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-第2章②(Part1)-日本人選手が歴史や文化的にサッカーIQを身に付けづらい理由。


-前回の記事-


ここまで『サッカーIQ=戦略的思考』という仮説を立てて考察を重ねてきました。


そして、今回の第2章②の記事では、「もし”サッカーIQ=戦略的思考”であるならば、そもそも日本人選手は文化的・歴史的な背景から、サッカーIQを身につけづらいのではないか?」という考察をしていきたいと思います!
(長くなったので、記事を2つに分けました!)

この記事(Part1)では、日本で長年解決されていない”失敗の本質”を整理し、それがサッカー界に与えている影響について深ぼっていきます。



*『失敗の本質』から学ぶ、日本軍の”戦略の曖昧さ”


皆さんは『失敗の本質』という本をご存知でしょうか?


こちらの書籍では「太平洋戦争で日本軍がなぜ敗戦してしまったのか?」について分析しています。

今でも多くの読者に支持され続けているそうなのですが、その理由は戦時中の日本が犯した失敗と、現在の日本でも多く見られる失敗が本質的にずっと変わっていないからなんだそうです。

そこで指摘されているのが、『戦略の曖昧さ』です。

私たち日本人が『失敗の本質』を読んで最初に感じる点は、「日本軍の戦略があまりに曖昧だった」ということでしょう。

『「超」入門失敗の本質』P.36



*「目的達成に繋がらない勝利」を積み上げた日本軍

『「超」入門失敗の本質』という本の中で印象的だった事例の1つ紹介してみます。


日本は米軍と太平洋の覇権を巡って、25の島を奪いあっていました。
結果として、日本はなんと全体の70%にも及ぶ17の島を占拠することに成功したそうです。一方で米軍が占拠できたのはわずか8の島。

これだけ見ると日本軍が優勢に見えますが、最終的に太平洋の覇権を握ったのはアメリカ軍。

では、なぜ多くの島を占拠することに成功した日本軍は負けてしまったのでしょうか?

それは、アメリカ軍が太平洋の覇権を握る(目的達成の)ために「必要な島」だけを絞り、戦略的に占拠していったからです。
言い方を変えると、「8の島だけしか占拠できなかった」のではなく、「目的達成に必要な8つの島だけを占拠することに資源を割き、最初から必要のない17の島は捨てていた」ということです。

一方で、日本軍は「太平洋の覇権を握ること」といった本来の目的を忘れ、いつの間にか「できるだけ多くの島を占拠すること」という、目先の勝利(手段)を達成することが目的になってしまっていたそうです。


[まとめ]
米軍:戦術上の勝利は少ないが、戦略上で成功を収めて目的を達成。
日本軍:戦術上は大成功しているが、戦略の失敗により目的を達成できず。
➡︎『戦略の失敗は戦術ではカバーできない』

太平洋戦争ではその他にも戦略が曖昧になっている(手段が目的化している)事例がたくさんあったとのことでした。

戦術上の成功たる勝利は、戦略にとって本来、手段である。

クラウゼヴィッツ著:『全訳 戦争論(上)』P.37


*現代社会でも見られる戦略性のなさ

フリー素材から引用


この戦略性のなさ・曖昧さは、現代社会にも根深く残っています。

例えば『労働生産性の低さ』です。

『労働生産性』とは、『投入した資源に対してどれだけの成果が得られたかを示す指標』ですが、まさに戦略性が如実に現れる指標だと思います。

OECD(経済協力開発機構)の2022年のデータによると、日本の労働生産性の低さはOECD 加盟38ヵ国中27位、主要7ヵ国で最下位という結果になっているとのこと。

つまり「長時間働いている割に、成果が思ったより出ていない」といった様々な問題が起こっているわけですね。

そもそも日本人は一般的に『勤勉』とされ、目の前の仕事に対して真面目に一生懸命取り組む力は世界を見てもトップレベルに高い印象を受けます。(特に、周囲の日本人アスリート見るとそれを強く感じます。)

しかしながら、それでも労働生産性が低いというのは、頑張って働いているけど、そもそもの働き方や方向性(戦略)が間違っていて、無駄な頑張りが多くなってしまっている可能性が高いことが言えるはずです。


*なぜ日本人の戦略性が欠如しやすいのか?

