「持っているもの」はそんなに重要じゃない

東京で保険の営業マンに誘われて行った豪勢な誕生日会があった。高級寿司店を誰かが貸し切り、そのあとはBARみたいなところでパーティーが行われた。当時自分はこのままの自分をなんとか変えたい、人脈を作りたいという思いで、そういった機会には積極的に参加していた。

そこにいたのは、会社を5つ経営していたり、自分のBARやお店を持っている若くして「経営者」と名乗るような人たちだらけだった。大胆なお金の使い方のエピソードトークや、特に何をやっているかはわからないけど、経営者同士の会話に花を咲かせ、自分とは住む世界が全く違う人達だと感じた。何を話したらいいかわからず、ただ一人で惨めにご飯を食べた。

当時は彼らと比べ、自分は何も挑戦していないぬるま湯に使ったただのサラリーマンであると捉え、そんな自分を恥ずかしがり、自己嫌悪に陥った。でも今考えると少し違って見える。まず彼らと自分で違ったのはそもそも生まれ持った環境やリソースが全く異なっている。経営者の親を持ち、いろんなものを引き継いだひとたちと一般的なサラリーマンの家庭に生まれた自分はそもそも機会やスタートラインが全く異なる。もちろんぼくよりも機会を得づらいスタートラインの人もいる。彼らは自分自身で挑戦を続けてきた側面だけではなく、多大なる機会とリソースがそこにはあった。

生まれた環境やそのときに持つリソースは人によって大きく異なる。だからこそ今何を持っているかはそんなに重要ではないんじゃないかと思う。それより大切なのはどう生きたか、どんな人間で在るのかということで、その生き様やそのときの振る舞いにこそ本当のその人の価値だと思う。

どんな状態であったとしても、今の自分を惨めに思うこと、恥ずかしがることは絶対にない。
これからどう生きるかということが本当に大切なのだから。

そして自分は高級寿司に行ったら、会話に集中するのではなく、ご飯に集中して、美味しさを十分に味わい、その美味しさに感動し分かち合える人とご飯を食べたい。



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