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-第2章②(Part2)-なぜ欧州サッカー界は戦略的思考(サッカーIQ)が高いのか。

前回の記事。


前回は、『失敗の本質』という本をもとに、日本が長年抱える『戦略性のなさ(曖昧さ)』が日本サッカー界にも深く根付いている点について整理してみました。

そして、今回は視点を変え、ヨーロッパ諸国の戦略性の高い事例と日本を比較しながら、『日本人選手がサッカーIQが身につけづらい理由』についてさらに深掘りして行きたいと思います。


*戦略性の高さが表れているヨーロッパ諸国の事例


ヨーロッパ諸国では戦略性の高さが顕著に現れている印象を受けます。

こちらも2つの事例を見てみます。

[事例①]無駄なスプリントを減らすペップと、スプリント回数を追求しがちな日本。

画像 http://soccertentyou.blog.fc2.com/blog-entry-97.html より引用


現在マンチェスターシティの監督を務めているペップ・グアルディオラ監督がバイエルンを指揮していた時に、
ゴールを奪う確率を少しでも高めるために以下の戦略を取っていたそうです。

(攻撃の中心である)リベリーとロッベンの特徴を生かしたプレーのコンセプトを再構築する。
その上でより精度と集中を上げるため、短い距離(マックス40メートル)しか走らせないと決めた。より大きなアドバンテージを得てゴールの確率を高めるために。(中略)

朝、アスティアルタが言った。
リベリーにはセンターラインをまたいで、自陣に戻ってほしくない。(中略) 
彼のチームへの献身性には限界がない。このエネルギーの使い方を大事にしなければもったいない。1試合に20回以上も80メートルを走るなんて、とんでもないよ。
より短い距離を走ることで、集中でき、その分、生産性も上がる

『PEP GUARDIOLA キミにすべてを語ろう』P.76~77

この事例から、目的を達成するために、本当に大事な「ここぞ!」という瞬間に最大限のパワーを発揮できるように、不必要なスプリントは抑えようとしている戦略性の高さが垣間みれると思います。

一方で日本の場合はどうでしょうか?

もちろんチームによって様々だと思いますが、日本サッカー界の傾向としては、
「何を目的に、どんな狙いがあって、いつどこでスプリントをしていたのか? そして、それは本当に効果的だったのか?」
といった文脈のそこまで言及をせずに、『スプリント回数が多い=良いこと』という評価をする傾向が強い印象を受けます。

もちろん、1試合の中で何度もスプリントができるフィジカル能力を持っていることは大事です。そもそものベースの能力がないと試合には出づらくなりますし。

ただ、それとこれはまた別の話で、仕事における長時間労働が、必ずしも成果に直結しないように、サッカーでもたくさん走ることが、必ずしも目的達成(例えば『ゴールを決めること』)に繋がるわけではないと思います。

(もちろん、「少ないこと」が目的達成に繋がるわけでもない。)

ちなみに、今季プレミアリーグで圧倒的な強さを見せている首位のリヴァプールですが、走行距離は20チーム中で最下位。スプリント回数は11位だそうです。(生産性の高さ、強度が高くなる理由、怪我人が少ない理由が分かります。)


[事例2]デュエルを減らしたいナーゲルスマンと、デュエルに挑み続けようとする日本。

写真:https://sports.yahoo.co.jp/column/detail/2024061100001-spnavi より引用


次は、最近よく聞く『デュエル』や『球際』という言葉で考えてみます。

現在ドイツ代表監督を務めるナーゲルスマン監督の本で以下のような記述がありました。

-1対1なしのボール奪取-

「1対1の守備(いわゆる『デュエルや球際』)には、ランダムな要素がある。ボールが足下に転がるかもしれないし、どちらかに当たって外に出るかもしれない。結局、審判の判断に委ねることになってしまう部分がある。
私が好むのは組織全体でスライドし、パスオプションを制限して相手ボール保持者にミスパスを強いる守備なんだ」

ナーゲルスマンが志向するのは、タックルやショルダーチャージで奪おうとする守備ではなく、パスをインターセプトする守備。これをナーゲルスマンは「1対1なしのボール奪取」と呼んでいる。