写真:https://www.the-kansai-guide.com/ja/article/item/16061/ より引用


では、そもそもなぜ日本という国は戦略性が欠如しやすいのでしょうか?

「これが原因だ!」という明確な答えがあるというよりは、様々な影響が重なり合って生まれている可能性が高いと思います。

例えば、日本文化に強い影響を与えた『儒教』では、「努力」や「勤勉」が美徳とされてきました。
そのため、『道』という概念に代表されるように、結果よりもその過程で「どれだけ根気強く一生懸命真面目に取り組めているか」といった努力の姿勢が評価される傾向があると思います。
(そのため、本来の目的・戦略を忘れて、頑張ることが目的になりやすい?)

また、儒教の影響を受けている『武士道』では、忠義や名誉が重視され、「誠実さ」や「正しい行い」などが美徳とされてきました。
そのため、「正々堂々と戦う」や自己犠牲を重んじる姿勢を根付かせ、
効率的に勝つために賢く策を巡らせる」といった考え方を遠さげた可能性も考えられます。

そのほかにも、日本は島国で外敵の脅威が少なかったため、外交や軍事といった場面で戦略的思考を磨く必要性が低かった可能性があったり、
日本教育で暗記や従順さが重要視され、『自ら考える力』よりも『正解をなぞる力』が求められることが多く、柔軟で戦略的な思考が育みづらかった可能性も考えられます。

あくまでもこれらは一例ですが、このようにたくさんの要因が複雑に絡み合い、日本の戦略性のなさに繋がっているのかもしれません。


*日本サッカー界でも散見される『戦略性のなさ』


そして、この歴史や文化的な背景は日本サッカーにも影響を与えているように感じます。

事例を2つ見てみます。

[事例1]無駄が多く、本来の実力を発揮できていない日本

2010年に発売された『世界が指摘する岡田ジャパンの決定的戦術ミス』という本で以下のことが記述されています。

(本書は、当時の日本代表の試合を5人のイタリア人監督に分析してもらい、それをまとめた本です。)

-セオリーに沿った守備を実践すれば攻撃力も上がる-

まずここで記しておきたいのは、彼らの見解がほぼ一致していたという事実である。
日本選手の能力については、全員が「これだけポテンシャルを持つチームはそう多くはない」と繰り返し話している点だ。これは、良い意味でこちらの期待を裏切ってくれた見解で、収穫でもあった。

ただ、そのこと以上に彼らが口を揃えて繰り返していたのが、「あまりにも日本の守備には無駄が多い」という指摘である。

「これだけの高い技術を持っていながら、あまりにも非効率な守備を行っていることで、必要以上に体力を消耗しているようだ。
だからいざ決定的なゴールチャンスを迎えても、すでに疲れきっているFW陣は本来持っているはずの技術をその瞬間に発揮出来ないのだろう。
むしろ、試合の後半では完全にプレーのキレを失っている」

『世界が指摘する岡田ジャパンの決定的戦術ミス』著:宮崎隆司 P.20


[事例2]大局的な視点がなく、試合におけるバランスがない日本

上記の本が出版されてから9年後。
元スペイン代表のフェルナンド・トーレスさんと、元ブラジル代表のジョー選手の対談の中でも日本の戦略性のなさについて言及されていました。

-今まで経験したリーグとの大きな違い-

トーレス:難しさは感じなかった?

ジョー:日本の選手はとてもスピードがあるけど、そんなに難しさを感じてはいないよ。

トーレス:そうだね、ボールの扱いもとてもうまいと思うよ。けれどフットボールとなるとまた別の話だね。
彼らは3-0で勝っているのに攻めたがる。だから、落ち着けって言い聞かせるんだ。
彼らは個としてはとても良い。技術的にも素晴らしい。ただ、戦術面においては改善しなければいけない
ところがあるよね?

