想像を創造する
「それはね、想像力の差だと思うんだ。」
友人に恋愛観について相談した時に言われた言葉。
最近の仕事の中でも、「想像力」という言葉がテーマになることが多い。
嫉妬するとかしないとか、
本を読んで泣くとか泣かないとか、
音楽から映像が浮かぶとか浮かばないとか、
コミュニケーションからその裏にある心情を読み取るとか取らないとか、
日常にある「気づき」の量は想像力が影響している。と人は言う。
わたしは最近までその「差」を知らなかった。
ストレングスファインダーで最も顕著に現れたわたしの強みは「着想」だった。
日常生活の中でも、物事の裏に起こり得るであろうネガティブな事象を無意識のうちに考えている。そしてその大半は起こらない。
想像力はわたしにとって毒になることが多かった。不安になるから行動しない。考えるのが苦しいからあえて考えていないふりをする。そうすると楽になる、気がする。だから演じるのが上手いし、本心がどんどんと小さくなっていく。この生き方の方が上手く生きていられると、生活を通して確信してしまった。そのツケが大人になった今、しっかりと返ってきて、想像し続けたネガティブを受け入れながら、素直に、前に進むことを求められている。
恋人はとても表面的な人なのかもしれない。苦しいと言うと、休めばいいと言う。楽しいと言うと、その時間が続けば幸せになると教えてくれる。世の中はそんなに単純じゃない、人もそんなに簡単ではない。ただ、単純に考えられないわたしにとって、そういう単純な思考を持つ人の存在が、ただただ癒しになって、ありがたい日が多かった。けれど、あくまでこれは絆創膏を貼り続けるだけで、いつかまた魔法が解けてしまう。古傷が定期的に傷み始め、このままではダメだと体が教えてくれる。く〜。苦しい。もっと簡単に生きさせてよ。となってしまう。の、繰り返し。
わたしはわたしの想像力と、それを実際に創造できる力に自信を持っていいのかもしれない。世の中は想像の欠けたものばかりで苦しい。ほんの少しのメッセージに多くのストレスがかかることにもひどく共感する。配慮のない言葉、後先考えない棘のある言葉、その場しのぎで発するしかなかった言葉、そういう中途半端な想像で作られるコミュニケーションが、どこか気持ち悪い。言葉の使い方に性格がでる、言葉の使われ方に憤りを感じる。そういう無意識のうちに感じていた違和感は、特別なものであると知った。もちろん、もっともっと想像できる人はいるけれど、誰かとの話ではなくて、これはわたしの中のハナシ。
『想像できるから、想像のない人に救われる。』
過去のわたしは、恋愛も仕事も、この言葉通りに救われ、悩んできた。想像のない人は素敵だ。素直で、いつも新しい気づきや思い切ることの大切さを教えてくれる。足が止まった時に、走るきっかけになってくれる。けれど反対に、心の根本解決にはならず、何度もこの人たちに依存しないといけなくなる。想像して足が止まった時、この想像を共有することが難しい、わたしの中にある想像を、うまく分かち合うことができない。分かち合う前にわたしは、わたしの中にそれを閉じ込めてしまう。そうして想像の欠けた行動に苦しみ、それが愛情が冷めるきっかけとなり、多くの人から離れてしまったのが過去のわたし。
「裏切った恋人を、育ててみるのはどう?」
わたしの何十倍も想像力のある友人は、いつもわたしより少し先の未来が見えている。そんな友人に言われたのは、人を育てるという言葉。浮気した恋人のことを、友達はもったいないと言った、アホだと言った。僕の元に連れてきてくれたら、すぐに育てて返すよ、と友達は笑っていた。わたしにはその想像がなかったし、創造することも難しい、けれど、その話を聞いてワクワクしているわたしがいた。
今までは想像しないことを美徳と捉え、そのままでいられる、いわゆる形だけの「素」でいることに重きを置いていた。でも、お互いが形を変えない恋愛は不完全だ。他人という線を乗り越え過ぎないように、お互いがお互いの形を気にしながら生活している。
想像できない人に想像を教えるのは無茶だ。し、できない。でも想像をシェアすることはできる。想像を選択して、分け合って、誰かの生活をうまく機能させることもできる。これができるようになれば、わたしはずっとわたしの周りの誰かを救えるようになるのかもしれない。そして何より、想像したわたしを、もっと大切にできるようになるのかもしれない。
想像力は理論や経験で養える。触れてきたものに関連する想像が鍛えられ、生活に根付いている。このことは小さいころ、本を読んでいたわたしは気づいていたはずだ。それなのに、大人になっていくにつれてそんな当たり前の、人間の根っこの部分に鈍感になってしまった。絶対にならないと決めていた大人の姿に、すっかりとなりきってしまっている。そんな自分のことを、想像し、創造し続けてあげたい。わたしの生活は、わたしの思考で成り立っているから、わたしはわたしと離れてはいけない。
まだ正解は見えないから。
この言葉がまたどこかに消えてしまうかもしれないと思いながら、
今日もわたしは
わたしから見たわたしのことを綴っている。
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