ナーゲルスマンによれば、「1対1なしのボール奪取」には次のような利点がある。
・もしインターセプトできたら目の前に敵がおらず、そのままスペースへ入っていける。
・もし相手が横方向に広がっていたら、一気に置き去りにできる。
・どちらに行くかわからないこぼれ球を減らせる。
・1対1のぶつかり合いによる体力の消耗を抑えられる。


(中略)
もちろん、ナーゲルスマンもデュエルを完全否定しているわけではない。試合中には必ずパワーで相手を押さえ込むべき瞬間がある。
だが、激しさに頼りすぎると不必要に体力を消耗するだけでなく、周りが見えなくなってしまう恐れがある。

『ナーゲルスマン流52の原則』P.116~117

この事例からも『デュエル』を目的ではなく、手段の1つとして捉え、「何を目的に、いつどこで使うか(あるいは、いつどこでは使わないか)」を見極めている戦略性の高さを感じます。


一方で、日本では『デュエル』や『球際』という言葉を使う際に、「とにかく目の前の相手に勝つ!」という解釈が強調されることもあって、デュエルをすること自体が目的になっている傾向を感じます。

これは、『失敗の本質』でも指摘されていたように、
本来の目的(例:ゴールを決める/失点を防ぐこと)を忘れ、目の前の相手にデュエルで勝利すること(手段)が目的に変わってしまい、無駄な勝利を積み重ねてしまう状況とも重なります。

その結果、日本の守備では以下の現象がよく見られると思います。


*ヨーロッパ諸国と日本における守備の考え方の違い

写真 https://news.goo.ne.jp/article/footballchannel/sports/footballchannel-535051.html より引用


上記の事例や様々な書籍を読んでいると、以下のような傾向が見えてきます。


[ヨーロッパ諸国の傾向]
▶︎サッカーが『11対11』であることを前提に、チームで連動した守備を重視。デュエルは手段の1つとして位置付けられている。

まず大前提に、チームとしての「何を目的に、いつどこで誰から、どのように奪いたいのか。(あるいは、「相手に何をさせたくないのか」)」といった戦略・戦術的な規律があり、それに基づいてチーム全体で連動し、効率的な守備をしている。

その中で、相手の選択肢を少しでも減らし、後ろの味方の予測を助けるために守備の強度が求められていたり、
うまく相手を誘導して最後の「ここでボールを奪いたい!」という瞬間の時にデュエルの強さがより求められている印象を受ける。

[酒井高徳選手が話すドイツの守備の考え方]

チームはボールに圧縮している(ボールを中心にチームで連動した守備をしている)ので、1つはがされたら全部が壊れちゃうよっていう考え方。


1人がはがされたらチームは壊れるんじゃなくて、
チームで動いているから1人が剥がされたら困りますよ。

だから、1対1の局面は頑張ってくださいね。
守備の選手だけでなく、攻撃の選手も。  …




[日本の傾向]
▶︎そもそもの目的や戦略が曖昧で、規律が緩くなっている状況の中で、「球際!目の前の相手に勝つ!」という意識が強くなる傾向がある。

その結果、『1対1が11個ある』ような守備をすることが多く、個人の守備力(能力)に依存する構造になりがち。
(みんな一生懸命頑張っているけど、「どこでボールを奪いたいのかが分からない」
と感じることも多い。)

そのため、日本における守備の評価軸は、単純な1対1で負けない強さや走力といった目に見えるフィジカル的な要素がより高く求められ、
一方で、組織的に守るための戦術理解度や状況判断といった目に見えづらい部分が相対的に過小評価されている
ようにも感じる。(これは攻撃も同様で、どっちも大事という話です。)

( こうした傾向もあってか、最近のJリーグでは1対1が11個ある』ようなサッカーをしているチームが多いので、単純にフィジカルや強度、個の能力の高いチームほど、必然的に結果が残しやすい構造になっている?)

