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3年と4か月。

さようなら。お別れした日を忘れてしまいました。心についた瘡蓋も、きれいになくなってしまいました。わたしはあの日を思い出してもう一度泣くことができるでしょうか。不安になって、ここにきました。

3年と4か月。これはわたしが人生で一番長く、ひとりの人を愛した期間です。「高校生活よりも長いんだよ」。そんな友人の言葉が胸に刺さる。

青春と呼べるぐらい、若い恋愛でした。最初のデートは他愛のない話しかできず、ずっとドキドキしていました。触れるなんてもってのほかで、本気でこの人のことを好きになってしまったんだな、と実感していた。始まりや一番や最初という言葉が持つ効力はすごいです。はじめましての記憶には、何も勝てない。3年と4か月。幸せな瞬間はたくさんあったのに、いつまでも思い出し続けたのは、一番最初の記憶だけでした。

「人生の夏休み」と呼ばれる大学生活のほとんどを、わたしは恋人と過ごしました。「別れたときに後悔する」と何度も他人に釘を刺されましたが、全部嘘でした。別れた今、恋人と過ごした日々に後悔はないです。それは、恋人がわたしの自由を優先してくれていたおかげだと思います。したいと言えば叶えてくれる、恋人が関与できない範囲は応援してくれる、恋人にとって許容できないことだったとしても、わたしは自分の自由を優先して好き勝手していた。そんなわたしを愛していると待ち続けてくれた。そんな、ほかの誰にも代えられない、特別な人でした。本当に、特別、だったな。

特別であるということを、大切であるということを、誰よりも信頼していたということを、わたしは忘れてしまいました。一番必要な人に、最も必要のない言葉を投げてしまいました。わたしは本当に自分勝手でした。長い期間をかけて、わたしはわたしを表現できるようになりました。その中にはたくさんのわたしのわがままと恋人の我慢があった。今になってそんなことに気づかされました。恋人がわたしに残した罰、わがままなわたし。

「あなたはわたしがいなくなっても、何も困らないんでしょうね。」

わたしが恋人に与え続けた言葉は本当になってしまいました。わたしのいない生活、あなたは楽になれたかな。ほんの少しの寂しさは代替可能であることをわたしは知っています。わたしでないといけない理由は何だったのでしょうか。わたしは聞きそびれてしまった。

いい恋愛だった。と恋人は言ってくれました。本当に、ね。とわたしは言いました。恋人は笑っていた。わたしは泣いていた。たぶん、そういうことでした。わたしはあなたに幸せにされすぎていた。わたしはあなたになにかしてあげられたのでしょうか。ごめんね、という言葉ばかりが頭の中でぐるぐる。

わたしの笑顔が一番好きだった、と恋人に言われて、わたしは無言で泣きました。笑ってよ、と言われて、もっと泣きました。わたしが笑顔でいられるかどうか、恋人は本当にそれだけを大切にして接してくれていたことを思い出しました。わたしがずっと笑っていられたのは、わたしを信じ続けられたのは、今日まで生きていられたのは、全部あなたのおかげでした。それなのに、わたしはあなたに悲しい顔ばかりさせてしまっていた気がする。また、ごめんねが出てくるわたしが嫌になる。

わたしと別れた恋人が色んな事に気づいてしまうのがこわいです。わたしはわがままだったということ、わたしはめんどくさい女だったということ、わたしは自分のことばかり考えていたということ、わたしはいい子ではなかったということ、わたしはあなたがいなくても生きていけるということ。わたしはわたしで、あなたにたくさんの呪いをかけられました。この先、呪いを解いてくれる人に出会えることはあるのでしょうか。

冷めきった愛を、何度もレンジでチンしていた。ついに捨てないといけなくなってしまった。だからかな、思っていたよりも泣けませんでした。でも、わたしは今、みんなに「別れた」と言いながら笑ってしまいます。わたしは、笑いたくない時に笑える人ではなかったのに。今のわたしの笑顔は、あなたが好きだったわたしの笑顔でしょうか。またあの笑顔のわたしに会える日まで、あなたとの思い出をわたしの中にしまっておきます。

もう少しで3年と5か月、あなたの誕生日だった。わたしは、あなたといるわたしを愛していました。でも、何よりも、あなたを愛していました。いつまでも、あなたがあなたらしくいられますように。わたしも、わたしの生活を続けます。

ありがとう。


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