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サムゲタンヌ vs ソコビエンヌ



──寒い。

季節はとうに春のはずだったが、このおそるべき底冷えはどういう了見なのだろうか。
待てど暮らせど笑顔ほとばしるような暖かさは訪れず、いつまでも首にまとわりつくネックウォーマーに私はむかむかとした。
私は、「ハイハイ春でございますよ」などと適当なことを言って恬然として恥じないこよみの胸ぐらをつかんで、

──このうそつきっ

などと一喝し頬を張った。暦はすこし鼻血を流しながらしばらく項垂うなだれていたが、ややあってから消え入りそうな声で、

「アタシだってねェ....寒いンですよ...」

と言った。

──こよみ....

私は、暦の肩を抱き寄せた。ふたりの目からだくだくと涙が溢れ、それはやがて流れとなって、どこか春の風景を思わせた。


さて、気持ちの悪い冒頭はここまでだ。


じっさい、四十を過ぎたあたりから、なんだか寒さがこたえるようになった。
寒い寒いと言ってばかりじゃ何にもならないし、モコモコと重ね着をするのも男の矜持プライドが許さない。ここはひとつ身も心もポカポカとあたたまる料理でもこさえてみようかと、私は頭のなかの冬レシピを紐解いた。

辛いものや鍋ものと、いくつか思い当たったが──ここは、食後も暖が続きそうな薬膳がいいだろう。

薬効があるうえに──美味しいもの、とくれば──

──ああ、アレ。あの、鶏の腹にもち米を詰めて──

──あの、韓国料理の....名前がでてこないな....

──あ!ゲタン!

──そうだゲタンだ....でも、

──あれは....なにゲタンだったかな──


H・レクター博士役であまりにも有名なアンソニー・ホプゲタンでもないし、アル・カポネ役がハマりすぎていたロバート・デ・ニゲタンでもない。宇宙貨物船ノストロモ号の中でエイリアンと対峙するリプリー扮するシガニー・ウィバゲタンでもなかった。


──あ、そうそう、サムゲタンだ。




早速スーパーへ行き、ストウブ鍋に納まりそうな小ぶりなものを探す。

──あ、あった。

小ぶりだがぷりっと可愛らしい丸鶏だ。私は心をチキンにしてそれに語りかけた。

「いいか、耳の穴かっぽじって聞けよ。お前は今からもち米を腹に詰め込まれたうえに煮込まれるんだ」

──すでに腹の中をかっぽじられているのに、耳の穴までかっぽじられるのでしょうか。

「だまれ。丸鶏のくせに口答えをするな」

──次は、何をかっぽじるのでしょう?目ですか尻ですか?どうぞお気の済むまでかっぽじって下さい──ただし、僕の魂だけは、かっぽじれないですよ。

「ッッッ──」


私は丸鶏の気高さに圧倒され、ぐぬぬぐぬぬと会計を済ませて家路に就いたのだった。

ネギ頭 にんにく しょうが 
乾燥なつめ 松の実 クコの実 鷹の爪


さて、まずは誇り高き丸鶏の腹のなかを洗い、水気を拭いておく。
研いだ半合ほどのもち米を、30〜60分間ほど水に浸け、ざるに上げて水気を切る。

もち米と半量のなつめ、松の実少々と、ひとかけのにんにくを鶏の腹に詰める。つまようじ数本で腹を塞ぎ、たこ糸で脚を縛り、残りの材料とともに鍋に入れる。

ちなみに、欲張ってもち米を足したところ、鶏容量とりキャパを優に超過してしまった。仕方がないので腕力に頼ってみっちみちのぎうぎうに詰めこんだことは、丸鶏の名誉のために秘密にしておく。

丸鶏の亡霊がひたひたとあしおとをたてて夢枕に現れるように──ひたひたに水を注いで強火にかける。
煮立ったら灰汁をとって清酒を100ml程度加え、弱火にして蓋をする。
1時間ほど煮込んで鶏がやわらかくなったら、クコの実と塩1〜2つまみを加え、ふたたび蓋をして10〜20分煮込む。

クコの実が柔らかくなったら、味をみて塩で整える。
仕上げに、せりをどっさりと投入する。三つ葉やパクチー、ネギやニラの類でも美味しいが、やはりここはせりが抜群だ。根っこが茶色く変色していない新鮮なものならば、よく濯いだ根っこも加えるのがオススメだ。葉はもとより、根っこはさらに美味しい。食べたあなたも今日から「根っこユーザー」になること必至である。ふだんは根っこなど見向きもせず棄ててしまう人には根も葉もない話に聞こえるかもしれないが、私は根と葉の話をしているのだ。


さて、箸で鶏をひらくと、もち米の香りが顔面を襲い、たちまち眼鏡がくもってホワイトアウトする。
眼鏡のくもりが晴れていくまでひと呼吸置いて、鶏をほぐしてもち米を全体に馴染ませていく。
食べながら骨を外すのもいいが、万が一妻のノドに骨がつかえたら大事だ。ここは家族の安全のために骨惜しみせずに、骨が折れる作業ではあるが、骨々こつこつ骨々ほねぼねを取り除いていこう。

骨を外したら鍋を温めなおして、参鶏湯の完成だ。

ほふほふと、れんげを吹いて──そっとひと口、食べゲタン。味わいゲタン──嚥下のみゲタン。

──ああ....。

──なんという滋味深さだろうか。

──なんというやさしさだろうか。

思わず天を仰いで「ありがとう」などと伝えたくなる味わいに、自然と笑顔が溢ゲタン。
冷え冷えとした身体に、ぽっと陽が差し込んで、それがじんわりと拡がっていく感覚があった。
どの食材も、ことさらに主張はしなくとも優しい一味となって、するするとレンゲを進ませる。

にんにく、生姜、ネギには血行を促進させ、身体を温める効能がある。
なつめ、クコの実、松の実には、身体を温める効能がある。
そして、この料理の核である鶏肉も、良質なタンパク質に富み──身体を温める効能がある。

──早くも、身体がポカポカとほてってきた。

鍋底が見えるころには、もはや汗ばんで──暑いくらいである。
私はエアコンを消し、上着を脱いでTシャツ一枚となって、参鶏湯の余韻を楽しみつつも、その薬膳効果に驚嘆を禁じ得なかった。




ほっくりとした気持ちで食器を下げながら、

──夕飯は、どうしようかな....

──せっかくだから、鍋にでもするか....

──せりもまだまだあるし、せり鍋もいいな....

夕飯に決まりそうなせり鍋の支度を頭のなかでぼんやりと組み立てる。

──そういえば、せりの効能ってなんだっけ?

調べると、薬膳の用語で清熱利湿せいねつりしつというものに行き当たった。早速その言葉を紐解くと、

体にこもった余分な熱をとる


とあった。

──おいおい、せり....

──冷やしちゃダメでしょ?

私は、足下から冷えがせり上がってくる感覚に、ふたたび上着を羽織るのだった。


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