[日本代表 田中碧選手のインタビューより]

「ここ4、5年、個人個人が成長する重要性が言われて、強度だったりインテンシティだったりデュエルだったりという言葉が言われるようになり、各々が意識してやっていたし、その結果個人は凄い強くなったと思う。
でも1対1では勝てるかもしれないけど、11対11で勝てるかと言われたら、この2試合含めて完敗だと思う」(中略)

2対2だったり3対3だったりになったときに相手はパワーアップするけれど、自分たちは何も変わらない。
それがコンビネーションという一言で終わるのか、文化なのか分からないですけれど、サッカーを知らなすぎるというか……。
彼らはサッカーをしているけれど、僕らは1対1をし続けているように感じるし、それが大きな差になっているのかなと感じている」


[日本代表 森保監督のインタビューより]

森保監督が語った、欧州と日本で「この4年間で逆転したもの」も重要な示唆だ。
「より、欧州のサッカーは戦術的になっている。今までは欧州、世界の方が自由だと感じていたが、実は日本人の方が規律やルールが少し緩くて。
欧州で戦う選手の方がチーム戦術、個の役割を徹底しながら、より多くのパターンを持って、その上に個人の対応能力を持っている
欧州組の選手たちから、もっと細部にわたるチームの約束事が必要、との声もあった。

日本代表 森保監督のインタビューより


ちなみに、僕自身が育成年代から様々なチームでプレーしてきた中で、どちらの守備も経験しているので簡単に感想をまとめてみました。


改めてですが、あくまでもこの記事で伝えたいのは、「戦略性が高い傾向のヨーロッパ=良い」「戦略性が低い傾向の日本=悪い」みたいな二元論ではありません。

たとえ「戦略が曖昧でも、個人の能力(戦術)でどうにかなっちゃう」ことはサッカーではよく見られると思います。
あくまでも、『戦略=勝利の必勝法』ではなく、少しでも勝率を高めるための手段です。


現在の日本サッカー界は海外のトップレベルで活躍する選手が増え、育成年代も含めて個々の能力は世界に比べて向上しているのは明らかです。

だからこそ、まだまだ伸び代のある戦略性をもっと高めることができれば、日本の能力がさらに開花され、世界に勝つ日もグンと近づくのではないか?と、日本の可能性をめちゃくちゃ感じているという話です🔥


*なぜヨーロッパ諸国は戦略性が高い傾向があるのか?

AIで自分で作りました


一方で、「そもそもなぜ、ヨーロッパ諸国では戦略性が高いのか?」ということも疑問に思いました。

色々な理由があると思いますが、一つは国家間の競争が激しかったことが仮説として考えられます。

ヨーロッパでは中世から近代にかけて、隣国同士が頻繁に領土を奪い合い、戦争や外交が日常的に行われていたそうです。

このような環境では、目の前の戦いに勝つだけでは不十分で、資源をいかに効率よく効果的に使えるか(戦略)が、国家運営の生死を分けます。

例えば、仮に目の前の戦争に勝利することができても、資源を投下し過ぎて自国が弱ってしまえば、その瞬間にまた別の国から侵略される可能性もあります。(無駄な勝利を積み重ねることが命取り。)

このような戦略的思考が必要不可欠な環境が、ヨーロッパ諸国の合理的な考えや戦略性の高さに影響を与えているのかもしれません。


また、これは現代のサッカーでも通じるように思います。

例えば、日本では基本的に公式戦が週1回のペースで行われていますが、ヨーロッパでは中2〜3日のペースで試合が続くことも珍しくありません。

このような状況で特に戦略を練らず、90分間常に100%でプレーすることを理想としていたら、
毎試合ボロボロになるまで戦い続けてしまうことで、疲労や怪我でチームが崩壊する可能性が高まる
と思います。

だからこそ、ヨーロッパの傾向として、チームも選手も戦略的に試合をマネジメントとし、合理的なプレーを求め、少ない資源で最大の成果を出そうとするのかもしれません。


*戦略的思考を育む土台が整っていない日本サッカー界では、サッカーIQが身につけづらい?

