行動する」ことで、彼の「習慣化」に対するモチベーションの一つになりたいと考えた。
私は、親としては不器用だし、尽くしてやることはできないと自分で思っている。子供に「漢字検定」を受けて欲しいと思った時は、自分も「漢字検定」を受けた。本人も私も受けたのはその1回切りだったが、「子どもにだけやらせる」ことはないと、本人は前向きな気持ちになったらしい。やっていることは別のことでも、「言ってることとやってることが違う」と思わせない、というのが私の親として軸にしている姿だ。今日もその姿を見て、子どもは学校へ向かった。
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