Comprenne qui voudra
時差ボケの本当の恐ろしさは日中の眠気ではない。
真夜中の不眠である。
10月8日火曜日の午前2時に筆をとった。フランスからの帰国便が羽田に到着したのが10月5日土曜日の午後3時半。そこからは多少の日中の眠さはありながらも基本的にはうまいこと時差ボケをやり過ごせた、と思っていた。
それがこのように、急に姿を表すのだ。いまだに全く眠気がやってこない。
諦めて深夜0時半ごろから本を読み始めた。最初は文章Patrick Modiano、挿絵Sampéの"Catherine Certitude"。友人へのお土産にSampéの本を探していたときにたまたま見つけた。Patrick Modianoは語学学校に通っていた際フランス語の勉強のためにわからないなりに頑張って読んでいた。あの頃は、楽しく努力をしていた。
次にPaul Eluardの詩集を手に取った。これもたまたま本屋で見つけたもので、おもて表紙には"Les Animaux et leurs Hommes"(動物たちとその人々)というタイトルが記載されているが、うら表紙は"Les Hommes et leurs Animaux"(人々とその動物たち)というまた別のタイトルがおもて表紙とは上下反対についている。どちらから読んでも左開きで読める仕組みだ。
"Les Animaux et leurs Hommes"の方から読んでいたら、だんだんと音声が欲しくなった。ネットでそれぞれの詩の朗読を探し、音の流れを楽しんだり、私自身も口ずさんだりした。
かなりマイナーな詩が多いのか、それぞれの詩において出てくる朗読動画は1つ程度だった。中にはそれすら見つけられないものもあった。
"Porc"という詩の朗読動画を検索した際、その詩に関するものは出てこなかった。代わりに一番上に表示されたのは以下の動画だった。
時の大統領Georges Pompidouが、記者からの「女性教師がその生徒と性的関係を持ち訴えられ、後に自殺した事件についてどう思うか」という質問に、Paul Eluardの“Comprenne qui voudra”という詩を引用しながら答える、というもの。
この詩に関しては、以下のリンクに全文訳としっかりとした解説があるので、興味のある方はぜひ一読いただきたい。昨今のSNSによって引き起こされる残念な出来事に通ずるところがあるように思料する。
先に紹介した動画をはじめて観たのはパリの語学学校に通っていた時だ。フランス政治史の授業(確か今日まで続く「第五共和政」にフォーカスした内容だった)では、要所要所で大統領の名(迷?)シーンを動画で観せてくれた(Charles de Gaulleの"Je vous ai compris !"とか、Valéry Giscard d'Estaingの"Au revoir"とか)。
その中でも特に、先に紹介したGeorges Pompidouの動画に、私は強く惹きつけられた。記者の質問に対し、詩の引用で回答するところが、和歌を読むことで返事をしていた古の人々をルーツとする私の琴線に触れたのかもしれない。
授業の後その足で古本屋に向かい、Eluardの詩集を探すも、お目当ての"Comprenne qui voudra"が収録されているものが見つからず、苦労の末に“J'ai un visage pour être aimé”という分厚い詩集の中に探し当てたことを今でもよく覚えている。
このnoteではすでにこの詩のことを紹介していることと思っていたが、どうやらまだだったようだ。6年のフランス生活の中でもこの詩との出会いは大きなインパクトがあったのに、なんだか不思議である。
時差ボケの夜中、先のPompidouの動画とEluardの詩によって思いがけず、パリの語学学校に通っていたあの9年前、どこへ向かっているのか全くわからないながらも、次にくる明日が今日よりもいいものになるように、毎日努力していた自分の姿を見た。
それと比べると今の自分は、悩みながらずっと足踏みをしていて、うまく前に進めていない状況に陥っているように感じた。
“Comprenne qui voudra”というのは、「その気があるならば理解せよ」という意味になる。
もし今宵この詩が私の目の前に現れたのが何かの啓示だとして。私その気があるならば、私は何を理解しなければならないのだろうか。
それはもしかしたら、私自身なのかもしれない。私自身が何をしたくて、どこへ行きたいのか。それを今、改めて自分自身に問いかける分かれ道に、私は立っているのだ。
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