AIで自分で作りました


最後に、育成年代の具体例を通じて、この記事のまとめに入りたいと思います。

以前、小学生のサッカー少年の親御さんと話した時に、以下のことをおっしゃってました。


うちの子は意図的に「ボールを受けない」「バックパスをする」「簡単にパスをはたく」といったプレーを選択しているのに、
指導者の方から「もっとボールをたくさん受けろ!」「もっと縦パスを狙え!」「もっと前をむけ!」という表面上の指示をされることが多く、そこにギャップを感じています。



この事例が示すのは、「ボールを受ける」「縦パスを狙う」「前を向く」こと自体が悪いのではなく、
ここまで何度も言及してきたように、「何を目的に、いつどこでそれらのプレーをすることが効果的なのか?」といった文脈が考慮されていない点だと思います。

サッカーはゴールを奪うことが求められるため、「縦パスを狙う」「前を向く」ことは基本的には効果的なプレーになりやすいです。
しかし、あくまでもこれらは手段であって目的ではありません。

状況を考えずに使い方を間違えてしまうと、相手のカウンターを許すような、自分たちの苦しめてしまうことにも繋がります。

しかし話を聞いていると、実際にはそのような文脈を考慮せず、「とにかくボールに関われ!」「とにかく縦パスを入れろ!」といった表面的な指導がまだまだ多いようです。

[J通算得点ランキング1位の大久保嘉人さんの記事より]

「最初に風間さんに言われたのが、『動きすぎ』だった。
だけど、小学校の頃からずっと、『(パスが)出てこなかったら、動き直しなさい』ってサッカーをしてたから。(試合中は)ずっと走っていないといけないっていうのが体に染みついていた。
でも、風間さんに『お前、それをやっていて、ゴール前に来た時にシュート決める体力残っているか?』って聞かれて。
俺は『残っていない』って答えて。それで、『歩いてみろ、歩きながらでもやれるから』って言われて、歩いてプレーするなんてやったことなかったけど、まずは試してみようって」


日本ではSNSや記事などでの『切り取り文化』が根付いていますが、
日本サッカー界も同様で、メディアを含め「戦術」や「フォーメーション」、「技術」「デュエル」「偽サイドバック」といった目に見えやすい部分(手段)に対して過度に焦点を当てる傾向が強い印象を受けます。
特定の技術に特化したスクールやトレーニングが多いのもこの傾向の象徴かもしれません。

もちろん、これ自体に何か問題があるわけではありません。

ただ、忘れてはいけないことが、それらの言葉の背景にある「何を目的に、どのような文脈で必要とされているのか」という視点を持つことです。
しかし、現状としてそこまで意識が向いていない(あるいは、意識は向いてるけど解釈が本質とズレている)からこそ、
本来の目的・戦略が曖昧になり、手段が目的化している事例が多く生まれている
ようにも思います。


[スペイン人指導者がみる日本の子供たちの印象]

-日本の子どもたちを教えての印象を教えてください。-

多くの方が言われていますが、技術的なレベルは成熟しており、高いレベルで実現できています。教育レベルも素晴らしい。ゆえに、その瞬間瞬間のリアクションは高いクオリティで実現できます。

しかし、「どういう流れのなかで、そのプレーを実現するべきか」とか、「相手がこういう状況だから、自分たちはこのポジションに立つ」といった戦術的な面でのトレーニングに重きが置かれてこなかったことを、子どもたちを見ながら感じる時があります。
ヨーロッパと日本のサッカーの違いといったものが、そこに表れている気がしています。


*まとめ

ということで、ここまで見てきたように、日本という国で長年問題視されている『戦略性の欠如』は、日本サッカー界のあらゆる部分にも影響を与えているように思います。

そして、全体の内容を以下のようにまとめました。

何度も言及していますが、あくまでもここで言いたいのは、「日本人は戦略性がなくダメだ!」ということではありません!

むしろ個人的にはポジティブな印象で、「もっと日本サッカー全体として戦略的な視点を磨けば、持っている能力やポテンシャルが爆発して、マジで世界取れそうじゃないですか?」と本気で感じています!!

ということで、おわり!!


-次回予告-
僕が好きな本に『良い戦略、悪い戦略』という本があります。

そこでもし『サッカーIQ=戦略的思考』と仮定するならば、
サッカーIQにも『良いサッカーIQ、悪いサッカーIQ』という視点で整理することができそうだと考えました。

それを踏まえると、「果たして世間的に”サッカーIQが高い”とされているプレーは本当にそうなのか?」そんな整理ができそうです⚽️

-第2章③-『良いサッカーIQ、悪いサッカーIQ』に続く。

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