本物が生まれにくくなってしまった
「いいブランド」とは何を指すのだろうか。
もちろん様々な物差しがありうるが、この資本主義経済においては、もしかしたら「一番売上の大きなブランド」というのが“正解”になりうるのかもしれない。
売上を伸ばすための施策はいろいろあるだろうが、残念ながら「プロダクトのクオリティを上げる」というのは大変に効率が悪いようだ。よって、マーケティングやブランディングに資本を集中させることになる。そうやって「プロダクトはなんだかよくわからないけど売れるブランド」が誕生する。
めでたし、めでたし。
「いいものだからといって売れない」という意味合いのフレーズを当たり前のように耳にする。だから“見せ方”なるものを工夫しなければならない、といった主旨のもっともらしい説明が以降続くのだが、そもそも「いいものが売れない」ことに対して違和感は抱かないのだろうか。なぜ「いいもの」なのに売れないのだろうか、誰がそんなマーケットにしてしまったのか、などなど。
もちろん私は「売れるブランドがいいブランド」だとは一切考えていない。いいプロダクトを作り、そのよさをきちんと世の中に伝え、その上で売上が立っているブランドこそが「いいブランド」であるはずだ。その意味において、çanomaはまだまだ「いいブランド」ではないだろう。プロダクトを作ることで精一杯で、それを広めることができていない、というのがその一番の理由だ。今後どこかのタイミングでブランドの認知を拡大していくことも視野に入れていかなければならない。そして当然のことならが、プロダクトのクオリティももっともっと上げていきたい。
いずれにしても、どう足掻いても残念ながら「いいものが売れる」世の中ではないようだ。ただ、だからといって「いいもの」の価値が損なわれるわけではない。いいものは、いい。それが評価されにくくなっているだけなのだ。
これはつまり、今日においては「本物」が生まれにくくなっている、ということを意味するのではないか。作り手の側からみると、「いいもの」が評価されにくくなっているがゆえに、「いいもの」を作るインセンティブが小さく、それ以上に「見せ方」なるものに注力することが求められている。また、買い手の側に立つと、「見せ方」が上手な方々によって本当に「いいもの」が隠れてしまっており、それらを見つけ出すのが困難になっているし、そもそもそれを探し出そうとする余裕もない。このように、「本物」を作る努力もされず、また手にいれる労力もかけられないのであれば、当然「本物」が生み出される頻度は下がっていることになるだろう。
念の為記載するが、もちろん今でもそれらを作ろうとする人も希求する人もいる。ただ、その数は以前と比べると圧倒的に減っている、ということを私は主張したい。それはSNSで“バズる”投稿ひとつ見ても明らかだろう。キャッチーな内容のもの、つまり上手な“見せ方”のものがもてはやされて、きちんとした情報はそういったものの影に隠れてしまう。
noteの記事にしたってその傾向があるように思料する。やたらとスキ数が多い記事を覗いてみると、なんだか派手だけど中身がすっからかん、ということがここ最近増えたように感じる。結局のところ何にしたって“見せ方”なるものに支配されているのだろう。
「本物とは何か」という問いにきちんと答えられる人はほとんどいないはずだ。もちろん、私にしたってそうである。答えのない問いであるかもしれない。
ただし、問いに答えられないことと「本物なんて存在しない」ということは全く別物だ。本物はあるかもしれない、今はそれが何かはわからないけど、というのが実際のところなのだろう。
「本物」なんて、世の中から求められていないかもしれないけれど、私はそれを、作り手としても買い手としても、常に追い求めていきたいと思う。それが結果として「正直者が馬鹿を見る」ことになってしまっても、だ。
「本物」なんて、存在すらしないかもしれないけれど、「ない」ということが証明されない限りにおいて、作り手はそれを追い求める“義務”があるように、私には思われるのだ。
【çanoma公式web】
【çanoma Instagram】
@canoma_parfum
#サノマ
#香水
#フレグランス
#ニッチフレグランス
#canoma
#canoma_parfum
#パリ
#フランス
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?