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明治時代(1868~1912)の労働と読書         


 『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』の著者である三宅香帆さん(30)は、労働により大好きだった本が読めなくなってしまったので会社をやめ、本を読む余裕のない社会や労働のシステムについて疑い、考察をされています。

 読書は、インターネットの情報に比べ「ノイズ性」が高いため、効率重視の現代社会においては淘汰されてしまうそうです。同書では、いつから人は本が読めなくなったのか、またそのような社会になってしまったのかということを、明治時代以降の「労働と読書の関係の歴史」を追うことで明らかにしようと試みています。

 私自身が、日常の中での「労働」と「読書」という行為を再考するにあたり、非常に参考になったので、noteにアウトプットします。忙しい皆さんが、再び、本を好きになり、手に取って下さるための一助となれば幸いです。それでは、明治時代編から。

社会的背景

 1867年に江戸幕府最後の将軍徳川慶喜による大政奉還が行われると、王政復古の大号令が発せられ、明治政府が誕生しました。「富国強兵」「殖産興業」のスローガンのもと、日本での資本主義の育成し、欧米列強諸国に対抗するための近代化が推し進められました。鉄道の開通や電話が開通し、飛脚に代わり郵便の制度が導入されました。農民の一部は重工業労働者として「労働」をするようになり、1日13~16時間という長時間労働を課されました。

「上州富岡製糸場之図」一曜斎國輝(写真引用:「国立国会図書館国際こども図書館」)

明治時代の読書事情

 江戸時代、本は個人で読むものではなく、家族で朗読し合いながら楽しむものでした。明治時代に入り、活版印刷が普及したことで大量の書籍が市場へ出回るようになると、書店や古本屋、図書館が登場し、本がメディアとして世に普及しました。明治期に入りようやく、自分の好きな本を選んで読める時代が始まったのです。また、本の読まれ方の変化に伴い、明治10年代後半~20年代には本に「句読点」が付されるようになりました。

明治時代のベストセラー

 明治初期の本として思い浮かぶのは、福沢諭吉『学問のすゝめ』(1872年 / 明治5年)があります。しかし、同書がベストセラー化した背景を探ると、県を通した各区への公的な流布が行われたという事実があります。

 同時期に出版され、当時人口5000万人程の日本にて、明治末までに100万部は売れたというベストセラーが、写真の『西国立志編』(1871年 / 明治4年)です。同書は、イギリスのベストセラー"Self-Help"(1859)を翻訳した書籍であり、ニュートン、ナポレオン、ジェームズ・ワットなど300人以上の欧米人の成功談が掲載されています。

 「自助努力」と訳すことのできる原題に表れている通り、同書に掲載されているサクセスストーリーは、「身分や才能ではなく、自分で努力を重ねたからこそ成功した」という教訓で締められています。

Samuel Smiles著・中村正直訳『西国立志編』講談社、1971年
(引用:(左)古書の森日記by Hisako、(右)amazon)

 
 明治時代に入り、「職業選択の自由」「居住の自由」が認められると、江戸時代の身分制度に囚われない「修養(Cultivation)」(≒勤勉、努力)による「立身出世」を志向する態度が重要視されるようになりました。同書は、労働者階級の男性によって支持された、日本初の自己啓発書の性格を帯びた本であったと言えます。

 明治時代後半に入ると、欧米の自己啓発思想に習い「修養」を説く書籍や雑誌や書籍がブームとなります。インテリ層男性が文芸書を嗜む一方、工場労働者たちはこれらのビジネス雑誌を職場の図書館で読むこととなりました。

左:雑誌『実業之日本』1897年 / 明治30年刊行(引用:文化遺産オンライン)
中央:雑誌『成功』1902年 / 明治35年刊行(引用:日本の古本屋)
右:Marden『快活なる精神』実業之日本社、1907年 / 明治40年(引用:日本の古本屋)

 
 Marden著『快活なる精神』では、19世紀末以降アメリカで流行した"New Thought"思考に基づき、「ポジティブに行動することで成功する」という、精神の明朗さと実業の成功がつなげて語られます。

 この"New Thought"由来のポジティブ思考は、後のD. Carnegie『人を動かす』やN. Hill『思考は現実化する』といった、現代でもベストセラーとなっているアメリカの自己啓発書を生み出すことになります。
 このような男性権威的な世界観でマッチョイズムを説く書物は、日清・日露戦争へと向かう当時の日本の時流に合致していました。


"New Thought"とは

 "New Thought"について、同書に詳しい説明はありませんが、大学時代にポジティブ思考系の自己啓発書を読み漁った私からすると非常に興味のあるムーブメントなので、調べまとめました。

引用元:PBS AMERICAN EXPERIENCE

 ニューソート(運動)(New Thought)は、19世紀後半にアメリカ合衆国で始まったキリスト教における潮流のひとつで、ポジティブシンキング自己啓発(セルフ・ヘルプ)、信仰療法、心霊主義、ロマン主義、ユートピア主義などが非論理的に合体した、複雑な信仰体系です。

 ニューソートは、現世利益の追求を戒めるプロテスタント系カルヴァン主義的禁欲主義へのアンチテーゼを背景として生まれました。というのも、当時のアメリカは、『トム・ソーヤーの冒険』でおなじみのMark Twainが"The Gilded Age"(金ぴか時代)と揶揄するように、アメリカにおいて資本主義が急速に発展を遂げた時代でした。

 「アメリカン・ドリーム」に魅せられた欧州からの移民が流入し、株式会社が設立され資本家が台頭しました。同時代には、C. Darwinの進化論が適用され、「自由競争」「自然淘汰」「適者生存」が正当化されると、政治腐敗が発生し、経済格差も拡大しました。Henry Adamsは同時代のアメリカを「市場が宗教に取って代わった時代」と表現しています。
(引用:Wiki)

◯参考文献
三宅香帆『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』集英社新書、2024
     第一章 労働を煽る自己啓発書の誕生ー明治時代

◯上書該当箇所にて引用がある参考文献
・武田晴人『仕事と日本人』筑摩新書、2008年
・古谷綱武編『石川啄木集』上巻、新潮文庫、1950年
・永嶺重敏『〈読書国民〉の誕生ー明治30年代の活字メディアと読書文化』
日本エディタースクール出版部、2004年
・夏目漱石『三四郎』新潮文庫、1948年
・竹内洋『立身出世主義ー近代日本のロマンと欲望〔増補版〕』世界思想
社、2005年
・サミュエル・スマイルズ著、中村正直訳『西国立志編』講談社学術文庫、  
1981年
・夏目漱石『夏目漱石全集6』ちくま文庫、1988年

カバー写真:
Martin Amis "Success" First UK Edition 1978 
引用:JOHN ATKINSON FINE & RARE BOOK 


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