ジョー:僕もそう思うよ。彼らはとても激しい。けれど試合におけるバランスがない。

トーレス:そう。試合の中での時間帯を理解することだよね。いつ攻めるのか、いつ守るのか。彼らはいつだって(展開が)速い。


この2つの事例からも、日本で長年指摘されている戦略性のなさ(曖昧さ)が日本サッカー界でも同様に見られることが分かると思います。
(これは「どこか特定のチームが戦略性がない」という話ではなく、日本サッカー界全体として傾向が強いと感じています。)


*常に100%を求められる日本サッカー界。 

僕自身も現役選手として活動しているので、上記の2つの事例はものすごく心当たりがあります。

(全てのチーム・選手がというわけでは無いですが、)
プロやアマチュア問わず、日本のサッカー界全体の傾向として、90分間休むことなく、全てのプレーに対して常に100%の力を発揮することが求められている(理想とされている)印象を受けます。

もちろんこの姿勢は素晴らしいと思います。

しかし、その結果としてそこまで頑張らなくてもいい時も全力でプレーしようとする(あるいは、全力でプレーすることが求められる)ことで、
いざ100%の力が求められる「ここぞ!」という重要な瞬間に50%のパワーしか残っていない
みたいなことが攻守に渡って頻繁に起こっています。

(これは「常にボールに関わる」ことが求められて動き回ってしまうことで、本当に重要な「ここぞ!」という場面で「いて欲しい場所にいない」とか、
守備で「とにかく強くいくこと」が求められることで、「いく時、いかない時」を見極めずに全部つっこんじゃう、みたいな現象なども同様です。)

「一生懸命なのは分かるし、その姿勢は素晴らしいのだが、(中略)  
日本の選手はすべてのプレーにおいて常に100パーセント以上の力を出しきろうとしているように見受けられる。
60、70パーセントの力で事足りるところでも、常に力の限りを尽くそうとしている。これで90分間走りきれるとすれば、それは奇跡以外の何物でもない。」

『世界が指摘する岡田ジャパンの決定的戦術ミス』P.197


大前提として『一生懸命頑張る』や『気合いと根性』といった精神力の部分はめちゃくちゃ大事なことです。
結局のところ最後はその差が勝利を掴むかどうかの分かれ目になることは、僕も一人の選手として痛いほど経験しています。

だからこそ、本来は目的を達成するために、「いつどこで頑張るか(あるいは、いつどこは無理しなくていいか)」というような、
明確かつ適切な戦略を練れば、日本人の強みである『一生懸命頑張る』が、目的達成の確率をさらにグンと高めてくれる
はずです。
(これは世界と戦う上でも大きなアドバンテージになると思います。)

しかしながら、現状の日本サッカー界でよく見られる戦略性のない『一生懸命頑張る』はかえって自分達を苦しめてしまい、能力を最大限に活かせないまま目的達成の確率を下げてしまっているようにも見えます。


第2章①で整理したように、そもそもサッカーは達成すべき目的があり、その中で資源が限られています。
そのため、目的を達成するためには、限られた資源を適切に配分し集中させる『戦略的思考(サッカーIQ)』が必要不可欠なスポーツです。

だからこそ、上記の事例でも賞賛されている、日本人の『勤勉さ』や『技術力』といった世界にも負けないポテンシャルをもっと最大限に活かすためにも、
今一度、日本(サッカー界)全体として戦略的思考を高めていくことが重要だと感じました。

傾向として監督は状況が悪い時、「戦えてない」「走れない」「気持ちが入ってない」というが、僕はいつも全く逆であると信じている。

選手は常に良いプレーをしたがっているからだ。

良いプレーができてない理由はボールを保持している時に「動きすぎている」「走りすぎている」。
サッカーではボールを保持しているときはほとんど「歩かなければいけない」そして「適切なタイミングで走る」。 …

マンティスターシティ監督 ペップグアルディオラ さんのインタビューより


ということで、Part1は終わり!

ここまでの内容を簡単にまとめると、「日本という国で昔から問題視されている『戦略性のなさ(曖昧さ)』が日本サッカー界でも同様に見られる」という話でした!


では、一方でサッカー発祥の地であるイギリスを含めた、ヨーロッパ諸国はどうなのでしょうか?

本を読んだり、インタビューを聞いてみると、明らかに戦略性の高さを感じます。

Part2ではそれらの事例を見ながら、そもそも日本人がサッカーIQを身につけづらい理由を深ぼっていきます!


-第2章②(Part2)-欧州サッカー界はなぜ戦略的思考(サッカーIQ)が高いのか?に続く



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